「お人よし」「世間しらず」と言われても、懐疑的、斜め目線で見るよりずっといい。
お人よし、世間知らずだって以前からよく言われた。
この年齢になった今でも自分で心当たりはある。
何でも言葉通りに受け取るし、親切もありがたくいただく。
頼まれごとを無碍に断ることは出来ない性分だ。
それに騙されているとか、利用されているとか、
そんな考えはあまり思い浮かばないのだ。
裏切られたという意識もそれほど無く、どちらかと言えば
「信じていたけど、わたしの勘違いだったのかな。」って考えてしまう。
そういうわたしの言動を、バカにする人たちもいた。
でも、いつも人のことを疑って
何か裏があるのではないかと思ったり、悪意のある解釈をしたりするよりは、
ずっとマシだと思う。
そもそも人の真意なんてわからない。
嘘と真実、利己と利他、善意と悪意が混じっているのが人間だ。
どこに真意があるか探ったり善意を悪意と疑ったりするのは時間の無駄。
それに心がどんどん荒んでいく気がする。
それに懐疑的、斜め目線でばかりモノゴトを見ていると、目も心も曇っていく。
他からのダメージは少ないかもしれないが、
自分で自分の心にダメージを与えていることになる。
裏切られ騙され、心が傷ついたとしても、
それだけ強く、優しくなれる。
その心の傷が、自分を成長させてくれる。
結果的にそれがメリットになるのであれば、
「お人よし」「世間しらず」でいた方が断然いいのではないだろうか。
まあそう考えてしまうのが、
お人よしで世間知らずってことかもしれないけど。