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宇津保物語を読む6 嵯峨院(仲頼抄)#3

仲頼恋に悩む 妻親元に行き母に諭される

 仲頼、帰る空もなくて、家に帰りて五、六日、かしらももたげで思ひ臥せるに、いとせむ方なくわびしきこと限りなし。になくめでたしと思ひしも、ものとも覚えず、片時も見ねば恋ひしく悲しく思ひしも、前に向かひ居たれども目にも立たず。身のならむことも、すべて何ごとも何ごとも、よろづのこと、さらに思ほえである時に、(仲頼妻)「などか常に似ず、まめだちたる御気色なる」といふ。少将、(仲頼)「御ためにはかくまめにこそ。あだなれとや思す」などいふ気色、常に似ぬ時に、女、(仲頼妻)「いでや、
  あだごとはあだにぞ聞きし松山や
  目に見す見すも越ゆる波かな」
といふ時に、少将思ひ乱るる心にも、なほあはれに覚えければ、
  (仲頼)「浦風の藻を吹きかくる松山も
  あだし波こそ名をば立つらし
あが仏」といひて泣くも、われによりて泣くにはあらずと思ひて、親の方へ往ぬ。
 居暮らして、夜もこなたに寝なむとすれば、母、(忠保妻)「などかあなたにはまうでたまはぬ、ここには殿とのごもる。あなさがな。人は心置きて思さじや。かくいひ知らずわびしといひながらも、われらがやうなる人はあらじを、さばかりかしこき宮、殿ばらを馴らひたまへれば、いかにあさましき所と思ほすらむ。されど、わが子の見るかひなくいますがらましかば、かくあやしき所に、一日、片時、立ちとまりたまひなましや。人と等しく生ひ出でたまへればこそ、世の中に名立たりたまひつるあだ人の、この年ごろ立ちとまりたまひつれ。この君におろかに思はれたまひなば、ぬしのさばかり思ひ入れられ、仕うまつりたまふは、かひなく口惜しとは思ひたまはじや。今の世の男は、まづ人を得むとては、ともかくも、『父母はありや、いへどころはありや、あらはひ、ほころびはしつべしや、供の人にものはくれ、馬、牛は飼ひてむや』と問ひ聞く。顔かたち清らにて、あてにらうらうじき人といへど、あばれたる所にかすかなる住まひなどして、さうざうしげなるを見ては、あなむくつけ、わがいたつき、わづらひとやならむと思ひ惑ひて、あたりの土をだに踏まず。『などかその人には住まぬ』といへば、『法師籠りをりき。俗籠りをりき』といひてあたりにも寄らず。あやしき者の子、むまご、顔かたち鬼のごとくして、かしらはひた白に、腰は二重ふたへなるおうななれど、猿をしりへしばる者といへ、徳ありし者のぞ、子ぞといふ者をば、天下の人もえ聞き過ごさで、いひ触れ惑ふ今の人なれば、かかる所に、ー日片時、立ちとまる人もあらじと思ひて、多く徳あるよき人をも聞き過ごし、わが子をや、人笑はれに、あはあはしく思はせむ。『その人住みしかども、今は来とぶらはず』といはせたてまつらじとて、ここら聞き過ぐしつれど、さのみいひてやあらむ。宿世に任せてこそはあらめ。また天下いまし通はず、見うんじたまふとも、例のあだ人なればと、ただに思はせむとてこそは。この君を、ここら親が時のたからくしの何々も、惜しきものなく失ひ、ここらの年ごろを待ち使ひつる近江あふみさうも、この君の御時にこそ売りつれ、かう惑ひ仕うまつるかひありて、今日今までめぐらひたまふは、いかにうれしきことなり。いづれの宮、殿ばらにかは、この君の婿に取られたまはぬ。されど夜を重ね日を積みて、この年ごろここに通ひたまふは、いかにおもたしきことなり。などかこれをおろかにはしたまふ。あが仏、おろかにこの君に思されたまふな」と、泣く泣くのたまへば、(仲頼妻)「いでや、見苦しきものを見たまふれば、生けるかひなき心地すれば、見じとてなむ」。母、(忠保妻)「何ごとかある」といへば、(仲頼妻)「いさや、何ごとを人かいひけむ。こののりゆみあるじより帰り来にしままに、起き臥し静心なく思ひ焦らるることのあめれば、おのれが見まうく見苦しきを思ふにやあらむと思へば、見えじとてなむ」。母、(忠保妻)「知らぬやうにてまうでたまへ」と泣く泣くいへば、娘、母にいはれて立ちて行く。父ぬし、(忠保)「君の籠りおはするに、何わざを仕まつらむ」といふ。
 少将臥いたり。女来たれば、(仲頼)「などか今まではおはせざりつる」といへば、女、(仲頼妻)「いさや、思ひ静まりたまふやとて」。少将、(仲頼)「ましておはせぬぞ苦しき。早うおはせよ」といひ臥せり。
  〔絵指示〕ここには、娘ものいひたり。

(小学館新編日本古典文学全集)

 仲頼は、うわの空で家に帰って5、6日は頭も上げずに思い悩み寝込んでいたが、つらくてつらくて仕方がない。無二の美人と思っていた妻も、あて宮の前ではものの数ではなく、妻に片時も会えなければ恋しく悲しく思っていたことも、今ではこうして目の前に向かい合っていても、目にも入らない。この先どうなってしまうのか、何もかもまったく解らなくなってしまっていると、
妻「どうしていつもになく思い詰めた顔をなさっているの」
という。
仲頼少将は
「あなたのことを真剣に考えているのです。むしろ浮気者にでもなれとお思いなのですか。」
などというが、その様子がやはりいつもと違うので妻は
「さあ、どうでしょう

