監督さんの野球に対応したチームの飛躍
前回の記事通り、2年目までチームは結果を出せずに苦しんでいた。
監督さんに代わった3年目のシーズンも、前期は最下位で終わった。
監督さんは試合中かなり細かく指示を出す。
事前にミーティングで確認はするのだが、試合中に狙い球の指示や守備位置に関する話などを野手陣によくしていた。
私はピッチャーだったので、ベンチから見たり聞いたりしていただけだったが、前期は選手が半信半疑だった。
これは当時のキャプテンの方から聞いた話でもあるのだが、本当にこの指示で合っているのか信じきることができず、実行しきれなかったらしい。
中途半端なバッティングが多く、試合後のミーティングで指摘されることも多かった。
監督さんは具体的な指示を出すことに加えて、私たち選手に考えさせる場面も多かった。
この場面自分たちならどうするのか、なぜ三振したと思うのか、そもそもなぜNPBに行きたいのか。
ミーティングを通して問いかけられる。すぐに答えられないこともあった。
選手たちのミーティングも増えていった。キャプテンの方が中心になって、迷いを捨てて試合に臨もうと決めた。
後期、選手たちが監督さんの野球に対応し始めていく。狙い球を絞る理由は様々だ。
試合の前半、相手ピッチャーの決め球をあえて狙い球に絞り、後半にその決め球を使いにくい状況にしてストライクを取りにきたストレートを狙う。
といったような、先を見通した指示が多かった。
選手がそこまで理解し、迷わず実行していく。
結果三振や失敗しても、根拠があれば責められることはない。
すると、自分たちでどうするべきか考え始める。試合を重なるにつれてより精度を増していく。
後期残り6試合。1.5ゲーム差の2位だったが、そこから怒涛の6連勝。首位のチームが連敗して失速したため大逆転優勝を果たした。
勢いそのままに地区チャンピオンシップも連勝で制覇し、リーグチャンピオンシップに進出が決まった。
変化することで進化したことが証明できた一年となった。
現役引退
リーグチャンピオンシップは先に3勝したチームが優勝となるが、1勝3敗で終戦。
夢半ばで終わってしまったが、この翌年、チームはさらに強さを増し、ぶっちぎりの成績でリーグ優勝。
日本独立リーグチャンピオンシップも3勝0敗で優勝した。
私はチームにいなかったが、前年の取り組みからチーム変革が起こっていったのではないかと勝手に思っている。
チームからは3名の選手がNPBに行った。
私は契約更改で引退することを球団に伝えたが、聞きたかったことを聞いてみた。
「もし私が翌年も続けたいと言ったら残してくれましたか?」と。
球団の答えは「いや、無理。」だった(笑)
プレーヤーとしての未練は何もなかった。
たらればで、後々「あの後続けていたら…」なんて思うこともなかった。
野球で学ばせてくれた全ての方に感謝です。
次からは書きたいときにテーマを決めて書いていこうと思います。ありがとうございました。
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