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宇津保物語を読む6 嵯峨の院(仲頼抄)#1


「嵯峨の院」と仲頼

 この「宇津保物語を読む」もいくつかの巻を飛ばしながらも「吹上」まで読むことができました。琴にまつわるエピソードと主要人物である、藤原仲忠、源涼、あて宮の紹介をすることを目的としてここまで読んできましたが、やはり脇役となっている人物にも触れておこうと思い、ちょっと、ここで後戻りしたいと思います。

 まずは、「吹上」訪問のきっかけとなった源仲頼についてです。

 仲頼は、「俊蔭」から行政とならぶ音楽の名手として登場し、帝、東宮の音楽の師であり、さらには仲忠に笛を教授していました。そんな仲頼のプロフィールが、「吹上」前巻にあたる「嵯峨の院」後半で紹介されています。そこで興味深いのは、仲頼の妻とその家族の存在です。
 今シーズンは、「嵯峨の院」から、仲頼に関係する章段を抜粋して読んでいきます。

源仲頼の紹介 仲頼宮内卿忠保の婿になる

 かくて、左近少将源なかより、左大臣すけなりのおとどの二郎なり。この少将、三十、世の中にめでたき者にいはれけり。穴あるものは吹き、あるものは弾き、よろづの舞数を尽くして、すべてぐさのわざ世の常に似ず、かたちもいとこともなし。世の中の色好みになむありける。よろづのこと、笛、この人の手かけぬはいとわろし。帝、東宮にも、いとになく思す御笛の師なれば、常にさぶらふ。いとかしこく時めきて、ただ今の殿上人の中に、仲頼、行政、仲忠、仲澄にまさる人はなし。この四人が願ひ申さむつかさは、年に五度六度も賜はむとなむ思ほしける。
 左大将殿の君だちも、やすどころただ今の時の盛りにておはしませば、その御ゆかり、よすがをば、わが御位をも譲りてむと思せど、なほその中に、藤侍従仲忠、いみじき時の人なりければ、よろづの人、住まずとは知りながら、婿取りたまへど、よるを重ねたまひてとぶらふなし、あやしきたはぶれ人にてありける中に、仲頼は、天下のいちゐんさんぐう婿取りたまへど、取られず、しろがねがね、綾、錦をもものとも思へらず、あやしくたぐひなき好き者にて、天女下りたまふらむ世にや、わがめこの出で来む。あめの下には、わがめこにすべき人なし、となむ思へりける。
 さて、浮きてのみあり経るに、宮内卿在原ただやすの娘を、世の中に名高く聞こゆるありけり、そのぬしも、もとより勢ひなくわろき人の、とくなるつかさにて年ごろ経ければ、ないいと悪きに、この娘かくめでたう、東宮にも、「参らせよ」などのたまはすれど、え宮仕へなどにも出ださずなどしてありけるに、この仲頼の少将、せちによばふ。そのかみ父ぬし、(忠保)「かかるたはぶれ人と名はふるとも、わが娘につきて世を尽くさむとも知らず。宿すくをも見む。たとへ住まずといふとも、われのみかかる恥を見ばこそあらめ。一院三宮、大臣公卿の、娘も、さこそ捨てらるめれ。さるを見つつここらの人の婿に取りたまふもやうあらむ。天下、綾、錦を敷きて飾るとも、住まずは住まじ。わが子、むぐらの下、わらあくたの中に住むとも、宿世のあらば住みなむ。をのこはいたはるにもつかぬものぞ」などいひて、この娘に婿取りつるに、思ふといへばおろかなり。会はせしよりかいつきて、あはれにいみじき契りをす。片時ほかに泊まることなく、まれにうちに参りては、すなはち急ぎまかでつつ、例ありしやうに宮仕へもせず、限りなく思ふ。こと人のめでたきさううぞくし、ぢんかうめてしつらひめでたくてあるをば、鬼、けだもののくふ山に交じりたる心地して、ただこの女、世になき者と思ふ。げにめでたきこと限りなし。(仲頼)「この世に経む限りは、さらにもいはず、後の世にもかかる仲に生まれ返らむ」などさへいひ契りて、五、六年あり
  〔絵指示〕宮内卿の殿。娘、少将、御達二人。父ぬし、母の物語。人どももあり。

(小学館新編日本古典文学全集)

