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宇津保物語を読む 俊蔭Season5 #3

翌年八月、兼雅邸の相撲の還饗の準備

 年かへりて、八月に、この殿の相撲すまひかへりあるじあるべければ、おとど、北の方に聞こえたまふ、(兼雅)「あるじのことすべきに、はやかづけもののことせさせたまへ。このたびのこと、ここにてはじめてすることなるを、心ことに設けのものなどいたはりてしたまへ。例は中将よりはじめてつかさの人、みな禄は取らするを、今年はそこにものしたまふと、聞く人も心にくく思はむものぞ、のぬしたちも設けたまへ。例は、中将には女の装束ーくだりづつ、少将には白きうちきかさね、袴をなむものするを、この度は、中将になほ細長を添へて、少将には綾のうちきがさねの袴などを設けたまへ」と聞こえたまへば、(俊蔭娘)「いさ、いかにすることにかあらむ」とのたまへど、ものの色、しざまなど、なべてのもののやうにもあらず、すぐれてめでたくし出でたまへり。
〔絵指示〕三条殿に、殿、北の方並びておはします。御台まゐれり。侍従、内裏うちよりまかでたまへり。
 国々のしやうより、こう絹、布など持てまゐれり。御いそぎのれうにとて、綾、薄物、かとりきぬなど多くたてまつれたれば、くしげ殿どのする人、まへにて計らひ定む。染め草、何くれのこと。荘々のものどもは、一条殿にも分かちたてまつりたまふ。おはすることは絶えてなければ、御方々に思し嘆き、さまざまに聞こえおどろかしたまふもあれど、すべてただ今は、こと人にもの聞こえむとも思したらず。

 年が改まり、八月、兼雅邸で相撲の還饗が行われることとなったので、右大将は北の方に申し上げなさる。
「還饗をしなければならないのだが、さっそく、贈り物の用意をなさいませ。今回のことは、我が家で初めてすることなので、格別に準備のことなどに心を配って下さい。例年中将をはじめ近衛府の人々にはみな禄を与えるのですが、今年はあなたが取り仕切るからと、それを聞いた人々は何があるかと、期待していることでしょう。四府の人々にも禄を準備なさい。例年は中将には女の装束一領ずつ、少将には白い袿一襲、袴などを贈るのだが、今回は中将にはさらに細長を添えて、少将には袿や三重襲の袴などを準備なさい。」
と申し上げなさるので、
「さあ、どうしたらよいのでしょう。」
などとおっしゃるけれど、彩りや仕立てなど並ひととおりのものではなく、たいそうすばらしく用意なさった。

絵指示=三条邸に右大臣殿と北の方が並んでいらしゃる。
      お食事をしている。
      仲忠侍従が宮中よりお帰りになった。

 地方の荘園より、こう絹や布などが送られてくる。ご準備の材料として綾や薄物、縑絹など多くのものが献上されたので、装束の準備をする御匣殿の人々はお二人の御前にて相談なさる。染料や何やかや。荘園から送られたものは、一条邸にもおわけなさる。一条邸にいらっしゃることはすっかり絶えてしまったので、ご婦人方はそれぞれ思い嘆き、いろいろと申し上げ、気を引こうとなさるけれど、今となってはまったく他のご婦人に言葉をかけようともお思いにならない。

相撲の還饗=相撲の節の還饕。相撲の節は毎年七月下旬に諸国から強力の者を召集して帝の御前で相撲をとる行事。26日に仁寿殿で内取り(下げいこ)があり、28日に紫宸殿で二十番の召し合せ(本相撲)が行われ、翌日には追相撲(抜出爵)があった。「還饗」は行事が終った後、勝方の近衛大将が改めて自邸で味方の人々を饗応すること。(全集注)
四府=左右近衛府と左右兵衛府
細長=童女用の身幅の狭い着物。
三重襲の袴=表地と裏地の間に中倍をいれて三重にした袴
こう絹=未詳 紅絹、黄絹などとする説あり。
いそぎ=準備
かとり絹=目を細かく固く織った絹織物。
御匣殿=宮中にある装束を調えるところ。ここでは兼雅邸で装束を調えているところ。


