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宇津保物語を読む3 忠こそ#9

忠こそ出家 千蔭、帝に召され奸計を知る

 かくて、山に入りてすなはち、かしらろしむこと受けて、いとかなしげなる行ひ人にて、このつきて往にし師、法など受け尽くして、かしこき知恵なりければ、いとかしこき人にて、みな移しとりて行ふをも知ろし召さで、帝は里にあらむと思して、父おとどは内裏うちにさぶらふらむと思して、二十日ばかりになりぬるときに、内裏より忠君召しに、蔵人所のねり来たり。
 おとどおどろきたまひて、(千蔭)「内裏にさぶらはずやは。さいつころ、あからさまにまかでたりしかど、ここにははベらず、久しくなりはべり」と、おどろき騒ぎたまふ。御使、「忠君はさぶらひたまはで久しくなりぬ。一日、許されたまはざりける御暇を責めてまかでたまひにしままに、参りたまはずとてなむ、とうの君など急ぎ奉りたまへる」。おとど、「ここには、あからさまにまかでたりしかど、『許されざりしをしひてまかでつるなり』と申ししかば、帰り参りたるとなむ日ごろ思ひつる。内裏うちにもさぶらはざなれば、ただ今、あやしかり求めさせはべり」と奏せさせたまひて、手を分かちて、大願立てて求めさせたまへどなし。内裏よりも、御使を分かち求めさせたまへど聞こえず。
 内よりおとど召す。おとど、「かしこきこと聞こし召したなり。あらぬまでも恐ろし」とて参りたまはず。立ちかへり召すに、かしこまりて参りたまふ。上、「久しく参りたまはぬこと」など仰せたまひて、(帝)「忠はなどかなかなる。そこにはいつばかりか見えし」とのたまふ。(千蔭)「見えはべらでこの二十日ばかりになりはべりぬ」。上、「ここにも見えで、さばかりになりぬ。せちいとまを請ひしかば、『童ベもなき折なるを、しばしはなものせそ』といひしかば、そこに悩みたまふとあり、『とぶらひにものせむ』といひしかば、やんごとなきことにこそあなれとて、『あからさまにまかで、ただ今ものせよ』といひしままになむ見えぬ。ところどころに求むれど、なかんなるはいかなるぞ」とのたまへば、(千蔭)「千蔭もここばく求めさせはべるに、侍らぬは、世の中になくなりにたるにこそはべるめれ。侍らましかば、まさに見ではべらましやは」とて、泣きたまふこと限りなし。上、「心憂しと思ふべきことやものせられし。ここにはたさ思ひぬべきこともものせぬを、いかに思ひてにかあらむ。交じらひのついでにも、こともなき人なれば、思ひうんずべきこともあらじ。ただにてはよに隠れじ。親ばかりの責めのたまはむにこそうずることもあらめ」。おとど、(千蔭)「ここにものたまふこともはべらず。深きことにもはべらざりしを、いかなることにかはべらむ、人の告げたびしかば、いとあやしく覚えはべりしかど、ともかくものたまはで、『たいだいしきことはべるなり。今はえかへりみるまじくなむ』とばかりのたまふことありし」。(帝)「それにうんじたるななり。いささかなる気色も見せたまはず、かたじけなく恐ろしき者にならはしたうべるに、許されぬ気色のありけむに、思ひうんじけるならむ。いかやうなることをか聞きたびし。」(千蔭)「千蔭が上に災ひなることを奏しはべりつるとなむうけたまはりし」。帝、「さらにいふことなし。人の上にだにいふことなかりし人なり。いはむやさらに親の上にはいひてむや。心を知れらむ人は、さる逆さまのことをいふとも、まことと思ほしなむや。このことはさだめて知りぬ、人に謀られたまへるななり。便びんなることなれど、左大臣の上、昔よりよろしからず、心聞こゆる人なり。そのわたりよりいひ出だしたることななり」。おとど、ともかくも聞こえたまはで、泣く泣くまかでたまひぬ。
 かくて、思ほすに、帯よりはじめて、さまざまあやしきことどもをするは、一条のするなりけり。故君の今々となりたまふまでに、のたまひ置きしことに従はましかば、わが子を失はましや。けしからぬところに通ひ行きて、悲しきことを見ること。腹汚きことも、返す返すのたまひけりと思し嘆きつつ、もしりたまはず、ただいもひ、さうをしたまひて、忠こそにあひ見むとのみ行ひたまふ。

