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宇津保物語を読む 俊蔭5
俊蔭、阿修羅に出会い、琴を得る
三年といふ年の春、大きなる峰に登りて見めぐらせば、頂天につきて険しき山、遥かに見ゆ。俊蔭、いさをしき心、速き足をいたして行くに、からくしてその山に至りて、見渡せば、千丈の谷の底に根をさして、末は空につき、枝は隣の国にさせる桐の木を倒して、割りこづくる者あり。頭の髪を見れば、剣を立てたるがごとし。面を見れば、焰をたけるがごとし。足手を見れば、鋤鍬のごとし。眼を見れば、金椀のごとくきらめきて、いみじき嫗翁、子ども孫などゐて、頭を集へて木を伐りこなす。
走り出して三年目の年の春、大きな峰に登って見廻すと、山頂が天につくほどに高く険しい山が遙か遠くに見えた。
俊蔭は勇気をふるい、足を速めて行くと、なんとかしてその山にたどり着き、周囲を見渡すと、千丈の谷の底に根を張り、梢は空を突き、枝は隣の国にまで伸びている桐の木を切り倒して割り削っている者がいた。
頭の髪を見ると剣を立てたようである。顔を見ると、焔がもえさかるようである。手足を見ると鋤や鍬のようである。目を見れば金椀のようにきらめいて、ひどく年を取った老婆老爺や子ども、孫などを引き連れて頭を寄せ合って木を切っている。
いさをしき心=勇敢な心
・ここでも3年という数字がつかわれる。
・桐は琴の材料とされる木。軽くて湿気や乾燥に強く、狂いも少ないため、箪笥の材料としても使われる。また中国では桐は鳳凰が親しむ木とされる。
・恐ろしい形相のものたちが桐の木を切っている。「~ごとし」の繰り返しが、くどくも感じるが、声による「語り」としてはまた別か。
俊蔭、定めて知りつ。わが身はこの山に滅ぼしつと思ふものから、いしきなき心をなして、阿修羅の中にまじりぬ。阿修羅、大きにおどろきていはく、「汝は何ぞの人ぞ」。俊蔭答ふ、「日本国王の使、清原の俊蔭。この山を尋ぬること、三年になりぬ。今日をもちてなむこの山を尋ね得たる」。阿修羅、怒れるかたちをいたして、「汝、何によりてか、阿修羅の万劫の罪の半ば過ぐるまで、虎狼虫けらといへども、人のけ近きをあたりに寄せず、山のほとりにかかり来る獣は、阿修羅の食とせよと当てられたり。いかに思ひてか、人の身を受けて、汝がここに来たれる。すみやかにそのよしを申せ」と、眼を車の輪のごと見くるべかして、歯を剣のごとく食ひ出だして怒る。
俊蔭は、はっきりと理解した。「私はこの山で滅びるのだ」と思いながら、勇気を振り絞って阿修羅たちの中に入っていった。
阿修羅は大変驚いていった、「おまえは何ものだ」
俊蔭は答える
「日本国王の使者、清原の俊蔭。この山を探し求めて3年になります。今日やっとこの山を探し得ました。」
阿修羅たちは怒りの形相で、
「おまえは、どうしてここに来たのだ。ここは阿修羅が万劫の罪半分を償うまで、虎や狼虫けらでさえも人近くに生息する生き物は周囲に近づけず、この山のほとりにやってくる獣は阿修羅の餌食にしろ、と与えられたところだ。
それをどのように考えて、人間の身でありながらおまえはここにやってきたのだ。すみやかにその理由を申せ」と
目を車輪のようにぐるぐると回して、歯を剣のようにむき出して怒った。
いしきなき心=意味不明。「全集」では勇猛な心と訳す。
劫=世界の創始から滅亡までの時の長さを一劫とする。
・「汝、何によりてか」の後は主述がねじれているので、適宜述語等を補う必要あり。
・「人のけ近き」を「全集」は「人の世に生息する生き物」と訳している。
