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宇津保物語を読む 俊蔭Season5 #1

仲忠元服 帝、往時を回想、琴の伝承を問う

 十六といふ年、二月にかうぶりせさせたまひて、名をばなかただといふ。上達部の御子なれば、やがてかうぶり賜ひて、殿上せさせ、うへも東宮も、召しまつはしうつくしみたまふ。上、大将に、(帝)「いづくなりし人を、かうにはかに、いというにては取り出でられたるぞ」と問はせたまへば、(兼雅)「年ごろははべるところも知りたまへざりし、ひととせ見いでてはべり。ものなど少し心得てのち、交らひはせむと申ししかば、さもはべることなりとて、籠めはべりつるなり」と奏したまふ。(帝)「たが腹ぞ」と問はせたまへば、(兼雅)「故治部卿俊蔭が娘の腹にはべり」と申したまへば、上おどろかせたまひて、(帝)「いかにぞ。三代の手は伝へたらむな。かの朝臣、唐土もろこしより帰り渡りて、嵯峨の院の御時、『この手少し伝へよ』と仰せられければ、『ただ今大臣の位を賜ふとも、え伝へ奉らじ』と奏しきりてまかでにしより、参らで、中納言になるべかりし身を沈めてし人なり。さるはいみじきいうしよくなり。ただ娘一人ありける。年七歳より習はしけるに、父の手にいと多くまさりて弾きければ、父、『この子はわがおもて起こしつべき子なり。これが手よりたれもたれも習ひ取れ』となむ言ひけると聞きしかば、俊蔭がありしときにせうそこなどして、くなりてのち、尋ねひしかど、亡くなりにたりしと聞きしは、そこに隠されたるにこそありけれ。いと興ありや。かの手は、三代はましてかしこからむ」とのたまはすれば、大将、(兼雅)「さはベるべけれど、殊なることもはべらざるべし。代々のついでとして、一手二手などもや仕うまつらむ」と奏したまふ。
かくてのちなむ、さは、この三条の北の方は俊蔭の娘と人知りける。(人々)「年ごろは、いかなりける人ならむ、いみじき色好みを、かくあからめせさせたてまつらぬこと」と、あやしがり聞こゆるもあり。また、(人々)「卑しき者をとりすゑて、いふかひなくまつはされたまふぞ。色好みのはてはかくぞあるや。あやしき者にとまるとは」などぞ、安からず聞こえける。
この仲忠、帝も東宮も、片時まかでさせず、召し使はせたまふ。琴はさる世のいちなれば、たふたふにせねど、こと遊びは、なかよりゆきまさが手を伝へしもののなれど、この師の手にも似ず、ものよりことに抜け出でて、いづこよりたが手を伝へけるぞとのみ聞こえたり。かたちよりはじめ、交らひたるさまなど、もどかしきところなく、かどかどしく、目も及ばずすぐれ出でたれば、上達部、親王たちよりはじめたてまつり、ほめでたまふ。

(本文は小学館新編日本古典文学全集)

 16歳になった年の2月に、元服をさせなさって、名を仲忠とつける。上達部の御子であるため、そのまま官位を授かり、従五位下として昇殿させ、帝も東宮も、おそばにお召しになり、かわいがりなさる。
 帝は大将に
「どこにいた人をこのように、急にたいそう優れたものとして連れ出して来られたのだ」
とお尋ねになると、
「長年消息もわからなかったのですが、昨年見つけ出しました。作法など少しばかり身につけさせた後、宮仕えさせようと母が申しましたので、それもそうだと思い、外に出さずにいたのです」
と奏上なさる。
「誰の産んだ子なのだ」
とお尋ねになるので
「亡き治部卿、俊蔭の娘の子でございます」
と申し上げなさると、帝はたいそう驚きなさり、
「なんと、それでは三代の手は伝承されたのだな。あの俊蔭の朝臣は唐より帰り、嵯峨院の御代に『この琴の手法を少し伝授せよ』と帝がおっしゃったところ、『今すぐ大臣の位を授かろうとも、伝授申し上げることはできません』と奏上したまま退出してより、二度と参内せず、中納言になって当然であった身を不意にしてしまった人なのだ。それにしてもすぐれた学識のある者であった。たった一人娘がおり、7歳の時から琴を習わせていたが、父の手法よりたいそう勝って演奏するので、父は『この子は私の面目を立ててくれる子だ。この子から皆琴の手法を習いとれ』と言ったと聞いていたが、その俊蔭が存命の時には使者を送ったりしていたが、無くなった後、その行方を捜させたが、死んでしまったと聞いていたが、それではおまえが隠していたのだな。たいそう興味深い。あの琴の手法は三代目となれば、さらに優れているのであろう」
とおっしゃると、大将は
「そのはずですが、特別なこともございません。代々伝承された手法として、ひとつふたつはお聞かせできるでしょうか」
と奏上なさる。

 この後、なるほど、この三条の北の方は俊蔭の娘であったかと人々は知ることとなった。
「どのような人なのだろう、ここ数年は、たいそうな色好みな大将を、脇目も触れさせず、このように虜にしてしまうとは」
と不思議がるものもいる。また、
「身分の賤しいものを呼び寄せて、いいようもなく身近に侍らせていらっしゃることだ。色好みの行き着くはてはこんなものか。賤しいものに落ち着いてしまうとは」
などと心やすからず噂する。

 この仲忠、帝も東宮も、片時もおそばから離しなさらず、召し使いなさる。琴は天下随一のものであるので、めったなことでは演奏なさらないが、他の楽器は、仲頼、行政が伝授したのであるが、師匠の奏法にも似ず、誰よりも特に秀でており、どこから誰の奏法を伝授されたのか、とばかり思われた。
容姿から交際する様まで、非の打ち所もなく、才走っており、目を見張るほどに優れているので、上達部や親王たちをはじめ多くの方々がお褒め、かわいがりなさる。


仲忠元服、宮仕えデビュー。何事にも秀で、注目の的である。
俊蔭の血筋であることも知れ渡り、琴の奏法にも期待が集まる。
俊蔭とその娘はレジェンドとして帝たちの記憶に刻まれていた。
しかし、父大将は,政治的な勘も働き、琴については秘密を守る。
何事も“秘すれば花”である。安売りはしないのだ。

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