 こうして、山に入るとすぐに髪を下ろし受戒をしてとてもかわいらしい行者となり、この付き従った師は、修験道の修法などを全て修得した優れた知恵者であり、また忠こそもとても賢い人であるので、その教えをすべて修得して修行する。

 そんなことを帝も父大臣もご存じなく、帝は忠こそは実家にいるのだろうとお思いになり、父大臣は宮中にいるのだろうとお思いになって、20日ほどたった時、宮中から忠こそをお召しになるために小舎人が来た。
 大臣は驚いて、
「宮中にいませんか?先日急に退出してきましたが、ここにはおりませんで、ずいぶん経ちますが。」
と驚き大騒ぎとなる。
「忠君は宮中からいなくなってずいぶん経ちます。ある日なかなかお許しにならなかったお暇を、強いて退出したまま、お戻りにならないと、頭の君などが急いで私を派遣なさったのです。」
「ここにはちょっとの間いたけれど、『なかなかお許しにならない所を無理に退出してきました』と申しましたので、帰っていったのだろうと、ずっと思っておりました。宮中にいないということですと、心配ですのですぐに探させましょう。」
と帝に報告させなさり、手分けをして、神仏にも大願を立てて探させなさるが見つからない。宮中からも使者を手分けして探させなさるが音沙汰もない。
 宮中から大臣にお呼びがかかる。大臣は「畏れ多いあの噂をついにお聞きになったようだ。身に覚えのないことではあるが恐ろしいこと。」
とおもい参上なさらない。繰り返しお召しがあるので、恐縮して参上なさる。
帝「長く顔を見せなかったね。」などとおっしゃって
「忠こそはどうしていないのだ。おまえの所にはいつごろ顔を出したのだ?」
とおっしゃる。
「姿が見えなくなって20日ほどになります。」
「ここでも見えなくなってそれくらい経つなあ。どうしても暇をというので、『殿上童もいない時なので、しばらくは我慢せい』と言ったらおまえが病気だというので『お見舞いに行きたい』というので、それは大変なことだと思い、『少しの間退出したら直ぐに戻っておいで』と言ったきり見えなくなった。あちらこちらを探させたが見つからないのはどうしたことか。」
とおっしゃるので、
「わたくしもずいぶんと探させましたが、見つからないのは、もうこの世からいなくなってしまったのでしょうか。生きているなら見つからないはずがありません。」
といって、お泣きになることこのうえない。
「おまえ、忠こそが辛いと思うようなことをしなかったか。ここではそんな思いをさせるようなことはなかったが、何を考えてであろうか。人付き合いの点においても何の問題もない人だったから、嫌になるようなことはなかっただろうし。しかし何にも原因がないのにいなくなるはずはあるまい。親に叱られて、嫌になったんじゃないの?」
「わたくしもそんなひどいことを言ったつもりはないのですが、深刻に悩むようなことではないと思うのですが、どういう訳でございましょう、ある人から告げ口がありまして、たいそう不審には思いましたが、詳しいことは言わず『あってはならないことだ。もうおまえの面倒はみないよ』とだけ言ったことがありましたが。」
「それよ、それで塞ぎ込んでしまったのであろうなあ。今まで少しも嫌うようなそぶりも見せず、大切に扱われるのに慣れていたのが、急に拒絶するような態度を見せたので、辛くなったのだろう。どんな噂を聞いたのだ。」
「わたくしの身の上に災いとなるようなことを忠こそが帝に奏上したと聞きました。」
「そんなことまったく聞いてはおらぬぞ。他人の悪口さえ言うことのない子だよ。まして親を貶めるようなことを言うはずがあるまい。忠こその性格を知ってる人ならそんな道理の通らないことを言ったとしても本当のこととは思うまい。この件については今合点がいった。誰かに陥れられたのだろう。言いたくはないが、左大臣の北の方は昔からよくない性格だと噂されている。そのあたりから言い出されたことであろうなあ。」
大臣は、何も申し上げられず、泣く泣く退出なさった。

 こうして思い返してみれば、石帯紛失の件をはじめとして、いろいろと不審なことは一条の企みであったか。亡き妻が臨終の際に言い残したことに従っていたならば、わが子を失わずにすんだのに。一条のようなけしからぬ所に通ったために悲しい思いをすることだ。継母というものの腹黒さについては、妻は繰り返し忠告してくれたのに、と嘆きながら、政務もお勤めにならず、ひたすら清め慎んで精進をなさり、忠こそに再会できることばかりを請願なさる。


忠こそが泣いて出て行ったことを、父はどう思って見ていたのだろう。
ひどいことを言ったとは思ったろうが、親子間の甘えのためにそれ以上のコミュニケーションをとらなかった。