俊蔭、涙を流して答ふ、あな、かしこ。この山を尋ぬること、はげしき巌、焰出づるまで、獣のはげしき中を分け出づる時は、焰はほのほ熱く、剣脛をつらぬき、悪を含める毒蛇に向かひて、本の国よりこの国に至り、住みし林よりこの山を尋ね、父母が手を別れし日より今日までのことを答ふ。阿修羅、「われら、昔の犯しの深さによりて、悪しき身を受けたり。しかあれば、忍辱の心を思ふともがらにあらず。しかはあれども、日本の国に、忍辱の父母ありと申すによりて、四十人の子どものかなしく、千人の眷属のかなしきによりて、汝が命を許したまふ。汝、すみやかにまかり帰りて、阿修羅のために大般若を書き供養せよ。汝、日の本の父母に向かふべきたよりを与へむ」といふときに、俊蔭、伏し拝みていはく、
俊蔭は、涙を流して答える。
「ああ、恐れ多い。この山を探し尋ねること、険しい岩山、焔が燃え出すまで、獣の恐ろしい中を分け入ったときは、焔は燃えさかるように熱く、その牙は剣がすねを貫くようで、毒を持った毒蛇に向かい、……」などと本国からこの国に至り、住んでいた栴檀の林からこの山を探し求め、など父母の元を別れた日から今日までのことを答える。
阿修羅「我らは遠い昔犯した罪の深さによって、悪しき身となった。なので、慈悲の心を持つ者ではない。
しかし、日本に慈悲深い父母がいると申すによって、我らも40人の子どもが愛おしく、1000人の一族が愛おしいので、おまえの命をゆるして差し上げよう。
おまえはすぐに立ち去って我ら阿修羅のために大般若経を写経して供養しなさい。
おまえを日本の両親の元に帰る機会を与えよう。」
というと、俊蔭は伏し拝んでいうには、
忍辱=他から加えられる苦しみや辱めを耐え忍ぶこと。転じて献身の愛、慈悲の心をいう
大般若経=唐の玄奘三蔵が訳した600巻の経典。大般若経供養は唐の玄宗皇帝が初めて行ったという。
・俊蔭のここへ来るまでのいきさつを説明するくだりが支離滅裂である。最初の焔は火山だろうか。二つ目の獣のところの焔は、口から焔を吐いたのだろうか? 時系列も行ったり来たりで、さらには直接話法から間接話法にかわってゆく。脱文があるのか。
・忍辱が繰り返されるのが、煩わしい。どうも作者は同じ言葉を繰り返すクセがあるようだ。
・40人、1000人とは阿修羅もずいぶんな大家族である。
「日本よりこの山を尋ぬる大いなる心ばへは、父母が愛子として、一生にひとり子なり。親のかへりみのあつく、慈悲の深かりしを捨てて、国王の仰せのかしこかりしによりて渡れり。その父母、紅の涙を流してのたまはく、『汝、不孝の子ならば、親に長き嘆きあらせよ。孝の子ならば、浅き思ひの浅きにあひ向かへ』とのたまひき。さるを、俊蔭、あたの風、大いなる波にあひて、ともがらを滅ぼして、ひとり知らぬ世界に漂ひて、年久しくなりぬ。しかあれば、不孝の人なり。この罪を免れむために、倒さるる木の片端をたまはりて、年ごろ労せる父母に、琴の声を聞かせて、そのめいとなさむ」といふときに、阿修羅、いやますますに怒りていはく、
「日本からこの山を尋ねてきた大きな願いは、
私は、両親の最愛の子として生涯ただひとりの子です。
親の世話すること手厚く、慈悲深い心を捨てて、国王のもったいないご命令によって渡唐しました。
その父母が紅の涙を流しておっしゃるには、
『おまえが不孝の子であったならば、親に長い嘆きをさせなさい。孝行の子であるなら、浅い嘆きの、浅いうちに帰って顔を見せなさい』とおっしゃいました。
それを、私俊蔭は暴風や大波にあって、仲間をなくしてひとり見知らぬ世界にさまよい、長い月日を過ごしました。そうであるならば、私は不孝の子です。
この罪を免れるために、倒された木の片端をいただいて、長年苦労をさせた両親に琴の音を聞かせて、その長寿を願いたいのです。」
というと、阿修羅はますます怒り狂っていうには、
心ばへ=気だて、心遣い、配慮。 ここでは「願い」としたが、どうか。
「心ばへ」の述語は「不孝の」「罪を免れむために」「父母に琴の声を聞かせて、めいとなさむ。」ということか?
めい=命か?
