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宇津保物語を読む 俊蔭Season4 #6(Season4終了)

兼雅、母子を三条堀川の邸に迎えとる

 母をば乗りたまへりつる馬に乗せて、われも子もしりさきにつきて、押さへなどして、人とどめたまひしところまでおはし着きて、そこにて二人の乗りたる馬に、われと子とは乗りたまひて、さぶらひ二人をば女の馬につけて、秋のひと出でたまひて、あかつきがたになむ、三条の大路よりは北、堀川よりは西なる家におはし着きける。
 御馬添に口がためたまひて、(兼雅)「もしかかること世に聞こえば、きんぢらをさへ罪に当てむ」と、いましめたまひて、御手づからしつらひ置きたまひしところに、率て入りたまひて、人に知らせたまはねば、おほ殿なぶらも参らざりければ、暗うてものも見えねば、御手づからこう上げて見たまふに、秋の朝ぼらけに、玉とみがきしつらひたるところに、ことなる飾りもなくやつれ、なかなかなるさまなれど、いふよしなくもてはやされて、清げにたぐひなく見ゆるを、天女を率ておろしたると驚かれたまふ。子もはかなきすいかん装束なれど、かたちまさりていとめでたし。女は、年ごろにいみじうやつれぬらむと思ふに、いとまばゆきまで恥づかしきに、母をも子をもつくづくとまもりたまへば、せめて暗き方に入りたまへば、われも奥へ入りたまひぬ。(兼雅)「あこはそこに。ねぶたからむ」とて、御几帳のもとに臥せたまへど、はしの方に出でたまひ、御前の有様を見る。
〔絵指示〕この殿は、はだのおとど五つ、廊、渡殿、さるべきあてあての板屋どもなど、あるべき限りにて、蔵町に御蔵いと多かり。

 母をご自身がお乗りになってきた馬に乗せ、自分も子もその前後について押さえなどして、人を留め置きなさったところまで行き、そこで二人の乗っている馬に自分と子はお乗りなさって、侍二人を女の馬につけて、秋の夜一晩かけて、山をおいでになり、明け方に三条大路よりは北、堀川よりは西にある家に到着なさった。
馬添えに口止めをなさって、
「もしこのようなことが世間に知れたなら、おまえたちまで罰するぞ」
と戒めなさり、自ら女君の手を取り、準備していらっしゃった所へ連れてお入りになる。人にも到着を知らせなかったので、灯りも点いておらず、暗くてものも見えないので、ご自身で御格子を一間上げてお二人の姿をご覧になると、秋の朝日の中、玉のように磨きしつらえた屋敷に、これといった飾りもなく、質素で中途半端な部屋の中ではあるが、いいようもなく引き立てられて、美しく世にたぐい無く見えるので、天女を連れてきてしまったのかと驚きになる。子もみすぼらしい水干装束であるが、容貌は一段と引き立ってすばらしい。
 女君は長年の苦労でたいそうやつれているだろうと思っていたが、まばゆいばかりに、こちらが恥ずかしくなるほどの美しさで、母をも子をもつくづくと見つめなさるので、女君はしいて暗い方へとお隠れになり、大将ご自身も後を追い奥へとお入りになる。
「息子よ、おまえはそこで寝なさい。眠かっただろう」
といって、御几帳の近くに横にならせるが、子は端の方にお出ましになり、庭の様子を眺めている。
(絵指示)この御殿は檜皮葺の御殿が5つ、廊や渡殿はそれぞれに用途のある板屋葺きであるが、あるべきものは揃っており、蔵町には蔵が非常に多くある。

絵指示=この場面を絵に描くにあたっての指示書。


絵指示が書かれているのは宇津保物語の特徴。物語は絵を見ながら読むものであった。この絵指示は作者が書いたものか、それとも後世の人が絵の代わりとして書き加えたものか。他の物語にもこのようなものがあったのか、考えるほどに興味深い。

