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宇津保物語を読む 俊蔭Season2 #7

嫗、俊蔭の娘の懐妊を知り、準備に苦労

 月日経て、子生むべきほどになるまで、見知らでゐたるに、ここのつきといふに、この使ふ嫗、もの食はせなどに前に出で来て、うちかたぶきて見ていふやう、
(嫗)「あやしく、などか御さまの例ならずおはします。もし人も近く御ものがたりやしたまひし」
いらへ、
(俊蔭娘)「いさや、近きままに、よもぎむぐらとこそは語らへ」
嫗、
「あなさがな。たはぶれにものたまふべきことにあらず。嫗にはなかくしたまひそ。嫗ははやうよりさは見たてまつれど、さも聞こえざりつるなり。御かたきをば知りたてまつらじ。いつよりか、御けがれはみたまひし。いと近げになりたまふめるを、のたまへ。いかでか御まうけせざらむ」
いらへ、
(俊蔭娘)「あやしくもいふかな。われはいかがはある。例することは、九月ばかりよりせぬ。されど、なほさあるにこそあらめとて、ともかくも覚えず」
といへば、嫗、
「さらばこの月たたむ月にこそおはしますなれ。あないみじや。かかる御身を持ちたまひて、今まで知りたまはざりけるはかなさ。嫗なくなりはべりなば、いかがなりたまはむ。あが君の御ためにこそ、つたなき身の命も惜しけれ」
といふにぞ、
わが御身はかかることありけり、
と思ふにぞ、いとどいみじき心地して、恥づかしくさへありて泣くを見て、
(嫗)「よし、いかがはせむ。嫗知りはべらば、ものなおぼしそ。野山を分けても御をば仕うまつらむ。これ御宝となりたまはむとも知らず。御身々みみとだになりたまひなば、嫗、負ひかづきても仕まつりなむ。あが仏の御ゆかりには、ほねの中よりも、甘き乳房は出で来なむ。白き髪の筋も、しろがねがねとなりなむ。あぢきなし、悲しともなおぼしそ。ただ御手をかいすまして、神仏に、『平らかに身々となしたまへ』と申したまへ。また嫗の命を念じたまへ」
と泣く泣くいひて、嫗、思ひまはして、片田舎に子どもなどありければ、それがもとに行きて、君にはともかくもいはで、かの折に使うべきものども求めて、さりげなくて、
(嫗)「このころは、いかでかおはしましつる。あはれ、いかにせむ。殿の内にとかくうちして使ふべきものはありや」
といへば、君、
(俊蔭娘)「いさ、いかなるものをかさはする」
嫗、「何にまれ、何にまれ、あらむものを、いかにもいかにもしなして、多くはこの御ためにものせむかし」
といへば、いとうつくしげにて調てうじたるからくらを取り出して、
(俊蔭娘)「これは、何にすべきものぞ」
と見すれば、
(嫗)「ささ、これしていとよう仕うまつるべかめり。またものはなしや」
と問へば、
(俊蔭娘)「見えざめり」
といふ。
嫗、これをとりもちて、要じたまふべきところどころに持て行きて、多くになして来ぬ。絹、布など買ひて、その設けす。ものなど食はするをも僅かにして、このことをのみ心に思ひまどひありく。
女君は、草の生ひこりて家のあばるるままに、夜昼涙を流して、子生まむことも思はであるほどに、嫗、よろづにしありきて、その折のことのみなし出でつ。

(本文は小学館新編日本古典文学全集)

 月日が経ち、子供が生まれそうになるまで、女君は気がつかないでいると、9ヶ月というころに、召し使っている嫗が、食事をさせようと来て、首をかしげて見て言うには、
「おかしいわ、なんで、ご様子がいつもと違うのでしょう。もしや誰かと親しく”お話”などなさいましたか。」
返事には
「さあ、近くで、蓬や葎と語ったことはあるけれど」