相撲の還り宴が行われる。人々は俊蔭の娘がどのように采配するのかを注目している。
趣味人であった俊蔭の娘であれば、さぞ風流なものを準備することであろうとの期待である。
作者は十分に筆を尽くしてそれを書き留める。書かずに読者の想像にまかせればいいのに、つい書いてしまうのは有職故実に気を配り、日記に細かい記録をつけ続けてきた男の習性か?(作者はたぶん男性であろう)


八月二十二日、兼雅邸の相撲の還饗

 あるじ二十二日なれば、その日になりて、いとになく設けさせたまふ。御前にすなまかせ、せんざい植ゑさせ、あげばり新しくうちて、寝殿の南のひさしましよそほはす。打敷、しとね、みな新しくせられたり。めでたき四尺の屏風、几帳ども、方々に立てられたり。内に、たち、うなゐども、重ねの裳、からぎぬ汗衫かざみども着てみたり。うなゐは青色、二藍、重ねて着たり。おとど、(兼雅)「人々、内に心してあれ。わがつかさの次将すけも、恥づかしき人ぞや。左大将の、左のおとどのぞかし。いと恥づかしきあたりなり」とのたまふ。北の方は、琴どもの装束しすぐりて、さうなど、同じ声に調べ合はせて置てきたまふ。
 左大将、のたまふやう、(正頼)「右大将の、三条の家にて、相撲すまひかへりあるじしたまへるなるに、いささかのわざするにも必ずいまするを、かしこにしたまはむことも、必ずとぶらふべし。さても、心にくき人の、めづらしくしたまふところなるを、見習ひもせむ」などのたまひて、御供のきんだちひき続き出でたまふ。人に許され、気高くものしたまふ君なれば、多くの人、におはす。右の大殿も渡りたまへり。あるじのおとど、喜びかしこまりたまふ。
 かくて、みな着き渡りたまひぬ。上達部、親王たちの御前には、たんの机に綾のおもて参れり。中、少将には、はうの机、くわんにんにはみなほどにつけてしたまふ。
 かくて、御はしくだしたまふ。御かはらけはじまり、相撲すまひ出でて、いつ手ばかり取りて、出で来て、布引きなどするに、あるじのおとど、さうぞきおかれたる琴どもをさせて、あてあてに奉りたまへれば、おのおの取りて、かき鳴らし試みたまひて、(人々)「つまおぼえて調べられたる御琴どもかな。人のえせぬはや」とのたまひて遊ばしぬ。笛ども吹き合はせて遊ばす。いとになくおもしろし。
 例は、舎人とねりまひびとなどには、信濃しなのの布を賜ひけれど、今年は心ことに、ちのくにの絹を賜はす。はうの脚つけたる中取り三つに、あづまぎぬ積みて、まへき立てて、まんどころの人装束して出で来て、召し立てつつ賜ふ。つがひのおさ、相撲のには四疋、ただの舎人とねり、相撲には二疋賜はす。また、この中将、少将の御随身には一疋づつ賜はす。かづけもの、の親王たちに、赤朽葉にれううちき、菊の摺り裳、綾かいねりかさねあはせの袴、宰相よりはじめて中将までは、綾の摺り裳、黄朽葉のからぎぬかさね、袷の袴、少将よりはじめ垣下の次官すけたちには、薄色の裳、黄朽葉の唐衣ー襲、袴、色劣れり。まうちぎみたち、つかさの将監までは、白き綾のひとへ襲、袷の袴、人々の御供なるつかさある人には、しらはりの袴一しやうには、白き単襲賜ふ。今日参りたる人、禄賜はらぬ者かつなし。

(本文は小学館新編日本古典文学全集)

 還饗は22日なので、当日になって、またとないほどすばらしく準備をさせなさる。
 御前に砂を撒かせ、前栽を植えさせ、仮設の小屋も新しく作って、寝殿の南の廂の間にお席を準備する。
 打ち敷きや褥などもみな新調なさる。立派な四尺の屏風や几帳などあちらこちらにお立てになる。御簾の中には女房や童女たちが重ねの裳、唐衣、汗衫などを着て整列している。童女は青色と二藍を重ねて着ている。
右大将は
「皆さん、御簾の中では気をつけて下さい。わが近衛の次将たちも、立派な方々ですからね。左大将のご子息や左大臣のご子息なのですから。たいそう立派な方々ですよ。」
などとおっしゃる。
北の方は琴などの準備を十分にして、琵琶や箏などを同じ音階に調律して置きなさる。