  あなたの浮気心は、無責任なうわさだと思っておりましたけれど、
  末の松山を、今にも波が越えようとしてるかのように思われまして
  (あなたの浮気が本当だと思えてきました)

というと、それを聞いた仲頼は、あて宮のことで思い悩んではいても、やはり妻のことが愛しく思われたので

  浦波が、藻を吹きかけているだけの末の松山は、
  まるで波が越えているかのように誤解され、
  根も葉もない浮き名が立っているのです。

愛しい人よ。(わかってください)」
と言って泣くのだが、それを見ても、
(私のために泣いているのではないでしょう)
と、どうしても思ってしまい、いたたまれなくなって、親のいるもとへと出て行ってしまった。

 親の所でそのまま過ごし、夜もここで寝ようかと思っていると、母が、
「なんで仲頼さまのところに戻らないのですか。ここで寝るつもりだなんて、意地でも張っているの? あの方から嫌われてしまいますよ。
いくら貧しいといっても、我が家ほど貧しい家はないでしょうから、高貴な宮様や殿様を見慣れていらっしゃる仲頼さまは、我が家のことをどんなにみすぼらしいとお思いでしょう。
でもね、娘のあなたが、目も当てられない様子でいらっしゃったならば、こんなみすぼらしいところに一日、いや一時たりとも、お泊まりなさることはなかったでしょう。あなたが人並みに成長なさったからこそ、世間でも評判な浮気なあの方が、何年もお通いになるのです。
仲頼さまから愛想を尽かされてしまったら、お父様がこれほど気を配り、仲頼さまをお世話なさっていることが無駄になってなってしまうと、あなた思わないの?
今の時代の殿方は、まず結婚相手を探すにしても、とかく『両親は揃っているか、住む家はあるか、洗濯や裁縫は出来るか、供人に禄を与えたり、馬や牛の世話をしてくれるか』などと尋ねるのです。顔立ちが美しく高貴でかわいらしい人であっても、荒れ果てたところにひっそりと暮らしていて、寂しくしているのを見れば、(ああむさ苦しい、こんな女と一緒になったら、苦労の種になるばかりだ)と思い、近くにも立ち寄らないで、『どうしてあの家で暮らさないのですか』と問われれば、『法師が住んでいた、俗が住んでいた』などといって近づきもしない。
そのくせ、賤しい者の子孫で顔かたちが鬼のような女がおり、それが、頭髪は真っ白で腰が二重に曲がっている老婆で、猿を後ろ手に縛るような者であっても、「裕福な者の妻だ、子だ」と聞けば、世間の人は放っておかず言い寄るのものです。それが今の時代の殿方なのです。
だから、(我が家みたいな貧しい所には一日たりとも立ち寄る人もいないだろう)と思い、多くの裕福な人からの縁談も聞き流し、わが子が笑いものにされ、軽々しい女だと思われないようにしよう、『その方は以前は住んでいましたが、今は通ってきませんねえ』などと言われないようにしよう、と思って、結婚話も断ってきたのです。
けれど、そういつまでも断ってもいられまい、結婚は娘の運命に任せてみようと思い直し、また、来訪もなくなり、見るのも嫌だと思われたとしても、「相手があの浮気者であれば仕方ない」と、世間に思わせればいいやと思い、この仲頼さまを婿としたのです。
この君のために、我が家の先祖が残した財宝や櫛笥なども惜しげもなく売り払い、長年地代を納めてくれていた近江の荘園もこの君が婿になったときに売り払いました。そんな苦労の甲斐あって、今日まで君に通っていただけたのは、とっても嬉しいことでした。
どこの宮様や殿様がこの君を婿にと望まないことがありましょう。でもそんな君が夜を重ね日を積み、長く我が家に通ってくださったことは、どんなに誇らしかったことか。
こんな婿殿をどうして疎略に扱うことが出来ましょう。
愛しい娘よ。この君から疎ましく思われてはいけませんよ。」

と泣く泣くおっしゃるので、
「いえ違うのです。あの方が苦しんでいる様子を見て、それでは、私なんていてもいなくてもいいような気持ちになってしまい、見ていられないと思ったのです。」
母「何があったのです。」
妻「それは、何があったのかわかりませんが、先日の賭弓の宴から帰って来てから、ずっと起きても寝ても落ち着かず、何か思い焦がれることがあったようで。それで私を見るのが嫌になったのかしらと思ってしまい、ならば、いなくなろうと思って。」
母「そんなの、知らないふりをしてお戻りなさい。」
と泣きながら諭すと、娘は母に言われたとおり部屋へと戻る。
父は、「仲頼さまが引きこもっていらっしゃるが、何をして差し上げればよいか」という。

 少将(仲頼)は、横になっていたところに女が戻ってきたので、
「どうして今までいらっしゃらなかったのか。」
というと、女は
「いえ、私がいない方がむしろ心が落ち着かれるのではと思いまして」
少将「いてくれない方がいっそう苦しいのだ。早くおいで」
といってお休みになる。


お母さんは切々と娘に説教をします。
女の実家の経済状況がどれほど結婚に影響を与えるか。
猿のような老婆でも、金持ちならば、競って言い寄る。それが男の現実の姿なのだと。
実感がこもっています。

あて宮がらみの話では、こういう貧しさや吝嗇などといった話が目につきます。
一方では吹上の、現実離れした財宝の話がなされ、それらがモザイクのように不揃いな形で混ざっている。

宇津保物語には統一された世界観がなく、荒唐無稽な伝奇物語と生活感あふれるリアルな物語が同居しているようです。
そこが魅力かもしれませんが。

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