宇津保物語を読む8 あて宮#6
庚申の夜、あて宮東宮や所々に贈物をする。
東宮をはじめ殿上人たち、雁の歌を詠む
前段に続き、物語は2月中旬、庚申待ちの様子へと続きます。行事についての細かい描写や歌の披露が続くので口語訳は割愛します。
庚申待ちとは、その夜、眠ると三尸という虫が体内から抜け出し、天帝にその人の罪業を告げるといわれていました。するとその人の命が縮められてしまうために、人々は徹夜をしてそれを阻止しようとしました。どうせ徹夜するなら楽しもうということで、いろいろな遊びが催されたようです。あて宮は、入内して初めての庚申の夜を過ごすにあたり、人々へ豪華な贈り物を贈ります。また、あて宮に対しても帝や涼、仲忠などから贈り物が届けられます。
庚申待の人々の様子が描かれた後、東宮の他の后たちの様子も「絵指示」の中で描かれます。
東宮の后ともなれば、政治的思惑もはらみ、身の処し方にも細心の注意が払われます。源氏物語の桐壺の巻に描かれたような后どおしの鞘当てがおこりますが、あて宮には有力な後ろ盾があることが、ここで再確認されます。
そして物語は再び求婚者たちのその後を語ります。
仲忠、涼、行政、水尾の仲頼を訪ねる
訳
源少将(仲頼)は山に籠もった日から穀物を断ち塩を断って、木の実や松葉ばかりを食べて六時の勤行を怠ることなく行い、海のように涙を流し、嘆きの木を山のように生やして、嘆き暮らしているのを、帝をはじめ皆惜しみ悲しまないものはいない。中でも左大将殿は「何か思うことがあるのだろう、気の毒なことよ。」とおっしゃる。
高く険しい山道を尋ね、殿上人や左大将の男君達がご自身で足を運んで訪問なさっているが、藤中将(仲忠)、源中将(涼)、兵衛佐(行政)は風流なお遊び相手であった少将を恋しく思い、花摘みがてら少将の住む水尾にいらっしゃった。
少将は喜んで対面し、積もるお話などなさる。皆涙を流す。
藤中将「貴殿は、どうしてこのような、思いもかけない出家をなさったのですか。私もいつまでも生きていたいなんて気持ちは持っておりませんが、親孝行したいという一心で、しばらくは俗世で過ごしてはおりますが、こうして出家なさったお姿を拝見すると、まずもって悲しくて。」
といって、
ふとあなたの姿を拝見すると涙が川のように流れます
私も明日はどうなるかわからない身ですけれど
少将
世のつらさを思い知った心こそが
私を深い山辺へと導いたのです
源中将
蝶よ鳥よと遊んだ花のように美しいあなたの袂に
こんな山奥の苔が生えるなんて思いもしませんでした
と泣きながら話をして、一行は帰った。
仲頼の出家に人々は心を痛める。なかでも目をかけていた左大将正頼は深く同情する。
仲頼の人望の厚さが改めて思い知らされる。
そして、仲忠、涼、行政の訪問。吹上での楽しい時間を過ごした4人の再会である。
仲頼、あて宮に歌を贈るあて宮返歌
訳
左大将のご子息たちが訪問なさるのにも対面なさり、しばらく話を交わし、帰ろうとするときにあて宮のもとにこのように言づけをなさる。
「あなたを思って流した紅の涙で染まった袖こそが
あなたとの形見だとも思っておりましたが、
今はまたさらに涙で黒く染まっています
これ以外に形見となるものがないのが残念で」
などと申し上げる。
それを読んだあて宮は
「まあ大変。文をいただいても返事をせずにいたけれど、こんなことになるなんて。今なら返事を書いても平気よね。」
と思って、
今はこれまでと決心して山奥に暮らす墨染めの衣は
未練の涙に濡れることはないとうかがっておりますが
とお詠みになる。
少将はこれを見て、涙を流し、この文を伏し拝み、
「思えば、長い間毎日のように文を送ったけれど、一文字のお返事をいただくことも出来ず、お顔さえも拝見できなかったけれど、私の仏道の功徳で、入内後ではあるものの、一行であってもお手紙をいただけたのだ。」
と思って大切な宝物となさったそうである。
〔絵指示〕省略
既婚女性の余裕か?
結婚によって恋愛ゲームの枠外に逃れ出たあて宮は、もう別のステージに上がっている。
身を守るために、ピリピリと張り巡らしていたバリアも解け、今は「あはれ」と感じる余裕すらあるのに、まだそこにとどまり続けるのは、男ばかりだ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?