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宇津保物語を読む7 菊の宴(実忠抄)#3


前回からの流れ

 実忠は、それでも性懲りもなくあて宮へと歌を贈り続けます。いつまでたっても返事は来ません。これが最後と仲介の女房に泣きつき、その女房の努力もあってやっと返事をもらえますが、さらに歌を贈ろうとすると、「これが最後と言うから口添えもしたが、もう二度と仲介はしない」と厳しく断られ、ショックで気絶してしまいます。
 息を吹き返すもののショックから立ち直れない実忠は比叡山に登り、霊験あらたかな阿闍梨に供養を行わせ恋愛の成就を祈ります。

実忠妻、志賀に隠棲 実忠仲忠偶然に訪う

 かかるに、かの君の母君、聞こえたまふ人々、あるはただ入りに入らむ、あるは盗まむなどしたまひければ、いかで人も寄らざらむ所にあらむとて、志賀の山もとにぞありける。人の心に入れて造りたりける所の、山近く水近く、花紅葉どもの色々の草木植ゑ渡したる所に、住みたまひし殿をへて、忍びて渡りて住みたまふ。女どち、大人一人、童一人、下仕へ一人して、行ひをして、ある時にはこときんかき鳴らしてたまふに、秋深くなりゆくころの夕暮れに、秋風肌寒く、山の滝心すごく、鹿のはるかに聞こえ、前の草木、あるは色の盛り、あるは花の散りなどしてあはれなるに、母北の方、袖君、げて、いですのたちなど居て、北の方こと、袖君きん乳母めのとなどかき合はせて、北の方、
  秋風の身に寒ければつれもなき
袖君、
  見る人もなくて散りぬる山里の
乳母、
  ひぐらしの鳴く山里の夕暮れは
などいひつつ、うち泣きて居たまへるに、源宰相、かのこと果てて帰りたまふに、藤中将仲忠も志賀にこもりて、同じやうなることして帰り出づる、つじにて源宰相見つけたまひて、(実忠)「いづこよりぞや」とのたまへば、藤中将、
  (仲忠)入りぬべき道や道やと足引きの
  りうの山を立ちならしつる
源宰相、うち笑ひて、
  (実忠)露霜の置きそふ枝を嘆けども
  かひある山はわれもまだ見ず
をかしからむ紅葉もみぢ折りて、山つとにせむとて見たまふに、この家の垣根の紅葉、からくれなゐを染め返したる錦をかけて渡したると見ゆ。源宰相、(実忠)「情けある枝はかしこにぞあらむ」とて、まづ押し折るとて、
  (実忠)濃き枝は家つとにせむ
   つれなくてやみにし人や色に見ゆると
中将、
  (仲忠)山つとも見すべき人はなけれども
   わが折る枝に風もきなむ
とて折りて立ちたまへるに、なほこの家見もかず面白し。
人々え過ぎたまはで、源宰相、
  (実忠)里遠み急ぎてかへる秋山に
   しひて心のとどまるやなぞ
中将、
 (仲忠)ひとりのみよもぎの宿に臥すよりは
   錦織り敷く山辺にを居む
とて、この家にりたまひて見入るれば、まがきばな色深きたもとにて、折れ返り招く。源宰相、思すことはならず、年ごろのはいかにしけむ方も知らで、よろづにあはれに思ほゆれば、
  (実忠)夕暮れのまがきに招く袖見れば
   きぬ縫ひ着せしいもかとぞ思ふ
いもかど」のこわぶりに、北の方聞きたまひて、(実忠妻)「あはれにも失ひたる人こそあなれ」。北の方、「あなむくつけや。それは鬼の声ぞせむ。これは人の声にこそあなれ」とはのたまへど、それなりけり。(実忠妻)「げに似たる声かな」とのたまふに、なほかくあはれに覚ゆれば、北の方、
  ふるさとのつらきむかしを忘るやと
  かへたる宿も袖は濡れけり
袖君、
  立ち寄りし籬を見つつ慰めし
  宿をかへてぞいとど悲しき
とて、これかれうち泣きつつ居たまへるに、ちゆうもん押しけて、二ところ並び立ちたまへるを見たまひて、(実忠妻)「むくつけく、このわたりにありつらむ。あなかま、人々いひそ」とて、取りおろして入りたまひぬ。

(小学館新編日本古典文学全集)

