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私は【私】をただ演じているだけ

みんな ちょっと真面目すぎないか?

最近、すごく思う。

ちゃんとやらないと 立派にやり遂げないと・・・

そんな義務感を背負っていたら 楽しめないでしょ

楽しめないと 自分の本来のパフォーマンスは発揮できない

一年前、本業の写真家ではなく普段の生業にしている仕事で

事業所の責任者を任されてしまった

本当は写真家業に注力したいのに・・・

その時の私にとって それは望まない出世だった

そもそも、私には無理だ と思ったけど

私を置いて他に誰もいないので どうせやるならと 快諾した

頼まれごとは 有難いことなので やるからには【快諾】がキホン

さあ、困った  新しい名刺もできたし お客さんにも挨拶したけど

ちゃんと出来るのか?自分

いや、まてよ。だれが「ちゃんとやれ」なんて言った?

いつも写真を撮るときに 自分で言っているじゃんか

ちゃんとやろう、は悪だ  楽しむのが正義だと。

と、なれば 仕事だってある意味で遊びのように気楽にやろう

責任者ごっごでいい 何事も「ごっこ」をつけて演じれば

なんだかんだ それで十分すぎるほど 自分のパフォーマンスは発揮できるんだ。

「ごっこ」をつけて生きるのは 自分の得意技だ

病気になろうが 財産を失おうが どんな不幸や苦しみが訪れても

「私の人生ごっこ」で ゲーム感覚で楽しむのよ

音楽家なら音楽家を演じればいい

絵描きならベレー帽でも被って絵描き風をふかせばいい

天才なら堂々と天才を演じよう

私は写真家である。

職業ではないけど 写真家として生きている。

写真家 立澤重良を演じているんだ

バカにする人や 悪く言う人もいる

そういった人は たいてい自分は何も演じていない

だから お気の毒なので
「侮辱をありがとう あなた、お幸せに」と心で呟く

あっ、そもそも そんな人よりも 圧倒的に応援してくれる人の方が多いんだけど。

これ・・・本当にありがとう!感謝です。

そりゃぁ医師免許も持っていないのに 医者を名乗ったらイカンけど

音楽家だの 書道家だの アーティストだの 研究家だの

冒険家だの セラピストだの クリエイターだの 作家だの

こういったのは 何を名乗ったって自由だ 立派でなくても

そういった 自分の生き方をイメージして

その登場人物「私」を しっかり演じていれば

それだけで OKよ

そう考えれば 何者にだってなれるだろう?

想像から現実を生むのは 人間だけの特権なんだ

特に僕ら日本人は YAP遺伝子という 大古から脈々と続く

特殊な遺伝子を持っている。

立派にやろうとするな

好きなことを 好きなようにイメージして

今、この瞬間を とことん楽しみ

なりたい自分を 演じきろう

令和六年三月 写真家 shigeyoshi tatezawa

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