宇津保物語を読む 俊蔭Season2 #5
大臣家の騒ぎ。若小君発見。若小君は父母の監視下に。
大臣家では、昨夜、このように若小君がいらっしゃらないということで、お供としてお仕えしている人々や兄の兵衛佐の君をたいそうお叱りなさって、佐の君を
「今すぐにこの子を探し出さなければ、私の子でない。どうしてくれよう。」
と責めなさる。御前の馬添いの男たちにたしては、
「仕え所に送って、牢屋に入れてしまおう」
と責め叱り、舎人、雑色を打ち縛らせたりなどなさる。理性を失って大騒ぎして探させなさる。
従者たちは
「お探し申し上げます。若小君がいらっしゃらなかったら、私たちの首を差し出します」
と申して、暇を与えて、10人、20人と手分けをして、昨夜の道をお探し申し上げた。
兵衛の佐や叔父の中将、また他の人々も、総勢30人ほど連れて、まずは昨日いらっしゃった所を、賀茂神社まで願を立てて探し申し上げると、三条京極の辻に若小君は立っていらっしゃった。
兵衛の佐=兵衛府の次官。昨夜若小君と一緒にいた20歳くらいの貴公子。
勘ふ(かうがふ)=「かんがふ」の音便。責める。咎める。
仕へ所=検非違使の庁
獄所=監獄。
勘当=法に合わせ勘(かんが)えて罪に当てる意から、責め叱ること。
若小君がいっていたとおり、父大臣は大騒ぎをしている。打たれたり縛られたり、牢屋に入れられそうになるなど、従者たちはいい迷惑である。
三条京極の辻とは俊蔭の屋敷の前。女君と別れて茫然としている若小君はここで兄に保護される。
兄の兵衛佐は若小君を見つけ申し上げなさって、
「どうして、このようにたいそう心配をさせなさるのか。
殿では昨夜からあなたがいらっしゃらないといって、父大臣や母上が、食事もお召しになれないほどにご心配なさって、お供にお仕えしていた人々は勘当され追放された。
私忠雅らも役立たずとされてしまうところだった。
ご覧のとおり、みな酒が入って、しっかりした者もいなかったので、あなたがいなくなったことも気づかず、父大臣は殿までお着きになって、あなたがいらっしゃらなかったので、今夜一晩中大騒ぎしている様子を拝見すると、私たちも落ち着いた気持ちにもなれない。
家の中にいる時でさえ、いつもそうだったではありませんか。まして今日みたいなことがあったらどうなるか考えてみて下さい。
そもそもどうしていなくなったのですか。どこからいらっしゃったのですか。」
とおっしゃると、若小君は
「みんなが私を捨てていってしまわれたので、「間違って列を離れた雁」のような気がしていました。」
とおっしゃったので、佐の君は、お笑いになり
「「道案内をする雁」がいたのですね。それならば、ここに昨夜から立っていらっしゃったのですか。変わったお地蔵さんですこと。」
といって、
「それにしても、今こうしている間もどれほど騒いでいらっしゃることか」
といって、一緒にお帰りになる。
若小君は女とのしみじみとした時間を道中心苦しくお思いになりながら、屋敷までおつきになった。
佐の君が「若小君を辛うじて探し出し申し上げました」とおっしゃる。
父大臣は喜びなさる。屋敷の男たち、多くが、処罰され追放された人々も釈されて喜び合った。
忠雅=兄兵衛佐の名前。
過ちしたる雁・先に立つ雁=当時の慣用句か?
道祖の神=(さへのかみ)道路上の悪魔を防ぎ通行人を守る神。地蔵とは違うが、今の感覚に合わせ地蔵と訳してみた。(ex Uber地蔵)
見つかった安心からか、「雁」をつかった風流な軽口。貴族の余裕が感じられる。
大臣「どうして、なんでいなくなったのだ。いつからこんな忍び歩きを覚えたのだ。もってのほかだ。私を心配させて」
といって、お叱りなさる。母北の方も
「これほど河原のあたりは、盗人が多くて人が傷つけられると言われているのに。それにひとりだったら盗人に殺されたならどうしましょう。
落ち着かない人ですね。もう宮仕えも決してさせません。
忍び歩きを覚えて逃げ隠れようとするのでしょう。私の前にいなさい。」
とおしゃって宮中へ参内する時は一緒につれて参内なさり、かたときも目を離しなさらない。
若小君は、心の中でしみじみとした女との逢瀬を思い、
すこしばかりの伝言もしたいなあ、少しの間だけでも行きたいなあ、
と思うけれど、こんな具合でとても難しいので、夜昼となく嘆く。
あの場所は自分以外に知るものもない。教えようとしてもどことも思い出せない。大臣も佐の君もなんとなく感づいてお尋ねになる。そうだと気づかれまいとして、人を送ることもできない。
折あるごとに契りを結んだ時のことをしみじみと、姿や雰囲気のかわいらしかったことなどを思い出しながら、草木や空を見るにつけ、ただあの人のことばかり思い出しなさるので、心は千々に乱されるけれど、相談できる人もないので、心にしまってお過ごしなさる。
たいだいし=あるまじきこと。もってのほかだ。
若小君は謹慎状態である。人を送ろうにも場所がわからない。箱入り息子は、家族の監視の中で行動も制限される。早く成人して自由の身になりたいよね。
昔は電話が居間にあり、彼女に電話するのも家族に気兼ねして思うように話せなかったことを思い出す。うんうん、わかるよ。早く一人暮らししたいよね。
物語の細部はいかにして形づけられるか。
俊蔭の娘の今後の悲運のためには、若小君と二度と再会してはならない。若小君の行動力を奪うことが必要だ。物語に必然性を持たせるためには若小君は親に溺愛される少年でなければならない。
この先の展開が既に作者によって構想されており、それに合わせて細部が作られたと考えるのが普通だが、もしかしたらストーリーは既に流通しており、それとつじつまを合わせるために修正されたのかもしれない。
現代の小説やマンガなどで、長編シリーズになると途中で主人公の性格が変わったり、はじめの設定とつじつまが合わなくなることがある。書き下ろしならば後で修正もできようが、既に出版されていればそれは読者の目にさらされる。
物語は小説とは違う。一人の作家の構想で作られるのではない。プロットが語られ、人々に知られ、後の展開に合わせ修正され、他のエピソードと融合し、またその必要性から細部が修正される。一人の手で作られるとも限らない。別の人の手で整理されまとめられたのかもしれない。
「どうして、俊蔭の娘は山で暮らしていたの?」という疑問が若小君を作ったのだと考えると面白いよね。
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