見出し画像

宇津保物語を読む4 吹上 上#10

人々の帰京に際し、種松豪勢な贈物をする

 三月つごもりになりぬれば、客人まらうどたち、帰りたまひなむとす。あるじの君、種松にのたまふ、(涼)「人々の帰りたまふべきほどの近うなりぬるを、そのことはものせらるや。もてあそびものなどの、京づとにしつべからむなむ奉らむ、となむ思ふを、御心とどめてせられよ」。種松、「思ほゆる限りは仕うまつらせはべり。つたなき百姓らは、興ある筋をなむ思ひ寄らずはべらむ。しかありとも、わが君の御さくの筋侍らば、やすく思ひいたることども侍らむ」など。
 かくて、種松調てうぜさするほど、贈り物に、ひとところに、白銀のはたかけ、山の心ばへ組み据ゑて、それに唐綾、薄物など入れて、白銀の馬に沈のゆひくら置きて、白銀のをのこに引かせたり。沈のわり一掛、合はせたきもの、沈を、同じやうに沈の男に引かせ、ちやうくのかうかうなどを、破子のごとには入れ、薬、香などをいひなどのさまにて入れて、沈の男にになはせたり。蘇枋のすり一掛、色々の唐の組をにしたり。よき絹どもを三十疋づつ入れてより、蘇枋の馬に負ほせて、同じ男に引かせたり。海のかたを、白う白銀散らしてて、合はせたきものを島の形にし、沈の枝に作り花をつけて、島に植ゑ集めて、さやうのものを鹿、鳥に作り据ゑ、いとをかしげに大きやかなるがねの舟据ゑ、それに色々の糸を結び、袋におもしろきものを結び据ゑて、薬、香を包みて、組して上を包みて舟になし、沈のをりびつに白銀の鯉、ふなを作り入れ、白銀、黄金、瑠璃などの壺どもに、さやうのものを入れて、あさゆひなどして担ひ持たるにて、ふなかんどり立てて、三ところに同じごとしたり。びつ一掛、清らなる旅の御装束ども、三日に上りたまふべし、一日に一よそひ着たまへとて、三装色々にしたり。かづけ物ども、女の装ひ一襲づつ設けたり。引出物は、侍従にさまざまの駿ふちむまの、たけばかり、年六つばかりなる走り四つ、まきくらほねへうの皮の下鞍、白銀のあぶみかけたる鞍置き、黒まだらの牛四つ、生絹すずしの絹を白ながらつなぎつけたり。鷹四つ据ゑたり。白き組のおほ、青きしらつるばみの結び立てのふさ、鈴つけなどあり。四つ、あふご、いとめづらかなり。少将に、黒鹿の馬、丈ななばかりなる若き馬四つ、いかめしきあめうし四つ、鷹、鵜同じ数なり。これはあるじの君の御心ざし。種松が奉る物は、一ところにすり二掛、いかめしき馬に負ほせたり。白絹入れたり。はた二掛に道のほどのもの入れて、よき馬に負ほせたり。御かしよね、一ところに、二百石の船二船づつ、三ところに奉る。
〔絵指示〕
 種松がの家。四面巡りて、町殿一たち、田八町ばかり作りて巡りてあり。牛どもにからすき(原文では物+牛)かけつつ、男ども持ちてく。いひ盛りつつ食へり。離れていかめしき川、海のごとして流れたり。家の内、四めん八町、つひき入れたり。かきに添ひて、ひとおもてに、大いなる檜皮葺きの蔵、そぢづつ建て巡り、百六十の蔵あり。
 これは、北の方のわたくし物。綾、錦、絹、綿、糸、かとりなど、むねと等しう積みて、取り納めぬる蔵なり。
 これどころけいども三十人ばかりあり。家どもの預かり、百人ばかり集まりて、今年の生業なりはjひひすべきこと定む。炭焼、樵夫きこりなどいふ者ども集まりて奉れり。せうじばかり、男ども五十人ばかり並み居て、台盤立てて物食ふ。
 たてま所。鵜飼、鷹飼、あみすきなど、つぎにえ奉れり。男ども集まりて、まないた立てていを、鳥作る。かねの皿に北の方の御料とて盛る。
 まや。よき馬二十づつ、西にしひんがしに立てたり。預かりども居てまぐさ飼はす。傍らに鷹十ばかり据ゑたり。
 牛屋。よき牛ども十五ばかり、きぬ着せつつ並べて飼ふ。
 これは、おほ殿。二十石入るかなへども立てて、それがほどのこしきども立てていひかしぐ。きさの木に黒金のあしつけたるふね四つ立てめて、みな品々なるいひ炊き入れたり。所々の雑色ども、使ひ人、男にひつ持たせて、飯はかり受けたり。一つにうす四つ立てたり。臼一つに女ども八人立てり。よねしらげたり。
 これはかしき。白銀のあしかなえ、同じこしきして、北の方、ぬしのもの炊く。所のざふのうちはや着てあり。衣着たる男に、覆ひたる台据ゑたるほかゐ持たせて、御膳受く。上の御れうのに、ますかへしの御膳三、ぬしの御料八合、対の御膳一斗五升とて受く。
 これは酒殿。十石入るばかりの二十はたちばかり据ゑて、酒造りたり。酢、ひしほつけもの、みな同じごとしたり。にへどもなどもあり。
 これ、つく所。細工三十人ばかり居て、沈、蘇枋、紫檀らして、わり、折敷、机どもなど色々に作る。ろくども居て、ども、同じものしてひく。机立てて物食ふ。盤据ゑて酒飲みなどす。
 これはの所。男ども集まり、たたら踏み、もののこかたなどす。白銀、がねしららふなど沸かして、はたすきばこ、破子、餌袋、海、山、亀、月、色を尽くしてしいだす。ここにもみな物食へり。
 ここは。白銀、黄金の鍛冶二十人ばかり居て、よろづの物、馬、人、おりびつなど作る。
 ここは、織物の所。はたものども多く立てて、織り手二十人ばかり居たり。色々の織物どもをす。
 これは、染殿。たち十人ばかり、の子ども二十人ばかり、大きなるかなへ立てて、そめくさ色々にる。台どもふさに据ゑて、手ごとに物ども据ゑたり。ふねどもにの子ども下り立ちて、染草洗へり。
 これは、打ち物の所。たち五十人ばかり、の子ども三十人ばかりあり。巻き、前ごとに置きて、手ごとに物巻きたり。いかめしきからうすに、男女立ちて踏めり。
 これは張り物の所。巡りなき大きなる檜皮屋。あこめ、袴着たる女ども二十人ばかりありて、色々の物張りたり。
 これは縫物の所。若き御達三十人ばかり居て、色々の物縫へり。
 これは糸の所。御達二十人ばかり居て、糸繰り合はせなど、手ごとにす。織物の糸、組の糸など、竿さをごとに練りかけたり。唐組、新羅しらぎ組、ただの組など、色々にしたり。
 これは寝殿。北の方居たまへり。の台四つして、金のつきどもして物参る。御達十人、童四人、下仕へ四人あり。ここに所々のたうの御達並み居て、預かりのことども申したり。
 ここ西の対。ぞうのぬしいまそがり。御前に男ども二百人ばかり居て、物いひなどす。

