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宇津保物語を読む2 藤原の君#16

実忠、兵衛の君を介してあて宮に歌を贈る

 かくて、例の宰相、兵衛の君を呼びて、物語などしたまふ。(実忠)「一日、いとうれしく、御返りを聞こえで、賜へりしを、すなはちと思ひたまへたりしに、比叡のわたりに、『もの忘れせさせたまへ』と申しつるほどになむ」。兵衛、「久しくおはしまさざりつれば、いづくになるらむと、おとどの君も聞こえたまひ、大殿よりも聞こえたまひしは、山籠りしたまへるにこそありけれ」(実忠)「心静かにてこそ宮仕へもすれ。世にあるべくもおぼえぬには、誰(た)がためかは交らひをもせむ」とのたまひて、御返り書く。(実忠)「奥山に賜はせたりしは、すなはちこそ聞こえさせむと思ひたまへたりしか。塵の山はさのみやは」とて、
  恨むれど嘆く数にもゐぬ塵や
  深きあたごの峰となるらむ
とて、兵衛の君に、(実忠)「これ参らせたまひて、御返り賜はりてたまへ。類(たぐひ)なくうれしかりしを、今またなしてなむ。なほ御心とどめて思ほせ」。兵衛、「さ思ひたまふれど、古(ふる)里(さと)ものしたまふとこそ思しためれ」。(実忠)「いで、まろぞほころび縫はむだにぞ持(も)たらぬ。よし見たまへ」とて、綾(あや)搔(かい)練(ねり)の袿(うちき)一襲、小袿、袷の袴賜ふとて、
(実忠)唐衣解き縫ふ人もなきものを
   涙のみこそすすぎ着せけれ
とて取らせたまふ。兵衛、「この御ほころびこそ心憂けれ。
   縫ひしをもほころぶまでに忘るれば
   結ばむこともいかがとそ思ふ
さらに見たまへじ。『何にか参りつる』とのたまはむものを。召しありとも、今はまゐり来(こ)じ」。いらへ、(実忠)「あやしくものたまふかな。対面したりつるとな聞こえたまひそかし。あまりも怖(お)ぢ聞こえたまふかな」など、物語多くしたまひて、兵衛はまう上(のぼ)りぬ。兵衛、この御文奉りて、のたまひしことども聞こゆ。いらへもしたまはず。
 宰相、中のおとどの簣(すの)子(こ)に立ち寄りて、兵衛の君呼び出でて、(実忠)「いかにぞや」などのたまふ。(兵衛)「いとよく聞こえしかど、ものものたまはず」など聞こゆ。
 夕暮れに、ほかより取りもて来たる鳥の子の、寝ぐらも知らで鳴き歩(あり)くを見たまひて、
(実忠)「巣を出でて寝ぐらも知らぬ雛鳥も
   なぞや暮れ行くひよと鳴くらむ
われ一人にはあらざりけり」とのたまふを、あて宮聞こし召す。

 こうして、例の宰相(実忠)は、兵衛の君を呼んで、雑談などなさる。
「先日、お礼を申しそびれてしまいましたが、うれしいことに、姫君からの返歌をいただきまして。すぐにお返事をと思っておりましたが、ちょうど、比叡山で、『この恋を忘れさせて下さい』とお願いしておりました時でして。」
兵衛「長らく京にいらっしゃいませんでしたので、どちらにいらっしゃるのだろうと、左大将殿もおっしゃり、左大臣殿もおっしゃっておりましたが、山籠もりなさっていたのですね。」
「心静かにてこそ、宮仕えもできるのです。生きているとも思えぬ身には、誰のためにお勤めできましょう。」
と宰相はおっしゃって、あらためてあて宮への返事を書く。
「奥山でいただいたお手紙は、すぐに返事を申し上げようと思っておりました。“塵の山”とあなたはおっしゃいましたが、そんなものではないのです。

  あなたの薄情を恨むものの、その嘆きにも匹敵する塵よ。
  深い愛宕の峰となるほどに。」

といって、兵衛の君に
「これをお渡しして、お返事をいただいて下さい。先日のお返事のように、この上なくうれしいかったことを、もう一度お願いします。いっそうのご配慮をお願いしたい。」
兵衛「そのようにも存じますが、あなた様に奥様がいらっしゃると、姫君は気にしていらっしゃるようで。」
「いやいや、私はほころびを縫ってくれる人だっていないのだ。ほら、見てごらん。」
といって、綾搔練の袿一襲、小袿、袷の袴をお与えになろうとして、

  衣を縫ってくれる人だっていないのだ
  涙で衣を洗い、それを着るのだ

といって、お与えになる。
兵衛「このほころびが辛いのです。

  縫い合わせた衣がほころぶまで着ても、それを忘れてしまうのでは
  新しい縁を結ぶことは、ちょっとためらわれますわ。
  (縫ってくれた奧さんに失礼じゃありません?)

