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宇津保物語を読む 俊蔭Season2 #8(Season2終了)

嫗、瑞夢を語り、子の将来を期待する

 かかるほどに、この母君、わびしきこと、いやますますに覚えて、子の親にさへなりて、思ひがるるに、この子、養ひもてゆくままに、玉光り輝きて見ゆれば、あはれ、祖父おほぢおはせましかば、いかにいつきかなしび養ひたまはまし、と思ふも悲し。
おんな、「故おとどおはしまさましかば、綾、錦にまつはれて生ひ出でたまはまし」といへば、
(俊蔭娘)「いで、さらなりや。思ひ出づればいといみじ。親ので養ひたまひしときは、われ、かからむとやは思ひし」とていみじう泣きて、
「わが宿世すくせのがれざりけるを、あまかけりても、いかにかひなく見たまふらむ。親のおはせしとき、まづ死なましものを」と泣き焦がるれば、
嫗、「いで、あなさがなや。なほ、な思ほしそ。今は心地落ちゐにたり。かかる宝を持ちては、何ごとをか思すべき。このうしつは、嫗、夢に見たてまつりたり。いとうつくしげにつややかになめらかなるくけばりに、はなだの糸をぞ左糸、右糸によりて、一ひろ片脇ばかりすげたるを、はしたかぞ、君のまえに落としつる。その針をぞ、いとかしこく行ひさらぼへる行者ぞ、君の御下がひのおくびに、つぶつぶと長く縫ひつけて立ちぬる。さてとばかりあれば、その針落としつる鷹は、この針を求むるやうにて、そのわたりをかけりて見るに、君持たまへりと見て、御袖の上にゐて、さらに立たず、とぞ見たまへし。あやしさに、夢合はする人に合はさせはべりしかば、『いとかしこき夢なり。その見えけむ人は、上達部の御子生みて、つひにその子の徳見むものぞ。もし、ねんに中絶ゆることやあらむ』となむ合はせし。されば、おもとの御栄えの初めなり。多く見たまふるに、針にて見ゆる子は、いとかしこきけうの子なり。嫗の、丹波に侍るの童生まむとて見たまへしやうは、いと使ひよき手作りの針の、耳いと明らかなるに、信濃しなののはつりをいとよきほどにすげて、嫗のきぬに縫ひつく、と見たまへし。それだに、いかがはべる。ただそれにかかりてこそは、生きめぐらひはべれ。立ちぬる月にも、おもとの御ことのたまひ語らはむとて、まかりたりしかば、白きよね三斗いつます大麦かちかた七斗くれてはべりしをこそは、とかくにしはべりしか。何にか思し入るる。あなをさな。五歳いち六歳むうちか。おほよそ子生みたまへりともなくて。とかくうちして、世をたまはむに、などかあらむ。かく恋ひたまはむや。さのみえならぬ人もこそあれ。いであなあぢきな。あたら御かたちを」といへば、
いらへ、(俊蔭娘)「いでや、などてかさはしかは惑ふべき。あないみじや。さやは思ひし」。
嫗、「わびたまふな。かのことぞや。そこそは、世の末、なのめにはかなげにやはおはする。されば、たからの王ぞ」とて、この子をささげて養ふ。
 かくて、泣き暮らし、嘆き明かす月日、はかなく過ぎゆく。出で来そふものはなくて、いささかなりし身の調度などありしは、嫗、失ひ使ひつつ、月日るままに、ただ涙の海をたたへてゐたり。

(本文は小学館新編日本古典文学全集)

 こうしているうちに、この母君、辛く思う気持ちがますます強くなり、この親になっても、父俊蔭を思い焦がれているが、この子は育てるにつれて、玉のように光り輝いて見えるので、
(ああ、この子のおじいさまがご存命であったならば、どれほど、大切にかわいがり育てなさっただろうに、)
と思うのも悲しい。
嫗が「亡くなったご主人様がご存命でしたならば、綾や錦にくるまれて成長なさってでしょうに」
というと。
「ええ、もちろんだわ。思い出すのも辛いこと。親になでられ育てられたときには、私はこんなことになろうとは思わなかった。」
といって、たいそう泣いて、
「私の宿世の逃れられないのを、父は空を巡りながら、どれほど甲斐がないこととご覧になっていることでしょう。親が生きているうちに先に死んでしまいたかった」
と泣き、焦がれると、
「まあ、とんでもないこと。それでもそんなことを考えてはいけません。出産も無事に終わり、今は気持ちも落ち着いてきたでしょ。こんな宝のようなお子を持って、何の心配がありましょう。
昨夜、丑三つ(2時)ころおばばは、夢を拝見しました。たいそう美しく、艶やかでなめらかなくけ針に、花田色の糸を左糸右糸に撚って、一尋半ほどに通したものを、ハシタカが、あなた様の御前に落としました。その針を、たいそう賢く修行して痩せた行者があなた様の下がいのおくびに、つぶつぶと長く縫い付けて立ち去りました。しばらくしてその針を落とした鷹はこの針を探してその周りを飛んでいると、あなた様が持っているのに気づき、袖の上に止まって決して立ち去ることはなかった、という夢を見ました。不思議に思って夢合わせをする人に占ってもらいましたら、
『とてもすばらしい夢です。その夢に見た人は上達部のお子を産んで、ついにはそのお子の繁栄を見るのです。もしかしたら、自然と二人の仲は絶えることもあるでしょうけど』と占いました。ですから、これはあなた様の繁栄の第一歩なのです。
私も多くの夢を見ましたが、針の夢を見た子はとてもすばらしい孝行の子です。おばばの丹波におります女の子を産むときに見た夢の様子は、とても使いやすい手作りの針で、穴が大きく開いているものに信濃のはつり糸をちょうど良い具合に通して、おばばの衣に縫い付ける夢を見ました。そんな夢でさえ、どうだったでしょう。いまは、その娘のおかげで生きているようなものです。先月もあなた様のことを相談しようと、出かけましたところ、白米3斗5升、大麦7斗を分けてくれたことで、あれこれと過ごすことができました。何をご心配しているのですか。まあ、幼いこと。5,6歳の子供のようですよ。まったく子供をお産みになったふうではありませんね。あれこれして、世間を渡っていくのに、そんなことでどうするのですか。そんなに恋しくお思いになるのもどんなものでしょう。そのように成長できない人もいていいものか。ああ、あじけない。美しいお姿が台無しです。」
というと、返事には
「いいえ、どうしてそんなに迷いましょうか。ああひどい。そんな風には思っていないわ。」
「心配なさいますな。この子のことですよ。それこそは、将来はありふれたつまらないものになるはずがありません。その子は、宝の王ですよ。」とこの子を捧げるようにして、世話をする。
 こうして、泣き暮らし、嘆き明かす日々ははかなく過ぎてゆく。収入はなく、すこしばかりの調度品などは、嫗が売り払っては使い、月日が過ぎるにしたがい、ただ涙に暮れてばかりいた。