「ふざけないでくださいな。ご冗談で済ませることのできるものではありませんよ。おばばには決してお隠しなさいますな。おばばは、まえまえから、そうじゃないかなあと拝見しておりましたが、申し上げませんでした。お相手はうかがいますまい。いつから月の穢れはありませんでしたか。たいそう日が近づいてきていらっしゃるようですのに、おっしゃってください。準備をしなきゃなりません。」
「不思議なことを言うわねえ。私はどうしたっていうの。"あれ"は9月ごころからなかったけれど、でも、そんなこともあるんじゃないかなあと思って、別に覚えてもいないわ。」
というと、嫗
「では今月か来月でいらっしゃいますね。まあひどい。こんなお体で、いままで自覚していなかった頼りなさ。おばばがいなくなったら、どうなることでしょう。わが君のために、このつまらないおばばの命も惜しくなります。」
といわれて、
(私のからだはそんなことになっていたのか)
と思うにも、たいそう辛い気持ちになって、恥ずかしくもなって、泣いているのを嫗は見て、
「いいですよもう、しかたがない。おばばが承知したからにはご心配なさいますな。野山に分け入ることになろうともお世話申し上げましょう。生まれる御子は宝とおなりになるかもしれません。ご出産なさいましたならば、おばばは、背負ってでもお世話しましょう。あなた様のお子のためには、骨からも甘い乳がでるでしょう。白髪頭も銀や黄金となるでしょう。つらい、悲しいなどと思いなさいますな。ただお手を洗い清めて神仏に「無事に出産できますように」と申しなさい。またこのおばばの命をお祈り下さい。」
と泣きながら言って、嫗は思い巡らして、片田舎に子供がいたので、そのところに行って、女君には詳しいことは言わないで、その時に必要なものを買い求める。さりげなく、
「最近はどのようにお過ごしですか。ああ、どうしましょう。お屋敷の中にはあれこれとお金になりそうなものはありますか。」
というと、女君は
「さあ、どんなものがいいのでしょう」
嫗「何でもかんでも、あるものを、どうにかこうにかして、多くはご出産のために使いましょう。」
というと、とても美しくしつらえてある唐鞍を取り出して、
「これは、何か使えますか。」
とみせると
「そうそう、これはたいそう役に立つでしょう。ほかにはございませんか。」
と問えば
「もうないわねえ」
という。
嫗はこれを持って、必要としているところへ持っていって、多くのお金に交換してきた。
絹や布などを買って、その準備をする。食事も節約して、出産のことだけに腐心して過ごす。
 女君は草が生えて荒れ放題な家でそのまま、夜昼涙を流して、子を産むことも考えられないでいるが、嫗は、あちらこちらに飛び回り、その折りの準備を進めていった。

さがな=「さがなし」の語幹。上品さや配慮に欠け、人を不快にさせるようすをいう。
かたき=相手。
御を=御ことを
身々となる=出産する。
唐鞍=飾り馬(儀装用の馬)に付ける装飾の多い鞍。大嘗会の御禊に供奉する公卿や賀茂祭の勅使の乗馬に用いる。(全集注)


俊蔭の娘、男子出産

 かくて、六月六日、子生まるべくなりぬ。気色ばみて悩めば、嫗、きもこころをまどはして、「平らかに」と申しまどふほどに、ことに悩むこともなくて、玉光り輝くをのこを生みつ。生まれ落つるすなはち、嫗、おのが布のふところにいだきて、母におさおさ見せず、ただまする折ばかりゐて来て、負ひかづき養ふ。
 君は、ことに悩むところなくて、起きゐたり。暑きころなれば、貧しき人のためにはいとよし。
(嫗)「これは大福徳におはしなむ。かく暖かげにつきておはしますは」
ほこありく。

(本文は小学館新編日本古典文学全集)

 こうして、6月6日、出産となった。産気づいて苦しんでいると、嫗は気が動転するばかりに心配して「ご無事で」と申しうろたえていると、とくに苦しむことなく玉のように光り輝く男の子を産む。
おまれ落ちるとすぐに嫗は自分の着物の懐に抱いて、母にはあんまり見せず、ただ乳を飲ませる時だけ連れてきて、あとは自分で背負って育てる。
 女君は、とくに苦しむこともなく、いまはもう起きている。暑いころなので、貧しい人のためには都合が良い。
嫗は「この子は大福徳でいらっしゃる。こんなにまるまると太って、なついていらっしゃる。」
といって、自慢げに歩く。

暖かげ=赤子がまるまると太っている様子
つく=なつく


「千の顔をもつ英雄」になぞらえて

 嫗、大活躍である。野性的とも言える生活力。損得なしの女君への献身。困難な局面を打開するのは、特別な力をもった、「魔法使い」の登場だ。
 ジョーゼフ・キャンベルは「千の顔をもつ英雄」で英雄の旅の出立において、「自然を超越した力の助け」があるという。この嫗をそれになぞらえることはできないだろうか。

「聖・俗」とはまた別の対立軸の「雅・鄙」


 貴種流離譚としてこの物語を捉えるならば、異世界への放浪がテーマとなる。俊蔭の物語はまさに、異世界としての波斯国での放浪であった。若小君にとっては、俊蔭邸が異世界に当たるかもしれない。俊蔭の娘にとっては、俊蔭邸がむしろ日常である。そんな彼女にとっての異世界とはなんだろうか。
 娘は若小君と歌を詠い合う。また、別れてからも歌を詠い若小君を偲ぶ。その一方、嫗の活躍がある。
 嫗はどこまでも現実的だ。唐鞍を売り払って金にする様子はその象徴でもある。出産についても即物的ではっきりとしている。このたくましさは、貴族社会の反照となる。
 「みやび」の対概念は「ひな」である。この鄙を描いていることは、「宇津保物語」の特徴とも言えよう。この「鄙」こそが、娘にとっての異世界なのかもしれない。

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