兼雅、俊蔭の娘を愛し、子に学芸を習わす

 かくてのち、おとど、一条殿にあからさまにもおはせず、こと御心なし。大人二十人ばかり、うなゐ、下仕へなど、いと多く召し集めて、使はせたてまつりたまふ。夜昼、昔のことを悔い、行く先のことを契り、あはれは飽かず思さるるままに聞こえ尽くしたまふ。
 北の方、御歳三十に少し足らぬほどなる、御かたちただ今盛りにて、思ほすことなくておはするままに、光を放つやうに見えたまふ。子はたさらにもいはず、この世の人にも似ず、いとありがたくたぐひなし。琴をばさらにもいはず、ことざえも、さるべき師ども召して、笙、横笛も習はせたまふ。きものは、北の方さるじやうにおはすれど、琴のなかりしかばこそあれ、箏、和琴など習はしたまふ。御いとま今はことにおはせねど、殿の出でたまへるひまなどに、気色ばかりのことのさまを聞こえたまへば、いとすぐれて弾きとりたまふ。何ごとも師に二たび問ひたまはず。笛どももいとはなやかに心ありて、日にはふみを二、三巻も読み、琴、笛を五、六でふも吹き弾きとりたまへば、(人々)「大将は、いづくよりかかる子を尋ね出でて、世のものの上手ほし立てたまふらむ」といひののしる、名高くなりたまひぬ。京に率て出でたまひし三年がほどに、すべて世にせぬことなくなりぬ。大将殿、ただこれをかしづき思すよりほかのことなし。

(本文は小学館新編日本古典文学全集)

 こうして、殿は一条邸には少しも行かず、女君のことばかり大切にしている。三条邸には年配の女房20人ほど、うない髪の子どもや下仕えなどをたくさん召し集めて、奉仕させなさる。夜昼となく、昔のことを悔い、将来のことを約束し、愛情を思う存分にそそぎ申し上げなさる。
 北の方は30歳に足らぬほどであるが、ご容貌は今が盛りで、何の心配もなく過ごすお姿は、光を放つように思われる。
子は今さらいうまでもなく、この世の人にも似ず、その素晴らしさは類いないほどである。琴はいうまでもなく、他の才能も優れており、然るべき師などを召して、笙や横笛も習わせなさる。弦楽器は北の方がたいそう堪能ではいらっしゃったが、琴が手元になかったので、箏や和琴などを改めて習わせなさる。
 うつほにいた頃とは違い、暇な時間は今は特にないけれど、殿が出仕なさった隙に、ほんの少しばかり教え申し上げなさると、とてもすばらしく習得なさる。
どんなことも、師には二度は質問なさらず、笛などもたいそう華やかに心を込めて吹き、一日に書物を2,3巻も読み、琴や笛を5,6帖も演奏なさるので、
「大将はどこからこんな子を探し出し、音楽の名手としてお育てなさるのだろう。」と世間ではいい騒ぎ、評判となっていった。
京に連れ出しなさって3年のうちに、すべて習得してしまい、できないことは何もなくなってしまった。
大将殿は、この子を大切に養育なさるばかりである。

うなゐ=こども髪型。また、そのような髪型の幼い子ども。


三条邸で親子は何不自由なく暮らす。
子を一人前の貴族とするために教育を施す。音楽のみならず学問にも秀でる聡明さは祖父譲りである。

なぜ、仲忠は琴の伝承者を全うできなかったか。

 興味深いのは祖父俊蔭が特に教育を受けることなく育てられ、それでいながら進士に及第したのに対し、この子(仲忠)は多くの師について教育を受けていることだ。
 優れた才能を発揮していることには違いないが、世俗的な出世コースのレールに乗せられ育てられてしまうのは、この子の将来に影響を与えたのではないか。このことで世俗的な価値観にとらわれ限界に達してしまったのではないか。

天衣無縫な俊蔭と人間的な型にはめられてしまう仲忠。

政治的な出世を窮めることができても、ついには娘犬宮への琴の伝授を母に託さねばならなかった、琴の伝承者としての限界が、ここにあるのではないか。

約束された三代目は仲忠のはずであるのに、仲忠は奇跡を行えなかった。ここに宇津保物語のテーマを感じてしまうのである。

さて、次からは仲忠の物語である。Season5をお楽しみに。

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