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宇津保物語を読む 俊蔭Season2 #6

互いに嘆いて歌を詠み、四季は巡る

 かくて、女君、夢のごとありしに、ただならずなりにけり。それをも知らず、父母のみ恋ひしく、ならはぬ住居すまゐのわびしくおぼつかなきこと、かたらひおきたまひしことを、草木の色変はり、木の葉の散りはつるままに、涙を落としてながめわたる。夕暮れにいなびかりのするを見て、
  (俊蔭娘)いなづまの影をもよそに見るものを
  何にたとへむわが思ふ人
などいへど、たれかは答へむ。

 こうして、女君は夢のような逢瀬の後、普通ではない体となっていた。しかし本人はそのことにも気づかず、父母のことばかりが恋しく、慣れない暮らしの辛く不安なことや、父が言いつけなさったことを、草木の色が変わり、木の葉が散り尽くすにつれて、涙を落としながら、思い返しては、眺めている。夕暮に稲光がするのを見て、
  稲妻の光でさえ、よそながら見ることができるのに、
  すぐに逢えない私の思い人を何にたとえればいいのでしょうか。
   (つま=夫)
などと詠んでも、誰が答えてくれようか。

ただならず=妊娠。
かたらひおきたまひしこと=全集の訳では、若小君が主語となっているが、「父母のみ~」とあるので、これは父の言いつけと読んでみた。


季節は秋。稲妻の光に若小君を重ね、逢えないつらさを詠う。
両親を思い、将来の苦難を暗示するかのような父の言葉を思い返す。または、思い返したのは、若小君の果たされない約束の言葉か。


 若小君、かくて思ひ嘆く夕暮れに、風はげしく、虫の声乱るるを聞きて、あはれ、わが見しところのかはかぜいかならむ、と思ひやりて、
  (若小君)風吹けば声ふりたつる虫の音に
  われもあれたる宿をこそ思へ
などながめゐたるほどに、十月ばかりになりぬ。
しぐるる空にも、人知れぬ袖によそへられて、「眺むるをだに」と、そらにのみむかへるに、つるいとあはれにうち鳴きて渡る。この君、これを聞きて、ましてかなしさまさりて、
  (若小君)「たづが音にいとども落つる涙かな
  同じ河辺の人を見しかば
あはれ」
とひとりごちて、いかならむ世に今ひとたび見むと思へど、夢の通ぴ路だになし。月日のるままに、あふごなきのみ泣かれまさりて。

 いっぽう若小君は、このように思い嘆く夕暮の景色に、風が激しく、虫の声が乱れるのを聞いて、
「ああ、私が逢ったあの人のいる河原風はどうだろう」
と思いやり、
  風が吹けば、声を振り上げるようになく虫の声に
  私も荒れたあの人の住む宿を思うのだ。
などと、物思いにふけているうちに10月ほどになった。
 しぐれた空にも、人知れぬ袖にことよせて、「眺むるをだに」と、空ばかりをご覧になっていると、鶴がたいそう趣深く鳴きながら渡ってゆく。男君はこれを聞いて、いっそう悲しさが勝り、
  「鶴の鳴き声にいっそう落ちる涙だ。
  あの鶴と同じ河原のあたりにいた人と契りを結んだので。  ああ、」
と独り言を言って、いつになったらもう一度会うことができるだろうと思うけれど、夢で会うことすらできない。月日が経つにつれて、機会もなく泣く声ばかりが大きくなる。

眺むるをだに=「大空に恋しき人も宿るなむ ながむるをだに形見と思はむ」(御形宣旨集)の第四句を引く。(全集注)
あうご=(会う期)会う機会。


やがて季節は10月。冬の到来である。


 かの京極にも、風の荒く、霜、雪の降り積むままに、長き夜によろづのことを思ひ明かして、袖の凍れるを見て、
  (俊蔭娘)わが袖の解けぬ氷を見るときぞ
  結びし人もありと知らるる
など思ふほどに、年かへりて春になりぬ。
かの若小君、出でたまふとて、おし折りたまひし桂の木の萌え出でたるを見て、
  (俊蔭娘)忘れじとちぎりし枝は萌えにけり
  頼めし人ぞこのめならまし
と思ひわたる。

(本文は小学館新編日本古典文学全集)

 京極でも、風が荒く、霜、雪の降り積もるにつれて、長い夜にさまざまなことを思い夜を明かし、袖が凍るのを見て、
  私の袖の解けない氷を見るときには
  契りを結んだ人がいたことを思い知る。
  (結ぶ・掬う)
などと思ううちに年がかえり春となった。
 あの若小君は、女君の屋敷を立つときに、折りなさった桂の木が芽吹いているのを見て。
  忘れまいと、契りを結びちぎり折った枝が芽吹いたことだ。
  頼りに思わせている人も来れば良いのに。
  (契り・千切り 木の芽・来の目)
と思い続けている。

京極=俊蔭娘の邸宅
頼めし=「頼め」は下二段なので、頼りにさせる。信頼させる。
(四段は「信頼する」)


 二人の逢瀬は秋の8月10日。離れ離れのまま、冬になり、年が明け、春。季節の巡りと二人の思いを織り交ぜてゆく手法はすばらしい。

 二人の切ない思いは、しみじみと歌から伝わってくるのだが、気がかりなのは「ただならずなりにけり」という言葉。古文では妊娠を意味する。「それをも知らず」と娘は自覚していないようだが、やがて体の変化に自分でも気がつくであろう。母も乳母もなく、性の知識もない。頼りになるのは賤しい嫗ただ一人。

 しかし、生まれてくる子は、俊蔭の孫。つまりは七仙人の生まれ変わり。約束された琴を伝承すべき子である。物語は次のステージへと大きく動き出している。

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