信頼は、裏を返せば甘えとなる。
恋愛の破局と、同じだね。

千蔭、北の方を疎み互いに手紙を返却する

 かかるままに、一条といふものを、よにも聞かじと思ほすに、かの北の方、ものしたまはぬことを思ひいられて、大願を立つ。おんやう巫女かんなぎを召し集めて、せぬわざわざをしたまへど、しるしなし。忠こそを失ひて思ほし嘆くことに劣りたまはず嘆きたまふに、おはしまし通ひける時にはしたまひける御文どもをとり出でて見たまふに、まして悲しく覚えたまひければ、その御文どもを、ぢんの箱一よろひにとり集めて入れて、大殿に奉れたまふとて、よろづの悲しげなることを書き集め、(北の方)「この御文どもは、これをだに形見と思へど、世の中に経むことも、今日明日に思ほゆれば、侍る時にとて奉れはベり。あはれなるものは、世の中になむはべりける」とて、
 (北の方)「思ひ出でてふみ見るごとに
   つらき瀬のみぞあまた見えける
聞こゆべきことこそ思ほえね」とて奉れたまへど、このおとど見たまひて、(千蔭)「あな心憂や。よしとも思はぬに、気色もなくかく恨みたまふかな。ここにこそ忠が上に、よろづにいみじきことをものしたまひけるに、恨み申さまほしく」とのたまひけれど、情けづいたまへる人にて、(千蔭)「日ごろは、あやしきことのあるに思ひたまへ騒ぎて、内にも参らでなむ籠りはべるに、そこにも参り来ずや。ここにも明日までえあるまじく思ひたまへられて。今はうしろすべき人もなければなむ。ここにもとり集めて奉る。水無瀬川は、
  浅きこそふみも見るらめ水無瀬川
  深き淵にぞわれは沈める」
とて、しrがねすきばこ二つに、この北の方の御文ども、あさつけたりしよりはじめて、返したてまつれたまふ。北の方、心細きこと限りなし。

(小学館新編日本古典文学全集)

 こんなことがあって、一条のことは、もうけっして耳にはするまいと思っていると、あの北の方の方では、大臣がいらっしゃらないことをじれったく思い、神仏に願掛けをする。陰陽師や巫女を集めては秘密の祈祷をなさるけれど、効果はない。忠こそを失って思い嘆く大臣に劣らず嘆いては、大臣が通っていらっしゃった頃に交わした手紙を取り出してご覧になると、いっそう悲しく思われるので、その文を沈香の箱一つに集め入れて、大臣に差し上げようと、いろいろな悲しげなることを書き集めては、
「この文の数々は、せめてこれだけでも形見にしようと思い残していたものですが、この世に生きているのも今日明日に思われるので、生きているうちにとお返しもうします。しみじみと悲しいことは、あなたとの仲でございました。」
とあり、

思い出し、あなたの文を見る度に水無瀬川
  辛いことばかりが思い出されるのです。

申し上げるべき言葉も思いつきません。」
と差し上げなさるけれど、大臣はご覧になって
「ああ、嫌なこと。私が何の愛情も持っていないのに、勝手に恨みなさることよ。そっちこそ、忠こそにいろいろとひどいことをしたくせに、恨み言を言いたいのはこっちのほうだ。」
とおっしゃるけれど、お人好しでいらっしゃるので、
「ここ数日奇妙な出来事のために落ち着いていられず、宮中にも参内せずに籠もっており、そちらにも伺いませんでした。私の方こそ明日まで生きていられる心地もしませんで、今となっては世話をすべき忠こそもいなくなってしまいました。わたしのところにもあなたの文を集めてお返しいたします。水無瀬川ですか。

浅いから踏むこともできるのでしょう。水無瀬川
  深い淵に私は沈んでゆくのです。

と、白銀の透かし箱2つに入れて、この北の方の手紙を、最初に受けとった浅茅につけた文をはじめとして全てお返しになる。北の方は心細いことこの上ない。


こんなかたちでしか愛情を表現できない、北の方の悲しいさが
おろかではあるが、これも純粋な愛のひとつのかたちである。

千蔭はそれに嫌悪感を感じつつも表面的には善意でもてなす。とことんお人好しである。
千蔭のこのお人好しが北の方を増長させたのだ。優しさは罪である。

道徳や人情や、いろいろな面からこの二人を非難することはできるが、しかしこれも「もののあはれ」の一つの姿かも知れない。


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