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宇津保物語を読む2 藤原の君#10
三春高基の紹介。その徹底した吝嗇生活その2
住みたまふところは、七条の大路のほどに、二町のところ、四面に蔵建て並べたり。住みたまふ屋は、三間の茅屋、片しはつれ、編みたる蔀。めぐりは檜垣。長屋一つ、侍、小舎人所、てう店、酒殿。殿の方は、蔀のもとまで畑作れり。殿の人、上下、鋤、鍬を取りて畑を作る。おとどみづから作らぬばかりなり。かかるをある人、「御蔀のもとまで畑作られ、御前近き対にて、かくせしめられたること、あるまじきことなり。この御蔵一つを開きて、清らなる殿かい造らせたまへ。財には主避く、となむ申すなる。天の下、そしり申すことはベるなり」と申す。(高基)「あぢきなきこと。この大将ぬしの、大きなるところによき屋を造り建てて、天の下の好き者どもを集めて、ものをのみ尽くすは、何の清らなることか見ゆる。そのものを貯へて、市し商はばこそかしこからめ。われかかる住まひすれども、民のために苦しみあらじ。清らする人こそ、朝廷の御ために妨げをいたし、人のために苦しみをいたせ」などのたまふほどに、小さくて、病してほとほとしかりけるに、親大きなる願どもを立てたりけり。なくなりにけるときにいひ置きけれど、かかる財の王にて果たさず、その罪に、恐ろしき病つきて、ほとほとしくいますがり。市女、祭り祓へせさせむとするときにのたまふ、(高基)「あたらものを。わがために塵ばかりのわざすな。祓へすとも打撒に米いるべし。籾にて種なさば多く生るべし。修法せむに五石いるべし。壇塗るに土いるべし。土三寸のところより多くのもの出で来。楝の枝を一つに、実のなる数あり。果物に食ふによきものなり。胡麻は油をしぼりて売るに、多くの銭出で来。その糟、味噌代に使ふによし。粟、麦、豆、ささげ、かくのごとき雑役のものなり」とてせさせたまはず。
三春大臣のお住まいになるところは、七条大路のあたりに2町の広さで、4面に蔵を建てて並べている。住んでいらっしゃる建物は、3間の茅葺きで、片方は崩れており、蔀は編んで作っている。周囲は檜垣がめぐらしてあり、長屋が一つ。侍所、小舎人所、ちょう店、酒殿がある。御殿のあたりは、蔀の近くまで畑を作っている。殿に仕える者は、上下の区別無く鋤、鍬を持って畑を作る。大臣自身が畑仕事をしないだけである。こんな様子を見てある人が、
「蔀の近くまで畑を作り、御前近くの対までこのようにしているのは、あってはならないことだ。この蔵一つを開けて、美しい御殿をお建てなさい。“財には主避く”(財には主人でさえ、場所を空ける)と言うではありませんか。世間のものがバカにしてますよ。」
と申し上げる。
「つまらんことを。あの左大将が広い屋敷に美しい御殿を建てて、天下の好き者たちを集めて贅を尽くしているのは、どうして清らかなことだと思えるものか。その分を貯蓄に回して市場で商った方が、よっぽど利口だよ。私はこんな生活をしているが、民を苦しめてはおらんよ。華美な生活をする人こそ、朝廷の政治の妨げともなり、人々に苦しみを与えるのだ。」
などとおっしゃる。
この大臣は小さい時に病気をして今にも死にそうであった時に、親が神仏に願を立てたことがあった。両親が亡くなる時に願果しをするように遺言なさったけれど、こんな大金持ちであっても願果しをなさらなかった。その罰が当たって、恐ろしい病気となって危篤状態に陥ってしまった。徳町が治癒のため祭り祓いをさせようとしたときに大臣が言うには、
「もったいないことを。私のためにゴミみたいなことをするな。お祓いをするとなれば、打ち撒きに米が必要になろう。その米を籾として撒いたならばたくさんの米がとれるではないか。修法するには五石もの米がいるだろう。壇を塗るにも土がいる。土3寸あればそこから多くの作物がとれる。護摩木に使う楝の枝も、植えれば一本にたくさんの実がなる。果物として食べるのにはもってこいだ。胡麻は油を絞って売れば多くの銭になる。残ったカスは味噌の代わりに使えばよい。粟や麦や豆、ささげ、みんなそれぞれ役に立つのだ。といってお祓いをおさせにならない。
「ケチであることは民の迷惑ではない。贅沢をしている奴らこそ民を苦しめているのだ。」というセリフには、ついうなずいてしまう。確かに高基は政治の手腕は優れ、民を苦しめないという点では君子である。
ただ正論ではあるが、
「果物に食ふによきものなり」という言葉には、
