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宇津保物語を読む 俊蔭Season4 #4

兼雅、子に山を出るように勧める

 恥づかしと思はば、これより深くもぞ入ると思せば、(兼雅)「いとあはれに悲しきことどもにもあるかな。なほ、かくて籠りゐたらむと思すか。また、例の人のやうにてあらむとや思す」とのたまへば、子のいらへ、「何か。世は憂きものにこそはベりけれ。人の身を受けながら、いかに契り置きて、かくうとましき獣の中に、それを友とし、かれらに養はれて、今日や、今日やと身をしつべく、魂の休まるときなくて、おそろしく悲しき目を見はべるらむ。さきの世の罪思ひやられはべれば、てんの許されなき身にはべるめり。いよいよ深く、むつかしきかしらろし捨ててまかり籠らむとなむ、思ひたまふる」といふさまの、あたらしく清らなる、ほど十五、六ばかりと見えて、いみじうめでたきを、よそ人に聞き見むだにあるに、えせきあへたまはず。ためらひて、(兼雅)「げに、さもいはれたることなれど、なでふ人か、かかる住まひにて世には経む。かしらる人も、師につきて僧となるこそ尊きことなれ。さてこそまた山籠りもすれ。今日の獣のさまは、堪ふべしとやは見えたる。片方へこそかく見許すもあらめ。なほ京へ出でたまへ。かかるものに害せられぬる人は、だいも取りがたきものなり」とのたまへば、子のいらへ、「かくてはべらむよりも、さてしもこそ、なかなかに見入るる人なくてはべらむは、ますます堪ヘがたからめ、と思ひたまふれば」といふ。(兼雅)「そはかくて籠りおはせむ人を、あながちに勧め出だして、見入れぬやうはありなむや」とのたまへば、(子)「母にはべる人に語らひて聞こえむ」とて、奥へ入りて、(子)「かくのたまはする人なむおはする。いかが聞こゆべき」といへば、(母)「かくゆゆしきさまを見そめたまひつらむ人の、何とか思すべき。くちをしきしなに思ひくたしたまふとも、ことわり、のがれどころなくこそあらめ。また心ぞ」といへば、(子)「まろが思ふやうは、この山に住むこと八年になりぬ。憂きことも悲しきことも思ひ馴れにたり。何しにか出でむ。かくて過ぐしてむとなむ思ふ」といへば、(母)「さればこそさは聞こゆれ。かく憂き身なれば、今更によろしきこともあらじ。かくめづらしき有様をうち見たまふほど、のたまふにこそあらめ。深うもあらじ」といへば、出でて聞こゆ。(子)「このもてわづらひはべる人、今更になでふ世づいたる目をか見む。山の見る目も恥づかしとて、動きげもはべらねば。一人はまた何のかひもはべらじ」といふほどに、日もかたぶけば、(兼雅)「何か、ひても聞こえむ。今日は御供にさぶらひつれば、ひたやごもりなりとて帰りたまはむ、便びんなかるべし」とて立ちたまふほどに、この猿、六、七匹連れて、さまざまのものの葉をくぼてにさして、しひ、栗、柿、梨、いも野老ところなどを入れて持て来るを見たまふに、いとあはれに、さはこれに養はれてあるなりけりと、めづらかに思さる。例ならぬ人のおはすれば、猿おどろきて、うち置きて逃げぬ。

(本文は小学館新編日本古典文学全集)


