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宇津保物語を読む3 忠こそ#5

博打北の方の意を受け、千蔭の石帯を売る

 博打、内裏うちへ、おとども参りたまひ、上達部、親王たち多く参り集まりたまひ、忠こそもさぶらひたまふとき、蔵人所に帯を持て来て、「売るなり」とて出でたるに、蔵人在原しげいへ、心つきたる人にて、かしこくおどろきて、「これは、世の中にありがたきもの持ちたる人かな。ここら見つる中に、これに似たる帯なし。内宴に右のおほい殿どののさしたまへりしにおぼえたり。さりともそれならむやは」。左衛門尉なる人の、「いでその帯は、上の御覧じて『奉れ』と仰せたまひしを、『るいだいに伝はれる帯なり。千蔭が後出でまうで来ずは奉らむ』と奏したまふを、忠こその帯こそあらめ」などいひて、「さはれ、上に御覧ぜさせむ」といひて、持て参りて、「売る」と奏す。
 上、御覧じて、いとかしこくおどろきたまふ。(帝)「これは千蔭の大臣の帯にこそあめれ。うれたき人かな。わが請ひしには『子出で来なば取らせむ』といひしを、さにこそありけれ。不思議なることかな」とて、右大臣を召して、(帝)「いとかしこく惜しまれし帯は、出だし立てられにけりや」とて笑ひたまふ。おとどおどろきかしこまりたまひて、(千蔭)「この帯は、いぬる二月十二日に、忠経の朝臣の家にて盗まれはベりし帯なり。これによりて、よろづの神仏になむ願じ申しつる」と申して、すなはち帯を取りて、博打を左衛門の陣に召して問はせたまへば、博打責められ困じて、かのたばかりごとを申す。
 おとど聞きたまひて、心魂惑ひて、よろづのこと覚えたまはず。かへすがへすあらじと思せど、寄る人もなかりしを思すに、いふかひもなくて、(千蔭)「よし、いはぬものをしひても問はじ」とのたまひて、許させたまひて率てまかづ。さて博打召し寄せて絹三十疋賜ふ。(千蔭)「天の下さかさまになるとも、かかることあらじと思ヘども、かけても、心魂騒ぎていといみじければなむ、え確かにもえ定めぬ。このこと人に漏らすな」とのたまひて、許させたまひつ。おとどかへすがへす思ほすに、あやしくあらじ、と思ほせど、失せやうのあやしかりしを、なでふことなり、と思すこと限りなし。されども、忠こそに、「かかることなむ人いふ」とものたまはず、北の方にも、「この帯出で来たり」とも申したまはず。

(小学館新編日本古典文学全集)


 博打打ちは宮中へ、大臣も参上し、上達部や親王たちも多く集まり忠こそもお仕えしている時に、蔵人所に石帯を持って「売りたいのだが」といって行くと、蔵人の在原しげいえが、(彼は思慮分別のある者なのだが)それを見てたいそう驚いて、
「これは、世にも珍しいものを持ってきたな。石帯はいろいろと見てきたが、これに似た石帯はほかにはない。内宴の時に右大臣がこれと同じものを身につけていらっしゃったのを覚えている。しかし、その帯であるはずがない。」
というと、それを聞いた右衞門尉である人が、
「いや、確かにその石帯は帝がご覧になって『献上せよ』とおっしゃったが『先祖代々伝わる帯です。私の跡取りがおりませんでしたらば、献上しましょうが、』と奏上したという、いわゆる“忠こその帯”であろう。」
などといって、
「どうであれ、帝にご覧に入れよう。」
といって、帝の御前に持って行き「売り物だそうです」と奏上する。

 帝はその石帯をご覧になってたいそう驚きなさる。
「これは千蔭の大臣の帯だよ。しゃくに障るやつよのう。わたしがよこせといった時には『子どもが生まれたなら与えるつもりですので』と言っていたくせに、売ってしまったのか。おかしな奴め。」
とおっしゃって、右大臣をお召しになり、
「たいそう惜しんでいた帯は売ってしまったのか。」
といってお笑いになる。右大臣はそれを聞いて驚き、恐縮して、
「この帯はさる2月12日に、故左大臣忠経の朝臣の家で盗まれたものです。そのため多くの神仏に見つかるようにと願掛けをしておりました。」
と申してすぐにこの石帯を引き取って、博打を左衛門の陣に呼びつけて尋問すると、博打は強く詰問されたので、北の方に言い含められた嘘を申しあげる。
 右大臣はそれを聞いて気が動転し、頭が真っ白になってしまい、そんなことはあるはずがないと何度も言い聞かせるが、忠こそ以外に立ち寄る者もいなかったと考えるとどうしようもなくて、
「よし、答えたくないならば無理には聞くまい。」とおっしゃり、お許しになって博打を連れて帰る。
さて、博打を呼び寄せて絹30疋を与える。
「天下がひっくり返ってもこんなことはあるはずがないとは思うが、気が動転して辛いので、確かめることはできない。このことは人に漏らすなよ。」
とおっしゃって解放なさる。

 大臣は返す返す思うには、忠こそには疑うべき点は何もないはずだ、とは思うものの、紛失した様子がなんとも不審なことばかりで、どういうことかとばかり考えてしまう。しかし、忠こそに直接「こんなことを人が言っていたが」とお聞きになることもできず、北の方にも「石帯が出てきた」ともおっしゃらない。


北の方の策略が成功する。右大臣は忠こそを信じたいとは思うものの、疑念は払拭できない。
忠こそに直接聞くことができない、という点がリアルである。疑いが強ければ、逆に問い尋ねることもしたであろう。腹の中にしまっておくということは、よかれと思ってすることであっても、疑念の先送り、解決ではない。それが新たなすれ違いを生む。

「すれ違い」はドラマの原動力である。


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