「でもあなた、それ食べませんよね」とツッコみたくなる。
病気の祈祷も無駄というなら、何のために貯蓄しているのだろう。
やっぱり手段と目的を取り違えている。
かくて、臥したまへるほどに、まうぼるもの、日に橘一つ、湯水まうぼらず、(高基)「いたづらに多くの橘食ひつ。核一つに木一樹なり、生ひ出でて多くの実なるべし。今は食はじ」とのたまふ。いささかなるものまうぼらで、日ごろ経ぬ。(高基)「ここのにはあらで、橘一つ食はむ」とのたまふ。五月中の十日ごろの橘、これはなべてなし。この殿の御園にあり。みそかに市女取りて参る。おとど、子、市女の腹に、五つばかりにてあり。母を怨じておとどに申す、(子)「『ここの橘を取りてなむ参りつると申さむ』といひつれは、粟、米を包みてなむくれたる」といふ。弱き御心地に、胸つぶらはしきことを聞きたまひて、ものも覚えたまはず。市女、(徳町)「いと人聞き悲し。このあこ、おのれと腹立ちて、制したまふこととて申したまふになむ」といふ。業にやあらざりけむ、御病怠りぬ。
かくて、市女の思ふほどに、高き人につきたれど、わが売り商ふものをこそ、わが身よりはじめて食ひ着れ。わがほどにあたらむ男をこそせめ、と思ひて、逃げ隠れぬ。市女のありて、知らせでとかくせしに馴らひて、侍の人々、ときどきもの申しければ、おとど、(高基)「朝廷に仕うまつればこそ、人のなきも苦しけれ。畑を作りて、一人二人の下衆を使ひてあらむ」とて、位を返したてまつりたまひ、例なきことのたまふ、(高基)「つきなき身にて、高き位用ゐるべからず。山賤らを従へて、田、畑を作らむ。この位を返したてまつりて、人国一つを賜はらむ」と申す。「さもいはれたり」とて、大臣の位をとどめられて、美濃国を賜ひつ。
〔絵指示〕省略
こうして寝込んでいる時に、食べるものは、一日に橘の実一つだけ。湯水も召し上がらない。それでもまだ、
「無駄にたくさんの橘を食べてしまった。種1つで木が1本だ、そうすれば多くの実がなるだろうに。もう食べるのよそう。」
とおっしゃる。少しのものも食べないで、数日がたった。
「うちの庭のじゃない橘を食べようかな。」
とおっしゃるが、五月中旬ころなので、橘はもうどこにもない。けれど、この大臣の家の庭にはある。こっそりと徳町がそれを取って食べさせる。
大臣には徳町との間に5歳になる子がいるが、その子が母を恨んで大臣に告げ口をする。
「お母さんに『うちの橘を取って差し上げたこと、言いつけちゃうぞ』といったら、粟や米を包んでくれたよ。」という。
大臣の衰弱して弱気になっているところに、胸がつぶれるようなことを聞いて、正気を失ってしまう。
「もう、人聞きが悪い。この子は私とケンカした腹いせに、あなたが禁じていることで濡れ衣を私に着せようとしていったのでしょう。」
という。
そんなこんながあったものの、悪業ではなかったのでしょうか。大臣のご病気はすっかり治ってしまった。
こんなことがあってから、徳町の思うことには、
(身分の高い人と結婚したけれど、私が商売したお金で、自分をはじめ家族が食べたり着たりしている。身分相応な人と結婚しよう。)
と思ってついに逃げ隠れてしまった。
徳町が大臣に内緒で賄ってくれた生活になれてしまって、侍所の人々は時々ものをねだるので、それを聞いた大臣は
「朝廷に仕えていればこそ、多くの従者が必要なのだ。いっそのこと畑を作って、1人2人の下衆を使って暮らしたい。」
といって位を返上なさり、前例のないことをおっしゃる。
「拙いわが身が高い位についているわけにもまいりません。山賤らを従えて、田畑を作ろうと思います。この大臣の位を返上して地方の国を一ついただきたい。」と申し上げる。
「それもしかたあるまい。」というわけで、大臣の位をおろし、美濃国をお与えになる。
玉の輿に乗ったつもりが、なぜか自分の収入で生活している、と言うことに嫌気が差して、ついに徳町に逃げられてしまう。
たぶん、心配して病気の祈祷をしようとしたのに、それを否定されたのがトドメだったのだろうなあ。
ただケチなくらいなら、経済観念において、商人である徳町なら、許容できたのだろうが、病気を心配した、その愛情が理解できないのは、やはりだめだよ。加えて子どもにも裏切られるし。
身分は別にして、徳町はいい妻だったと思うよ。それに気がつかないのがかわいそうだよね。
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