もうこちらへはうかがいません。『なんでそんな人のところに行くの?』と叱られますから。お召しがあっても、もう参りません。」
「変なことをおっしゃるものだ。じゃあ、私と会ったとは申し上げなければよい。ずいぶんと物怖じしてらっしゃる。」
などと、あれこれ言葉を尽くしなさり、兵衛はあて宮の所にもどる。
兵衛はあて宮に手紙を差し上げて、宰相がおっしゃったことなども申し上げる。しかし、あて宮からの返事はない。
 宰相は、あて宮たちのいる中の御殿の簀子に立ち寄り、兵衛の君を呼んで「どうでしたか」とおっしゃる。
「ちゃんと申し上げましたが、お返事はありません。」
などと申し上げる。
 夕暮に、外から連れてきたひな鳥が、寝ぐらもわからずになき歩いているのをご覧になり、

  巣から離れて、寝ぐらも解らぬひな鳥よ。
  どうして暮れゆく“ヒヨ”、と鳴くのだ。

ひとりぼっちは私だけではないのだな。」
とおっしゃるのを、あて宮はお聞きになる。


今まで順調かと思われた宰相の雲行きが怪しくなってきた。
宰相には妻がいるらしいとの情報。本人は否定しているが、その妻の存在がどうやらあて宮の耳に入ったらしい。
兵衛にもずいぶんな圧力が掛かっているようだ。


懸想人たち、恋心を託してあて宮に歌を贈る

 また、兵部卿の宮より、「久しく思ひたまへわびつる心地も、ほのかなりし御返りになむ思ひたまへ慰めつる」とて、
   夏の野にあるかなきかに置くつゆを
   わびたる虫は頼みぬるかな
と聞こえたまへり。御返りなし。
 右大将殿よりも、(兼雅)「かひなければ、聞こえにくけれども、えさも思ひはてぬものになむありける。
   かくばかりふみみまほしき山路には
   許さぬ関もあらじとぞ思ふ
深き心は頼もしくなむ」と聞こえたまへり。御返りなし。
 平中納言殿より(正明)「聞こえそめては久しくなりぬれど、おぼつかなきは、いかなるにか」とて、
(正明)「いく度かふみ惑ふらむ三輪の山
   杉あるかどは見ゆるものから
度々のはいかがなりけむ」とあれど、御返りなし。
 人々の立ち返り聞こえたまふを、三の、御前近き松の木に、蝉の声高く鳴くをりに、かく聞こえたまふ。
(三の宮)「かしがまし草葉にかかる虫の音よ
    われだにものはいはでこそ思へ
住みどころあるものだに、かくこそありけれ」。あて宮、聞き入れたまはず。
 侍従の君、御琴遊ばすついでに、
(仲澄)人を思ふ心いくらに砕くれば
   多く忍ぶになほいはるらむ
例の聞き入れたまはず。
行政、あこ君にかく聞こえたり。
(行政)やまがつのあとなる水も清ければ
   空行く月の影を待つかな
〔絵指示〕省略

(小学館新編日本古典文学全集)

 また、兵部卿宮から、
「久しく思い悩んでおりました気持ちも、ほんの少しのお返事で慰められました。

  夏の野に有るか無きかのように置く露でも
  喉の乾いた虫は、頼りにするのだ。

と申し上げなさるが、お返事はない。

右大将(兼雅)殿からも、
「甲斐もないことなので、申し上げるのも辛いものの、そのようにも諦めきれないものなのです。

  このように、踏んでいきたいのです。文がいただきたいのです。
  許されない関所なんかあるものか。

深い心を頼りとして」
と申し上げなさる。お返事はない。

 平中納言正明殿から
「恋しい気持ちを申し上げてからずいぶんとなりましたが、お返事いただけないのは、どういうことなのでしょうか。

  何度も、踏み入りさまよう三輪の山
  しるしの杉の門はそこに見えているのに。

度々差し上げたお返事はどうなったのでしょう。」
とあるけれど、御返事はない。

 人々が、入れ替わり立ち替わり申し上げなさるので、三の皇子も御前近くの松の木に蝉が声高く鳴いているのを聞いてこのように申し上げる。

  騒がしい。草葉の中でなく虫の音よ。
  私だって、何も言わずに思い続けているのに。

妻子ある者たちでさえ、こうなのだから、独り身の私はなおのこと。」
あて宮は、聞き入れなさらない。

 侍従の君(仲澄)は琴を奏でなさるついでに、

  あなたを思う心はいくつにも砕けているので、
  こんなにも忍び隠しているのにやはり口に出してしまう。

いつもの通り聞き入れない。

 行政は、あこ君にこう申し上げた。

  山賤の足跡にたまった水も清く澄んでいるので、
  (身分の低い私の心も澄んでいるので)
  空を行く月の影を映してるのです。


全て撃沈


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