 さて、左近少将源仲頼は左大臣源祐成の次男である。この少将は、年齢30歳。当世一の優れ者といわれている。
穴のあるもの(笛)は何でも吹き、弦のあるもの(琴)も何でも弾き、多くの舞も何でも舞い、すべての芸能に卓越しており、容貌も申し分がない。当世きっての色好みである。
楽器に対するこだわりも強く、さまざまの琴や笛が宮中には存在するが、この人が触ろうとしない楽器はその程度のものである。
帝や東宮にとっても、またとない笛の師であるので、常におそばに控えている。たいそう時勢に乗っており、今の殿上人たちの中では、仲頼、行政、仲忠、仲澄に優る者はいない。この4人が願い出る官職については、春夏の除目に限らず、年に5回でも6回でも与えたいと帝がお思いになるほどである。
 今を時めくご一族といえば、左大将殿のご子息たちである。ご息女の御息所(仁寿殿の女御)は帝の寵愛も篤くいらっしゃるので、その親類縁者たちには、帝はご自分の位をも譲ってしまおうとお思いになるほどであるが、それ以上に羽振りがよいのは藤侍従仲忠である。多くの貴族たちは、どうせ落ち着いてはくれないだろうとは解っていても、仲忠を婿取りなさるが、二夜と続けて通うことはない。たいそうな遊び人ではある。が、それに引き換え、仲頼は、天下の一院三宮といわれる高貴な方々が、婿にと望まれるけれど、お受けにならない。白銀、黄金、綾、錦のような財宝も、なんともお思いにならない。これまたたいそうな風流人である。天女が天から下りてきたら、妻も出来るだろう。今の世にはわが妻にすべき人はいないと、思っているようである。
 さて、そんな浮いた生活をしているころ、宮内卿在原忠保の娘に、世間でも評判の美女がいた。その父は、もとより勢力のない不遇な人で、実入りのよくない官職に長くついていたので、家計はたいそう貧しかった。そのため、この娘がたいそう美しく、東宮からも参内するようにとのお誘いがあっても、宮仕えなども出すこともできずにいたところに、この仲頼の少将が熱心に求婚をしてきた。
 父親は、「このような遊び人と評判のものではあるが、案外私の娘婿として一生を通すかもしれない。娘の運命にかけてみようか。たとえ寄りつかなくなったとしても、私だけが恥をかくわけではない。一院三宮や大臣公卿の娘であっても、そのように捨てられることはあるのだ。それを知りつつ、多くの人は婿に取ろうとなさるのも、やはり何か理由があるのだろう。この世では、綾錦で邸を飾り立てたとしても、婿が住み着かないときは住み着かないのだ。私の子が葎の下、藁くずの中に暮らしていたとしても、運命で結ばれていたならば、きっと住み着くであろう。男というものは、たとえ大切にいたわったとしても、だめなときはだめなものだ。」
などといって、仲頼を婿として迎えると、その愛情たるや驚くほどで、初夜からそのまま家に居ついてしまい、たいそう深い契りを交わす。片時もほかの家に泊まることもなく、時々宮中に参上したかともうと、すぐに急いで帰ってくるような具合で、今では熱心に宮仕えもせずに、この娘のことばかりを愛して過ごしている。ほかの女性が、きれいな装束を着て、沈香やじやこうき染めて部屋を飾り立てていたとしても、鬼や獣が巣くう山に迷い込んだ気持ちになって、ただただこの宮内卿の娘のことをこの世に二人といない愛しい者と思っている。まったく結構なことこの上ない。
「生きているかぎりは言うまでもなく、来世でもこのような仲となって生まれ変わろう。」
などと約束を交わしつつ、5、6年がたった。
〔絵指示、省略〕


 当時の結婚は婿取り婚で、男の生活は、妻の実家が世話をしていました。「藤原の君」で紹介された左大将源正頼は、広大な邸宅に多くの娘婿たちを住まわせて、生活の世話をしていました。
 正頼の婿たちにとっては、正頼の経済的・政治的後ろ盾は、政界で活躍するためにも必要なものだったでしょう。本文でも仁寿殿の女御の寵愛にあやかって、正頼のみならず婿たちも政治的に厚遇されています。また、多くの婿を自分の家に住まわせることは、正頼にとっても悪いことではなく、一大派閥を形成することとなり、政界への影響力を発揮する点においても、意味のあることだったのでしょう。まさにWin-Winの関係です。

 ところが仲頼は、多くの貴族から婿にと請われていたにもかかわらず、美人ではあるものの、貧しい宮内卿の娘を妻にしてしまいます。芸術家肌の「好き者」らしい選択です。
 「吹上上」で、仲頼が吹上への旅費の工面に苦労する場面が描かれていましたが、じつはこういった背景があったのです。

 金銭的裕福さよりも女への愛を優先した仲頼。これほどまでに愛されていたならば、宮内卿の娘も幸せでしょう。

が、しかし、宇津保物語は貧しさを描くときには、妙にリアルです。

 仲頼が自活できるほどの力を持っていたならばよかったのですが、いかんせん仲頼は甲斐性なし。音楽家としては優れているのですが、妻を経済的に支えるほどの力はまだありません。でもまあ、妻一人を溺愛しているあいだは、これもいいでしょう。「貧乏な愛妻家」というキャラもたつことになりますし。

さて、これからどうなりますか。

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