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宇津保物語を読む 俊蔭Season3 #4(Season3終)

子七歳、祖父の琴の手をすベて習得する

 かくしつこの琴を弾くを聞くほどに、この子七つになりぬ。かの祖父おほぢが弾きし七人の師の手、さながら弾き取りはてつれば、夜昼と弾き合はせて、春はおもしろき草々の花、夏は清く涼しき陰に眺めて、花、紅葉の下に心をすましつつ、わが世は限り、命あらむに従はむ、と思ふ。琴は残る手なく習ひ取りつ。この子へんの者なれば、子の手母にもまさり、母は父の手にもまさりて、ものの次々は劣りこそすれ、このぞうは伝はるごとにまさること限りなし。

 こうしてこの琴を弾くのを聞くうちに、この子は7歳になった。あの祖父が弾いた7人の仙人の師の手をすべて弾き覚え尽くしたので、親子は夜昼となく合奏をして、春は風情のある草花、夏は清々しく涼しい木陰から周囲を眺め、秋は花や紅葉の下で心を澄ましながら、母は、「私の人生は命の限り、運命に従って行きてゆこう」と思う。
 琴の手法はすべて習得した。この子は変化の者なので、この手法は母に勝り、母は父にも勝って、普通、物事は受け継がれるうちに次々と劣ってゆくものだが、この一族は伝わるごとに勝ってゆくのだった。

眺む=物思いにふける。遠くを眺める


  すべての曲と手法を伝授する。そして自然の中で自然と一体化して奏でる。「自然と一体化する」というのは道家の思想にも見られる芸術の奥義である。これこそが異世界である山奥において秘術の伝授がなされるいわれであり、俊蔭が波斯国の花園で琴の秘術を習得した様に重なる。

俊蔭よりも娘が、そして娘よりも孫がよりすぐれた奏者となる。まさに祝福された琴の一族である。この子はまさに約束された三代目、神仙の生まれ変わり、やがての活躍が期待される。


子十二歳、母子とも美しく、猿に養われる。

 かくて、この子十二になりぬ。容貌かたちのうるはしくうつくしげなること、さらにこの世の者に似ず。綾、錦を着て、玉のうてなにかしづかるる国王の女御、后、天女、天人よりも、かかる草木の根をくひものにして、岩木の皮を着物にし、獣を友として、木のうつほを住みかとして生ひ出でたれど、目もあやなる光添ひてなむありける。母も父君添ひていつきかしづきしときよりも、顔かたちはまさりて、めでたきこと限りなし。この年ごろ、ただこの猿どもに養はれて、こよなくたよりを得たる心地するもあはれなり。水ははすの葉の大きなるに包みて持て来。いも野老ところくだもの、さまざまなる物の葉に包みて、持て来集まる。

(本文は小学館新編日本古典文学全集)

 こうして、この子は12歳になった。容貌の麗しくかわいらしいこと、まったくこの世のものとも思われない。綾・錦を着て玉の台にかしずかれている国王の女御や后、いや天女・天人よりも、――このように草木の根を食べ物として、岩木の皮を着物にし、獣を友として木のうつほをすみかとして成長したけれど――まばゆいほどに光り輝いている。
母も父君がそばで大切に育てていたころよりも、顔かたちはまさり、美しいことこの上ない。
近年は、ただこの猿たちの世話を受けて、それをとても頼もしく感じているのは不憫である。水は蓮の葉の大きなものに包んでもってくる。芋や野老、果物は色々な葉っぱに包んで持ってくる。

めもあやなり=まばゆいほどにりっぱだ


ついに12歳。光源氏は12歳で元服をした。

この子は仙人の生まれ変わりであり、やがて主人公になるので美しいのはもっともなことだが、興味深いのは母である。

 母が美しくなったのは、やはり山の霊気を取り込んだためであろうか。それはここが仙境であることの暗示か。

アウトドアライフで健康的になって……などということはないだろうから、この美しさは健康美よりも、妖艶な神秘的な美しさをついイメージしてしまう。人であることを超越した存在になりつつあるような、そんなイメージである。

さて、山のうつほという異世界で琴の伝授も無事になされた。異世界から現実世界に戻り、やがてこの子は都で活躍することになる。現実世界に戻る時はもうそう遠くない。

都に戻る顛末は次回Season4にて語ろう。

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