 左大将がおっしゃるには
「右大将が三条邸で相撲の還饗をなさると聞いたが、こちらでちょっとした催しの時にも必ずいらっしゃるので、あちらでなさる催しには必ずお伺いしよう。それにしてもおくゆかしい人が例がないように準備なさったものを、見習おうではないか。」
などとおっしゃって、お供にご子息を引き連れてお出ましになる。世間から認められ、気高くいらっしゃる方なので、多くの人がご相伴としていらっしゃる。右大臣もお渡りになる。主人の右大将は喜びつつも、恐縮してお迎えする。

 こうして、みな席にお着きになる。上達部や親王たちの御前には、紫檀の机に綾の覆いがなされている。中将や少将には蘇枋の机が、官人にはそれぞれの身分に応じて並べてある。
 そして、宴が開かれる。お酒が振る舞われ、相撲が始まり、5、6手ほど取って、最後に最も強い力士が出てきて、布引などをすると、主人の右大将は準備して置いた琴を取り出させ、それぞれの方にお渡しなさるので、おのおの受けとり、試しにかき鳴らしなさって、
「爪が自然と動くように調律された琴だなあ、普通の人にはできませんぞ」
とおっしゃって、お弾きになる。
笛もそれに合わせて演奏なさる。またとなく面白い。

 ふつうであれば、舎人や力士には信濃の布をお与えになるが、今年は特別に陸奥国の絹をお与えになる。蘇枋の足をつけた中取り3つに、東絹を積み重ねて、御前に担ぎ出し、政所の家司が正装をして現れ、一人一人呼びたしながらお与えになる。番長と相撲の最手には絹4疋、普通の舎人や力士には2疋をお与えになる。また、中将や少将の随身には1疋ずつお与えになる。
贈り物はご相伴の親王たちには、赤朽葉に花文綾の小袿、菊の摺り裳、綾かいねりかさねあはせの袴を、宰相以下中将までは、綾の摺り裳、黄朽葉のからぎぬかさねや袷の袴、少将以下ご相伴の次官すけたちには、薄色の裳、黄朽葉の唐衣ー襲、袴の色の劣っているもの。五位の者や衛府の将監までは、白き綾のひとへ襲、袷の袴を、御供として来た官職のある人には、しらはりの袴一を、しやうには、白き単襲をお与えになる。今日参上した人で禄をいただかなかった者はいない。

あげばり=準備のための仮設小屋
垣下(ゑが)=貴族の邸宅で催される饗宴での正客以下の相伴の人
最手(はて)=最も強い力士
布引=布を引き合う力比べ。
中取り=食器を乗せたり品物を積んだりする台
政所=摂関家の家政や所領の事務をつかさどる所
搔練=練ってノリを落として柔らかにした絹。
まうちぎみ=まへつぎみ。主君の前に伺候する者。近衛の将監か五位の者。


 会が始まるにあたり、女房たちへと細かく注意する兼雅。「恥づかし」という言葉の繰り返は、セレブな貴族たちのを迎える誇らしさも感じさせるが、しかし、やはり俗物だなあとつくづく感じてしまう。甘えん坊の小若君もすっかりおとなになってしまたようだ。
 しかし、正直、書いていて飽きてくる。贈り物をこうも細かく記述するものか。「絹4疋」なんて祝儀袋の中身を書いているようなもの。物語はもっとファンタジーであるべきではないか。

 当時の人にとっては、この「誰に何をどれだけ送るか」というのが、大切なことで、興味の中心なのだろうか。貴族のセレブな夢の世界は、「モノ」によって描くのが最も効果的なのか。

 ふと、バブルの頃を思い出す。これはまさに「イベント」のノリである。
合コンやらなんやら、おしゃれなスーツに身を包み、金と価値がダイレクトに結びついていた時代。
ファッション雑誌や恋愛のハウツー本。モノを消費していた時代。
当時のトレンディードラマもある意味「ファンタジー」であったと思うが、
そのファンタジーは「モノ消費」に結びついていた。

というわけで、

「宇津保物語=トレンディードラマ説」(仮)

を提唱する。(うそ)



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