 この子が真実を知り、恥ずかしいことだと思ったならば、ここよりももっと山深くに入ってしまうとお思いになったので、
「たいそう不憫で悲しいことであるなあ。まだこうやって籠もっていようとお思いになりますか。それとも普通の人のようにしたいとお思いになりますか。」
とおっしゃると、子の返事
「何を望みましょう。世間は辛いものでございましょう。人として生まれながら、何の運命でこのように恐ろしい獣の中に、獣を友とし、獣に世話をされて、今日こそは食べられるのではないか、今日こそはと、心の休まる時もなく、恐ろしく悲しい目を見るのでしょう。前世の罪が思いやられますので、この世界で暮らすことが許されない身なのでございましょう。さらに山深く、むさ苦しい髪を下ろして籠もろうと思い申し上げるのです。」
という姿は、出家するには惜しく、清らかである。年は15,6歳くらいと思われて、たいそう立派であるのを、他人として見聞きしてさえ悲しく思うのに、わが子であればなおさらと、涙を止めることもできない。
すこし気を落ち着けて、
「確かに、そうも言われるだろうが、誰がこのような生活で世を過ごすことができようか。出家する人も師について僧となってこそ尊いのである。そうなってこそ山籠もりもするのです。今日ここに来るときに見たの獣の様子はとても耐えられるとは思えません。一部の獣はこのように見逃してもくれましょうが。やはり京へおいでなさい。このような獣に殺害される人は菩提も得ることが難しいのです。」
とおっしゃると、子の返事
「こうしておりますよりも、京に下りてゆくことのほうが、かえって世話をしてくれる人もなく、ますます耐えがたいことだと思いますので。」
という。
「それは、このように籠もっていらっしゃる人に、強いて山を出ることを勧めるからには、私がかならずお世話申し上げますから。」
とおっしゃると
「母に相談しましょう。」
といって奥へ入り、
「このようにおっしゃる人がいらっしゃいます。どう申し上げたらよろしいか。」
というと、
「このようにみすぼらしい姿を初めて見たような人は、どう思うでしょう。情けない身分のものだと軽蔑なさるのが道理、逃れようもありません。ですが、あなたのお気持ちのままに。」
というと、
「私が思うことは、この山に住むこと8年になります。辛いことも悲しいことも慣れてしまいました。どうして山を出ることがありましょう。こうして山で暮らしていこうと思います。」
といえば、
「それならばそのように申し上げなさい。このように辛い身の上なので、今さらよいこともないでしょう。こんな珍しい有様をご覧になったので、不憫に思ってそうおっしゃったのでしょう。深い考えもございますまい。」
というので、うつほから出て申し上げる。
「私が世話をしている母は、今さらどうして世間並みの暮らしができましょう。山の見る目も恥ずかしい、と動きそうもありませんし、また、私一人で山を下りても何の甲斐もございませんし。」
と話しているうちに日も傾くので
「どうして無理強いもいたしますまい。今日は帝のお供としてお仕えしていますので、私が失踪したとお思いになり、帝がお帰りになってしまいましては、大変ですから。」
といってお立ちになるときに、親子を世話していた猿が、6、7匹の小猿を連れて、色々なものの葉をお椀のようにして、椎の実や栗、柿、梨、芋、野老などを入れて持ってくるのをご覧になると、たいそう不憫で、さてはこの猿たちに養われているのだなと、珍しいものと思われる。見慣れない人がいらっしゃるので、猿は驚いて、食物をそこに置いて逃げてしまった。


 自分が父であることを明かしたらどんな反応があるだろうかと考慮しつつ、何とか説得を試みるも、山暮らしが板に付いているので、なかなか応じない。

 今日のところは、何の準備もしていないので、日を改めて出直すこととする。さて、どのように説得すればよいか。

何を書き、何を端折はしよるか。

 物語は事件のすべてを書き記すことはできない。言わずもがななことは端折るのがよい。一方、大切なことには十分に筆を尽くす。作者の関心の度合いが記述の軽重に現れる。

 作者は親子の会話に十分に筆を尽くして描く。兼雅の駆け引きの言葉こそ、この物語の中で描くべき大切なものなのだろう。

 宇津保物語は、不思議なことを描く伝奇物語の性格が色濃いが、源氏物語にも通じる心理劇の片鱗がすでに見えてきている。


兼雅、待っていた兄たちと山を出る

 大将、帰り出でたまへば、尾一つ越えたまふほどに、むまぞひも右のおとども、さる獣の中に入りたまひぬるおぼつかなさに、尋ねおはするに、見つけて、(忠雅)「さて、いかがありつる」とのたまへば、(兼雅)「尋ね得べくもあらず。谷に聞こえ、峰に聞え、高うのぼれば地の底なり、谷にくだれば雲の上に聞こえて、獣は貝を伏せたるやうに、道しなければ、分けわづらひてなむまうで来ぬる。なほたどるたどる、と思ひたまへつれど、御供にはべりつるひがひがしさになむ」と聞こえたまへは、(忠雅)「さればこそ。天狗ななり」とて、うち続きて出でたまひぬ。上は、「あやしくて失せぬる朝臣たちかな。よき女のあるところ聞きて、好きものどもは往ぬるならむ」とて、帰らせたまひにけり。昔、若小君と聞こえしは大将、兵衛佐におはせしは右大臣になむおはする。

(本文は小学館新編日本古典文学全集)

 大将がお帰りになると、尾根を一つお越えになったところに馬添いも右大臣も、大将があのような獣の中にお入りなったことが心配で、探していらっしゃったが、見つけて、
「さて、どうだったか。」
とおっしゃると
「探し出すことはできませんでした。谷に聞こえ、峰に聞こえ、高く登れば地の底から聞こえ、谷に下れば雲の上から聞こえて、獣は貝を伏せたようにうずくまっており、道もないので、分け入ることもできずに帰って参りました。もっと奥までもと思い申し上げましたが、帝のお供をしているのでこれ以上の軽率さは、と思いまして。」
と申し上げなさると
「だからそう言ったではないか。天狗だったんだよ。」
といって、二人続いて山からお出ましになる。
帝は「奇妙にも、姿をくらましてしまう朝臣たちだな。いい女のいるところを聞きつけて、好き者たちは行ってしまったのだろう。」
といって、お帰りになった。
昔、若小君と申し上げた方は今は大将に、兵衛の佐でいらっしゃった方は右大臣でいらっしゃるのです。


やっと大将が若小君であることが紹介される。これも物語的演出か。

さて、物語は再び都へと移ろうとしている。が、その前に親子の説得がまだ続くのだけれど。


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