年久しくなりぬ=栴檀の林で3年。この山に来るまで3年。それにプラス1~2年か。
・心配させた親のために琴の音を聞かせたいというが、両親をだしに使ったこじつけに聞こえる。今まで両親のことを心配する描写はなく、阿修羅が両親を憐れんだので、それに乗じたとしか考えられない。そりゃあ阿修羅も怒るよなあ。
「汝が累代の命をとどめむとても、この木一寸を得べからず。その故は、世の父母、仏になりたまひし日、天稚御子下りまして、三年掘れる谷に、天女、音声楽をして植ゑし木なり。さて、すなはち、天女のたまはく、『この木は、阿修羅の万劫の罪なかば過ぎむ世に、山より西にさしたる枝枯れむものぞ。そのときに倒して、三分に分かちて、上の品は、三宝よりはじめたてまつりて、忉利天までに及ぼさむ。中の品は前の親に報い、下の品をば行末の子どもに報いむ』とのたまひし木なり。阿修羅を山守となされて、春は花園、秋は紅葉の林に、天女下りましまして、遊びたまふところなり。たはやすく来たれる罪だにあり、いはむや、そこばくの年月、なで生ほし木づくる。万劫の罪滅さむ、悪しき身免れむとて、守り木づくれるを、おのが一分の得分なし。何によりてか、汝が一分あたらむ」といひて、ただ今食まむとするときに、大空かい暗がりて、車の輪のごとなる雨降り、雷鳴りひらめきて、竜に乗れる童、黄金の札を阿修羅にとらせて上りぬ。
「おまえが子孫代々の命をかけたとしても、この木の一寸たりとも手に入れることはできない。
その理由は、この木が世尊が仏におなりになった日、天稚御子がお下りになって三年かけて掘った谷に、天女が音楽を奏でながら植えた木だからだ。
そしてそのとき天女がおっしゃるには
『この木は阿修羅の万劫の罪がなかばを過ぎた時代に、山から西に伸びが枝が枯れるだろうよ。
その時に切り倒して、三つに切り分けて、上段の部分は、仏法僧を初めとして忉利天までに差し上げよ。
中ほどの部分は、前世の親の恩に報い、下の部分は、未来の子どものために報いよう』
とおっしゃった木である。
我々阿修羅を山守として、春は花園、秋は紅葉の林に天女が下りなさって遊びなさるところである。
それをおまえは、たやすく侵入した罪でさえ重いのに……、
ましてや何年もの年月、大切に育てた木だ、万劫の罪を滅しようとして、悪しき身を免れようとして、守り育てた木だ。我々にだって一分の分け前なんかないのに……、
どうして、おまえに一分でも与えられようか」
といって、今にも食い殺そうとしたときに、
大空がかき曇って、車輪のような雨が降り、雷が鳴り響いて、竜に乗った童が、黄金の札を阿修羅に与えて昇天した。
世の父母=仏を尊んだ言葉。世尊
天稚御子=天人のひとり、音楽の神と思われるが未詳。狭衣物語にも見られる。日本神話に出てくる「アメノワカヒコ」とは関係あるのか。
三宝=仏法僧。ここでは仏のことか。
忉利天=六欲天の第二。三十三天。須弥山の頂上にある。帝釈天を初めとする神々が住む。
いはむや=「何によりてか、汝が一分あたらむ」にかかる。途中は挿入句
車の輪のごとなる雨=大雨。ただし「車軸のように(太い)雨」という言葉があるので「車軸」の誤りか。「車の輪」はさきに阿修羅の目の形容としても使っている。
・さすがの阿修羅も俊蔭の厚かましい願いに怒り出す。「こんなに苦労して、あんなに苦労して、分け前もないのに」と怒り出す姿には、それまでの苦労がうかがえて同情すらしてしまう。
札を見れば、書けること、「三分の木の下の品は、日本の衆生俊蔭に施す」と書けり。阿修羅、大きにおどろきて、俊蔭を七度伏し拝む。「あな、尊。天女の行末の子にこそおよはしけれ」と、尊びていはく、「この木の上中下、上中の品をば大福徳の木なり。一寸をもちてむなしき土を叩くに、一万恒沙の宝をわき出づべき木なり。下の品は、声をもちてなむ、ながき宝となるべき」といひて、阿修羅、木をとり出でて割り木づくる響きに、天稚御子下りましまして、琴三十つくりて上りたまひぬ。かくて、すなはち、音声楽して、天女下りまして、漆ぬり、織女、緒よりすげさせて上りぬ。
札を見ると、書いてあるのは
「三分の木の下の品は、日本の衆生俊蔭に施す」と書いてある。
阿修羅はたいそう驚いて、俊蔭を七度伏し拝む。
「ああ、尊い。天女の御子孫でいらっしゃったか」
と、尊んでいう。
「この木の上中下のうち、上中の部分は大福徳の木です。わずか一寸でも、それで何もない土を叩くと、一万恒沙の宝が湧きだすはずの木です。
下の部分は、音によって永き宝となるはずのものです」
といって、阿修羅が木を取りだして割って削る響きに合わせて、
天稚御子が下りなさって、琴を30面作って昇天なさった。
そしてすぐに、音楽が鳴り響き、天女が下りなさって、漆を塗り、
織女に琴の緒をすげさせて昇天した。
一万恒沙=恒(恒河)はガンジス川のこと。ガンジス川の砂粒のこと。数え切れないほどたくさんの意味。
・大福徳の木とは、打ち出の小槌の材料か。
・ふたたび天稚御子登場。30面とはずいぶんたくさん作ったものである。
・あわやピンチ!と思わせたところに助けが入る。なんと俊蔭は天女の子孫であるという。なるほど、そうであれば、遭難もなにも俊蔭がこの琴を手に入れるための運命であったか。
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