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宇津保物語を読む 俊蔭2

(テキストは小学館新編日本古典文学全集より引用)

俊蔭、遣唐使となる

そのほど、俊蔭がかたちの清らに、才のかしこきこと、さらにたとふべきかたなし。父母、まなこだに二つありと思ふほどに、俊蔭十六歳になる年、唐土船だしたてらる。こたみは、ことに才かしこき人を選びて、大使副使と召すに、俊蔭召されぬ。父母、悲しむこと、さらにたとふべきかたなし。一生に一人ある子なり。かたち身の丈、人にすぐれたり。あしたに見てゆうべのおそなはるほどだに、くれなゐの涙を落とすに、遥なるほどに、あひ見むことの難き道に出で立つ。父母俊蔭、悲しび思ひやるべし。三人の人、ひたひを集へて、涙を落として、出で立ちて、つひに船に乗りぬ。

テキストは小学館新編日本古典文学全集

そのころ、俊蔭の容姿が美しく、学才の優れていることは、まったくたとえようのないものであった。父母は眼でさえ、二つあるのに(この子は一人しかいないのだ)と、思っているうちに、俊蔭十六歳の年に、遣唐使船を出すことになった。

父母悲しむこと、まったくたとえようもない。一生のうちに一人しかいない子なのだ。容姿や身の丈が人よりすぐれている。朝あって夕方の帰りが遅くなるのでさえ、血の涙を流す(用に悲しむ)のに、遥遠くに再会することの難しい旅路に出発する。父母や俊蔭の悲しみどれほどであるか察せよう。親子三人額を寄せ合って涙を落とし、出発して、ついに船に乗った。

 「さらにたとふべきかたなし」ということばが、これだけ近い中に2回も出ているのは稚拙といわざるをえない。

俊蔭の美質としてやはりまた背丈がでてきた。他の物語作品の中に「身の丈」に触れているものはあるのだろうか。調べてみても面白い。

遣唐使が最後に派遣されたのは838年。道真の進言によって廃止されたのは894年である。

宇津保物語の成立は未詳であるが、円融朝(970年代)以降らしいので、当時にして150年程前が舞台になる。


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