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宇津保物語を読む3 忠こそ#10(最終回)

千蔭と側近の人々、忠こそを偲び歌を詠む

 おとど、月日の経るままに、思し嘆くこと、慰む世もなく思し嘆きて、山に籠りて行はむ、世の中は心憂きもの、と思しあまりて、かくのたまふ。
(千蔭)白波のをすすぐ田子の浦に
   遅れてなぞも嘆く舟人
とのたまふ。左近中将、
   暇もなく波かかるてふ田子の浦に
   寄すなる名をや形見にはせむ
左衛門佐、
   駿河なる浦ならねども白波は
   田子といふ名にも立ち返りけり

 大臣は、月日が経つにつれて、思い嘆く様子は、慰めようもないほどであり、山に籠もって修行しよう、世の中は辛いものだ。と思いあまってこのように歌を詠みなさる。

  白波が真砂をあらいすすぐ田子の浦では
  子どもに先立たれてどうして舟人は嘆くのだろうか。

とおっしゃる。左近中将がそれに答える

  暇もなく波が打ち寄せるという田子の浦に
  ちなむ名をその形見としよう。

左衛門の佐

  駿河にある浦ではないが、
  白波は田子という名に打ち寄せています。

北の方嘆きの歌を千蔭に贈る 北の方零落

 かく、思ほし嘆きつつ経たまふほどに、かの一条の北の方、思ほし嘆くこと劣らず、今や今やと待ちわたりたまふに、おとどおはしまさねば、御ましをうち払ひて臥したまふに、ぜんの花すすきの折れかへりて招くを見たまひて、北の方、
   待つ人の袖かと見れば花すすき
   身のあき風になびくなりけり
などのたまひわたるに、風涼しく覚ゆれば、大殿にかく聞こえたまへり。(北の方)「いでや、聞こえじと思へど、『果て憂き人はといふめれば』と聞こえではえあらぬものなれば、ただ今の風のあやしく心細ければとてなむ。
   わが宿に時々吹しあき風の
   いとどあらしになるがあやしさ」
ものも覚えぬ御心地に、
 (千蔭)「あきとも木草の色し変はらずは
   風のとどまる花もありなむ
なほのどかに思したれ」と聞こえたてまつりたまふ。北の方、「なほざりなる御心かな。なほいみじきものは女の身なりけり。かう思ひはてられぬるにこそはあめれ。かく思ほさむ人は、よろづのこと思ふともかひもあらじ」とて、
 (北の方)白露に色変はりゆく秋萩は
   玉まくくずもかひなかりけり
とて居たまへり。
 年ごろ、おとどの通ひたまふこと、七年ばかりありしに、一日に使ひたまふもの、数知らずありしほどに、ここらの年ごろに尽くしはてて、限りなく貧しくなるままに、あるは男につきて去り、宮仕へしつつ出でて往ぬ。とくの盛りに、なめく使ひにくしとて、人よりことに憎みたまひし下仕へなむ、よもぎといひて、とどまりて、(よもぎ)「さいひてあらむやは。われだに仕まつらでは、たれかはあらむ」とて仕うまつりける。殿に残りたるものなし。かの俊蔭のぬしの奉りたまへりけるきんのみなむ残りたりける。それをぞ、この時の大将に万ごくに売りて使ひける。
  〔絵指示〕これ、一条殿の滅びたまひつるところ。

 このように思い嘆きながら暮らしなさるが、あの一条の北の方も、思い嘆くことは大臣に劣ることもなく、大臣のお越しを今か今かと待ちわびていらっしゃるが、大臣はいらっしゃらないので、御寝所の塵を払いのけて伏していると、庭先の花すすきが何度もなびいてはまるで招いているかのようであるのをご覧になって、

  待つ人の袖かしらと見れば、
  花すすきが、まるでわが身に飽きたかのように、
  秋風になびいているのでした。

などと詠い、過ごしていると、風が涼しく思われる頃、大臣邸にこのようにお便りを送る。
「さあ、もう申し上げまいと思っておりましたが、『果て憂き人はというようですので』と申し上げずにはいられませんので、今日の風が不思議にも心細いので、

私の家に時々吹いていた秋風が、今日はとても強い風となるのが不思議です。」

受けとった大臣は何も考えられないような気分で、

  秋が来たとしても草木の色が変わらなかったとしたら、
  いつかは風がとどまる花もあるでしょう。

やはり、のどかなお気持ちでお過ごしください。」
と申し上げなさる。
北の方「いいかげんなお気持ちですこと。やはり辛いのは女の身であることよ。これほどにまで思い捨てられてしまったのであろう。私のことをこれほど冷たく思っている人は、こちらがどんなに思っていたとしても、もうかいのないことだろう。」