 実忠が祈祷を行っている一方、あの真砂子君の母君は、言い寄る人々に難儀していた。あるものは無理にでも押し入ろうとし、またあるものは盗み出そうとするので、なんとかして、誰も近づくことの出来ない場所に移りたいと、比叡山に連なる志賀の山麓に移り住むこととなった。
 前の人が心を込めて造った家で、山に近く川にも近く、花や紅葉などの色とりどりの草木を植え渡した所に、もといた家から越してこっそりと忍んでお住まいになる。
 女だけの住まいで、侍女が一人、童女が一人、下女が一人だけ。毎日勤行をし、気が向けば箏や琴をかき鳴らして過ごす。
 秋がだんだんと深まる夕暮に、風は肌寒く、滝の音は荒涼と響き、鹿の鳴き声が遙か遠くに聞こえ、前栽の草木は鮮やかに色づく一方花は散りなどしてしみじみと風情があるときに、母北の方と娘の袖君は御簾を上げて、出居の簀子に侍女たちが控えるなか、北の方は箏のこと、袖君はきんこと、乳母は琵琶を奏でて合奏する。
北の方
  秋風の身にさむければつれもなき
   (人をぞ頼む暮るる夜ごとに)

袖君
  見る人もなくて散りぬる山里の
   (紅葉は夜の錦なりけり)

乳母
  ひぐらしの鳴く山里の夕暮は
   (風よりほかに訪ふ人もなし)

などと古歌をくちづさみながら、涙を流して悲しんでいた。

 ちょうどその時、源宰相(実忠)が、比叡山での祈祷を終えてお帰りになるところに、同じように志賀に籠もって恋愛成就の祈祷をしていた藤中将(仲忠)と、比叡辻でばったりと出会った。
 実忠は仲忠をご覧になり
「どちらからお帰りですか」と尋ねると

 (仲忠)仏堂に入る道はないものかと
   龍華の山を歩き回っておりました

源宰相はお笑いになり、
  露や霜が降りて色変わりする枝を嘆くことはしますが
  仏堂に入るのに甲斐ある山は私もまだ見つけておりません

と詠んで、美しい紅葉を折って山の土産にしようとご覧になると、ある家が目にとまる。

――それが北の方の隠れ住む家であることは知るよしもない。

 垣根の紅葉は、唐紅を染め返した錦を架け渡したかのように見える。
源宰相
「風情のある枝があそこにあるようだ。」といって、押し折ろうとし

  濃く色づいた枝は家への土産としよう
  冷淡なまま終わってしまったあの人も
  情けを見せてくれるかもしれないから

中将
  土産として見せる人は私にはいないけれど
  私が折り取る枝は風も避けて散らさないでほしい

と詠んで枝を折り、立ち去ろうとなさったが、それでもこの家は見飽きることなく風情がある。
二人はそのまま通り過ぎることも出来ず

源宰相
  人里から遠く急いで帰らなければならない秋の山に
  なぜか強く心惹かれるのはなぜだろう

中将
  ただひとりで蓬の宿に寝るよりは
  錦が織り敷かれている山辺におりましょう

と詠んで、この家にお入りになってご覧になると、籬のススキが色深い袂のように風になびいて招いているようである。
 源宰相は、あて宮への恋は実らず、長年連れ添った妻子は行方も知れず、なににつけしみじみと悲しく思われるので

  夕暮れの籬に招く袖のようなススキを見ると
  衣を縫っては着せてくれた愛しい妻かと思われる

 催馬楽の「妹が門」のような調子で詠う実忠の声のを北の方はお聞きになり、
「ああ、あの声はまるでいなくなった夫のよう。」
「気味が悪い、もし夫の声ならば鬼のような声のはず。でもこれは人の声のようだわ。」
とおっしゃるけれど、はやり夫の声に違いない。
「本当によく似ている声ですこと」
とおっしゃるにつけても、やはりしみじみと昔が思い出され

  ふる里の辛い昔を忘れようと移り住んだ住みかなのに
  やはり袖は涙で濡れるのですね

袖君
  父が立ち寄ってくれた籬を見ながら心を慰めていましたが
  住みかをかえるとさらに悲しいことで

と詠んで泣いて座っていらっしゃると、中門を押し開けてお二人が庭に並び立つ。
その姿をご覧になり
「気味の悪いことに、どうしてこんな所にいらっしゃるのでしょう。静かに、声を出してはいけませんよ。」
と言って御簾を下ろして奥へとお入りになる。


 北の方は都を離れ山里でひっそりと暮らす。
女ばかりでのんびりと暮らそうとした矢先、よりにもよって何も知らない実忠が偶然に訪れる。しかし北の方にとっては実忠は二度と会いたくない男である。

 このような場面の女の心情を、源氏物語では「はずかし」と形容していたように思う。(なんとなくのイメージだが)
しかしここでは「むくつけし」である。

 世俗に背を向けて隠れ住むことに対して、
それを知られて「はずかし」と内向するか、
隠遁生活を脅かす存在として男を「むくつけし」と拒否するか。

北の方は意志の人である。

かつて俊蔭の娘は北山のうつほで琴を奏で夫兼雅を導いた。
実忠の妻子は琴を奏ではしたものの、その音を実忠は聞き知ることもない。
北の方が心を閉ざしているからである。

ならば、このニアミスの結果は自ずと知れよう。
きっと実忠は妻であることに気付けはしまい。

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