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いつか明ける日 (小話)

 梅雨だというのにやけに爽やかな風が吹いた。
 雨上がりの緑は艶やかで美しい。長雨の最中は、もう永遠に止まないのではないかと絶望したくなる時もあるけれど、どんな雨もいつかは必ず止む。
 止まない雨はない。明けない夜はない。
 シンプルな言葉だけど、それを実感できるのは、私が今日も生きているからだ。

「あの年も梅雨のくせにめちゃくちゃ暑かったよね」
 広い霊園で我が家の墓を探しながら振り返って言うと、姉は日差しに目を細めながら頷いた。
「暑かったね。あと、お父さんの病院行く前、すっごいヒョウが降ったことあったよね」
「あーった! でもタイミングよく避けられて」
「お父さんが守ってくれたんじゃない、って」
「言ってた。そういうことが続いた気がする。覚えてないけど」
「うん。あったよね。覚えてないけど」
 お互いに言って、同じタイミングでふき出した。

 父が亡くなって丸6年だ。
 闘病の合間を縫って、父と温泉旅行に行くために二人して上京したタイミングだった。
 二泊三日の温泉旅行のつもりが、旅先で急変してそのまま緊急搬送。帰らぬ人になった。
 まさかお骨になって自宅に戻ることになるとは、本人が一番驚いたに違いない。
 父は母と15年ほど前に離婚して独り身だった為、喪主は姉だったが、懇願されて二人で喪主を勤めた。
 姉も私も東京で暮らしていない。参列者は父のわずかな交友関係と職場の人が数人。北関東に住む父の兄弟。祭壇も、側からみれば簡素すぎるほどの葬儀だったが、葬儀社の見積もりも予約まで父が済ませていたお陰で、変な気を遣わずに済んだ。
 ただ一点、棺桶のサイズだけは少し大きめに変えた。父は自分の身長を過小評価していたようだった。

「あった、Kの18列……見つけた!」
「久しぶりー。2年ぶり4回目」
「甲子園みたいに言わない。……去年は来られなかったからね」
 私の言葉に少し笑ったあと、姉は少し申し訳なさそうに小さく言う。
 
 年に一度は墓参りをしてほしい。遠方に住んでいるとなかなか墓参りが難しいことを分かっていての、たっての願いだった。けれど、去年は姉の転職があって休みが取れずに断念した。姉と私が暮らす街から墓参りに来るには、飛行機に乗って、レンタカーを借りて、二泊三日の行程でないと不可能だ。
 なんせ縁もゆかりもない、富士山の麓に父の眠る霊園はある。ちなみに父の命日の梅雨時期は、だいたいいつも霧で真っ白だ。慣れない土地を濃霧の中で運転するのは命取りなので、私たちはいつも春の桜の時期を狙って墓参りに来ていた。だが、今年は亡くなって丸6年。つまり7回忌だ。だから命日に合わせて二人して上京し、新幹線とレンタカーを使ってはるばるやって来た。真っ白な霧の世界の、富士山の麓まで。
 の、予定だったのだが、今日は気持ちよく晴れていた。奇跡的にガスもかかっていない。
 富士山の美しい姿が間近に見えた。その手前には桜の木の葉が、力強く青く萌えている。
「天気いいね」
「うん」
 行儀良く並ぶ墓石たちを眺めながら、父に供えようと持ってきたブラックコーヒーと、缶ビールが汗をかいている。狭いスペースに持参した薄っぺらいレジャーシートを敷いて、私と姉も缶たちに倣って腰を下ろした。
 梅雨とは思えないほどの青空。澄んだ空。青くそびえる富士山。爽やかな風。揺れる木々の葉。遠慮がちに蝉の声も聴こえてくる。
「お父さんも、この景色見たかなぁ」
 抱えた膝に頬杖をついた姉が言う。
「どうかなぁ。あ、おばあちゃんの命日が近いから、この時期来てたかもね。でも、」
「霧だよね」
「うん」
 二人して苦笑する。
「まあでも、今は毎日見てるんじゃない」
「えー。でもほら、お墓にはいないって言うし」
「ここにー私はーってやつ?」
「それそれ」
 有名な歌手の節回しを真似した私に、姉は律儀に笑ってくれる。

「その人のこと考えた時に、そばにいるんじゃない」
 しばしの沈黙のあとそう言うと、姉は軽い調子でそうかもね、と返した。
「お盆の時とか大忙しだね。うちに来たりあんたんとこ行ったり」
「かよちゃんはたまに思い出してくれてるかなぁ」
「だといいねぇ」
 かよちゃんとは、父の遺品整理の際に出てきたラブレターの相手だ。大人になるとは、親を一人の男と女だと理解できるようになることなのかもしれない。
「じゃあ、今この景色も見てるね」
 私と姉が、父のことを想ってここに来た。ここに座って、この景色を見ている。だから父もきっとここにいるだろう。そう思うと少し救われる。
 東京オリンピックが7年後に決まった時、まさかその時自分がこの世にいないなんて思わなかっただろう。けれどその7年の間に父は死に、私はもう一人子供を生んだ。そしてそのオリンピックが延期になるなんてことまで、ほんの半年前まで誰も想像していなかっただろう。
 明日の自分が生きていることを信じて生きている。明日の自分が生きている限り、夜は明けるし、雨は止む。生きていれば。

「さて、そろそろ帰りますかー」
 立ち上がり、うーんと腰を伸ばした私に、姉がにやにやと笑いながら、行きがけに王将あったよね、寄ろうか、と言ってくる。
「王将ね。思い出のね。私とお父さんの最期の会話ね」
「お前、にんにく食べたか?」
 二人同時に言って、弾けるように笑う。
 搬送され、酸素吸入をしている父に顔を近づけた喋った私に言ったことだ。数時間前に餃子の王将で餃子を食べていた。そりゃあもう、たっぷりにんにくの入った餃子を。きっと一生忘れられないエピソードだ。
「王将寄って、レンタカー返して、東京着いたら牛タン美味しいとこ探そう」
「食べてばっかり」
「いいじゃん。お父さんの分も食べなきゃ」
「なにその理屈」

 人が亡くなるのは悲しい。その状況によっては残されたものは後悔もするし、絶望もするかもしれない。
 それでも時間は過ぎていく。その人が生きていた時間が、少しずつ確実に過去のものになる。生きている私たちには朝が来るし、雨は止む。
 朝が来て、雨が止んで、ご飯を食べて。その繰り返しの中でだんだんと傷は癒えていく。
 でも、忘れない。綺麗な景色を見た時、気持ちいい風に吹かれた時、美味しいものを食べた時。共通の思い出話に笑う時。
 そんな時にはきっとそこにいるのだと思う。

 じゃあまた来年。遊びに来るね。
 お墓参りと言う名の、姉妹水入らずの旅行の機会をくれた父の墓に別れを告げて、私と姉は帰路についた。
 天気はいい。富士山は綺麗だ。お腹が空いた。
 そろそろ梅雨が明ける。
 

おわり。



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