  白露によって色あせてゆく秋の萩は、
  玉葛がまといついてもかいのないことだ。

と詠んでいらっしゃる。

 長く大臣が通うこと、7年ほどであったが、一日に費やす費用は数知れぬほどであったが、ここ数年で使い果たして限りなく貧しくなってしまったので、ある者は男について去り、またある者は宮仕えするといって出て行った。そんな中、裕福だった頃には礼儀知らずで使いにくいとして、ほかの者から特に嫌われていた下仕えの“よもぎ”というものが屋敷に止まる。
「そんなこと言ってられませんわ。私さえもお仕えしませんでしたら、ほかに誰がいましょう。」
といって、お仕えする。
 屋敷には何も残されたものはない。あの俊蔭が左大臣に献上した琴(かたち風)だけが残されている。それをときの大将に1万石で売って生活費とする。


 ついに北の方も零落する。使用人たちが見限って離れていく中で、よもぎだけが残る。無作法な嫌われ者が実は一番の主人思いであった。
全てを失うことによって初めて気づく、人の心のまこととは何であるかを考えさせる。

千蔭、小野に隠棲し仏事を営む 千蔭逝去

 かくて、このおとど、いもひ、さうをして経たまふほどに、山里の心細げなる殿設けたまひてぞ住みたまひける。そのわたりは、比叡の坂本、小野のわたり、おとがわ近くて、滝の音、水の声あはれに聞こゆるところなり。もの思はぬ人だに、もの心細げなるわたりなり。ましていみじき心地してなむ経たまひける。おとど思すやう、われ世の中に久しくえあるまじきを、せまほしきわざ、わが世にしてむと思して、まづ故君の御ために、一切経、ほうの塔造らせたまひて、供養したまひけり。わが後のわざしたまひ、忠こそのためにしたまふ。この世にあらばそくさいとなれ。なきものならばかの世の道ともなれとて、ありし時使ひしもの、みなきやうにしたまふとて見たまふに、かの山へ入るとて、もの書きつけし琴とり出でて見たまふに、書きつけたるものを見つけて、おとどおどろきもだえたまひて、思ほすこと限りなし。
 さて、(千蔭)「比叡に誦経にしてむ。かいぐしてもて馴らししものをや。わが目には見じ」とのたまひて、仏造らせたまはむとて、よろづのつはものしてちからひと集まりて割るに、いささかなるきずつかず。かねの上に露かからむばかりなり。てわづらひたまふほどに、大空かきくらして、雨降り、いかづち鳴りて、この琴を巻き上げつ。
 かく大いなるわざをして待ちわたりたまふほどに、忠こそを恋ひ死にに隠れたまひぬ。

(小学館新編日本古典文学全集)

 さて、この大臣は、潔斎精進をして過ごしていたが、山里の心細げな家を建ててお住まいになる。そのあたりは、比叡の坂本、小野のあたりで、音羽川が近く、滝の音や水の音がしみじみと聞こえるところであった。悩みのない者であってももの心細げに感じる所である。まして、辛いお気持ちで過ごす大臣にはいかばかりであろうか。そんな場所で大臣が思うのは自分はこの世にもう長くはないであろうから、やりたいことは生きているうちにしようと思って、まずは亡き妻のために一切経を写し、多宝塔を造らせて供養なさった。自分の死後の法要もなさり、忠こそのためにも法要をなさる。もし生きているなら息災の供養となれ、死んでしまったなら来世への導きとなれと思い、忠こそがいた時に使っていたものを誦経のためのお布施としようと思ってご覧になると、山へ入る時に歌を書きつけた琴が出てきた。そこに書きつけられた歌を見つけて大臣は驚き身悶えなさり、改めて忠こその失踪のいきさつを思いやることこの上ない。
「この琴は比叡の誦経の布施としよう。忠こそが身近において彈き馴していたものだ。目にするのも辛い。」
とおっしゃり、この琴で仏像を造らせる。いろいろな道具を使って力自慢が集まって割ろうとするが、少しの疵もつかない。まるで金属の上に露がかかった程度である。もてあましていると、大空が一面かきくらし、雨が降り雷が鳴って、この琴を空高く巻き上げてしまった。
 このように尊い供養をして帰りを待ち続けていたが、忠こそを恋いつつ、お亡くなりになった。


 忠こその琴に書きつけた歌を初めて見る千蔭。やっと親子の気持ちが通じた瞬間である。

 仙人の琴であるから、壊そうとしても壊れるものではない。悲劇を見届けた琴は空高く、仙人の世界へと帰って行く。それを見送る千蔭の目には果たして何が映ったか。

 悲劇のエンディングにふさわしい、静かな幕切れである。

宇津保物語 俊蔭から始まる冒頭3巻の講読はこれにておしまい。
拙い訳でしたが、お読みいただいてありがとうございます。

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