ましかば~まし=反実仮想。
丑三つ=丑は午前1時から3時までをさす。三つは、その2時間を4等分し、一つ、二つと数えたものの3番目。午前2時から2時半。
くけ針=くけ縫いに使う針。
    くけ縫い=和裁で、布端を始末するときに、
         縫い目の糸が表から見えないようにする縫い方。
縹=薄い藍色。
一尋=両手を広げた長さ。片脇はその半分。
鷂(はしたか)=鷹狩りに使う小型の鷹。ハイタカ。
下がひ=着物の前を合わせたときの下側。
おくび=着物の前えりからすそまでに縫いつけてある細長い布。
見たまふる=「たまふ」は下二段に活用しているので、これは謙譲語。
はつり=絹布の類いをほぐし、縫い糸にしたもの。
1斗=18リットル=10升


めそめそと泣いてばかりいる娘を嫗は子供を心の支えに頑張れと励ます。母となれば強くもなろうが、娘はまだまだその自覚がない。そんな娘に嫗は夢のお告げを告げる。

夢は何の意味を持つか。

 針の夢は「孝行な子を得る」という吉夢として占われている。それは、嫗の実体験とも結びつけられてもっともらしく語られる。このような夢合わせが当時信じられていたのか、検証しようがない。
では、現在はどうかと思って、ネットで検索すると、いろいろでてくる。危険だとか、困難を意味するとか、恋愛成就だとか。
 針の危険なイメージがそのような占いに現れているのだろう。つまり、夢占いの根拠は人の持つその物事に対するイメージであろうか。
 夢占いや精神分析は、夢という結果から、その原因を探るものである。占いでは超自然的な運命などにも原因を求めることがあるが、心理的なものに限定するのが精神分析であろう。運命を排除する分だけ、合理的というわけだ。
 不思議な夢を見て占ってもらう。とうてい普通の感覚では意味がわからない。そんな脈絡もないものごとに筋道をつけて、占い師(もしくは心理学者)はあざやかに説明する。その結果を納得するためには、その筋道が我々の日常感覚から逸脱することなく、沿ったものでなければならない。一見無関係に思えることが実は結びつくのだと思い込むことができた時はじめてその解釈を信じるのだ。
主観を排するという科学の前提・合理性はそこにはなく、学問と言うよりも文学的創造のような気がする。
 夢というのはフロイト以降、無意識の象徴であるとされ、いろいろと意味づけられている(例えば抑圧された願望の表れとか)。
でもそれには、どんな根拠があるのだろう。検証はできるのだろうか。思いつきや屁理屈(文学的創造)ではないだろうか。
 夢を帰納的に分析しそれを演繹して判断するには、人の無意識はみな同じ構造をしている必要がある。同じインプットから同じアウトプットがなされるためには、ブラックボックスの中身は同じでなければならない。たしかに、同じDNAをもち、同じような環境で過ごす人間であれば、無意識も似たようなものになるかもしれない。
 しかし、例えば、オーストリア人のフロイトと、日本人である私の無意識の構造が同じだといえるだろうか。重なるところはあるかもしれないが、大切な部分では絶対に違うと思う。同じインプットから、日本人と西洋人は違うアウトプットがあると考えるのが普通だろう。さらにいえば、私とあなたとも違うはずだ。

だから、夢というものを科学的に分析するならば、むしろ違うアウトプットがなされることにこそ注目すべきなのではないか。
 針を危険なものではなく、孝行息子が生まれる吉夢と判断するのは、どんな価値観を無意識の中に取り込んでいるからなのか。そこから当時の文化をしる糸口になるのではないか。
(などと、シロウト考えをしてみました)

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