(小学館新編日本古典文学全集)


 3月月末になったので、客人たちは帰京なさろうとする。あるじの君(涼)は種松におっしゃる。
「人々の帰京なさるはずの日が近づいていますが、その準備はしていますか。ちょっとしたもので、京土産になるようなものを差し上げたいと思うので、十分注意して準備してください。」
種松
「思いつく限りのものは準備させております。しかし無粋な百姓たちでは都人が興味をひくようなものは考えつきますまい。そうですが、わが君が指示なされば、簡単に思いつくこともございましょう。」
などという。

 こうして、種松が準備させたものは、贈り物として、一人につき、白銀の旅籠を一掛、山の風情に細工したものに、唐綾や薄物などを入れて、白銀の馬に沈木の結鞍を置いて、白銀で作った男にひかせたもの。
また沈木の檜破子一掛に、合わせ薫き物、沈木を入れて、同じように沈木でできた男にひかせ、丁字の練り香、ジャコウなどを破子の籠ごとに入れ、薬や香などを飯のような感じに入れて、沈木の男に背負わせる。
蘇枋の簏(竹で編んだ箱)一掛は、さまざまな色の唐組紐を籠に編み上げたものである。それに上等な絹を30疋ずつ入れてから、蘇枋の馬に背負わせて、同じ男にひかせる。
海の形を、白く白銀を散らして鋳造し、合わせ薫き物を島の形にし、沈木で作った木の枝に造化をつけて、その島に植え集めてから、同じように合わせ薫き物で鹿や鳥を作って並べる。趣向を凝らした大きな黄金の舟を浮かべて、それに色とりどりの糸を結び、袋に風流なものを結びつけて、薬や香を包んで、組紐で上を包んで舟のようにし、沈木の折櫃に白銀のコイやフナを作って入れ、白銀、黄金、瑠璃などの壺に、同様のものを入れて、麻紐などでかついでいるようにして、船頭や舵取りを立てた。同じようなものをあとの三人の方にも用意する。
御衣櫃一掛には美しい旅の装束を3日かけて上京なさるだろうから、1日に1着ずつお召しなさいということで3着色とりどりに用意する。
かづけ物としては、女の装束を一襲ずつ用意する。
引き出物は、侍従(仲忠)にはさまざまな毛色の背丈が4尺8寸ほどの六歳の競走馬を4頭、それには蒔絵の鞍橋にヒョウ皮の下鞍、白銀の鐙をつけた鞍を置く。
また黒斑の牛4頭、生絹の絹を白いまま綱にしてつないでいる。
鷹4羽を据えて、白い組紐の大緒、青い白橡を結び立てたフサ、鈴を付けたりなどしている。
鵜4羽、カゴやそれを担ぐ天秤棒もすばらしい。
少将(仲頼)には黒鹿毛の馬で、背丈4尺7寸ほどの若い馬4頭、立派な飴色の牛4頭、鷹や鵜も同数である。
以上はあるじの君(涼)からの贈り物である。
種松からの贈り物は、お一人に簏箱2掛ずつを、立派な馬に背負わせている。御精米をお一人に200石の船二船ずつ、それをお三方に差し上げる。

(絵指示 省略)


種松からの引き出物はストレートに米400石。旅費の工面に汲汲としていた仲頼からしたらばからしく思うほどの大金である。
涼の指図で用意された物は、着物や薬などをジオラマやフィギアに持たせるという趣向である。白銀の男や沈の男がどのくらいのサイズかわからないが、もし等身大であればそれだけで十分なお宝である。本当にこれを都まで持って帰るのであろうか。何にせよ桁違いである。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?