父とポテトとマークツー
父親をはじめて情けなく思ったのは、小さい頃、私の歯が折れたときだった。
その日、父は私を誘ってドライブへ行った。晴れた日曜日だった。
私はまだ車が珍しい年頃で、助手席でじっとしていなかった。ウィンドウを開けたり閉めたり、シートベルトを思うさま引っ張ってみたり、目につくものすべてに我が力を試して遊んだ。父はそれを諌めつつ運転を楽しんでいた。
突然、車内に私の大泣き声が響き渡った。
シートのリクライニングで遊んでいた私は、背もたれに真正面から向き合い、思い切り、リクライニングバーを引き上げたのである。勢いよく立ち上がった背もたれは私の顔面を打った。当時の車のリクライニングは、まだ「ゆっくり立ち上がる」機能など搭載していない。体感、膝蹴りのごとき早さで顔面に迫ったのである。鼻血が噴き出し、前歯が二本折れた。
「どうした!」
運転中の父親は、突然泣きしだした私を見て、おおいに慌てた。何が起こったのかと聞かれ、説明したが、血まみれ痛みに泣く幼児がうまく伝えられたかわからない。ティッシュで止血しながら、まったく泣き止まない私に、父は言った。
「ポテトを食べにいこう」
車はファミレスを目指した。
「おまえ、ポテトが好きだろ。な、ポテトを食べに行こう」
父は子供に無関心な男であった。母いわく、おしめを代えたこともない。このときの父は相当動転していた。子供心にも自分が持て余されているのがわかった。ファミレスに着き、フライドポテトが運ばれてきた。私はしゃくりあげながら、前歯を失った口でそれを食った。したたかにも、オロオロしている父を「どうにかいつもの父に戻さねばならない、そのためには言われるままに食うのが得策である」と判断した。
「ポテトだぞ。おいしいだろ。好きだろ」
父は私をなだめながら言った。父の中にある娘についての数少ないデータには、
ポテトが好き、くらいしかなかったのである。泣きわめく子供の扱い方がわからず、食べ物を与えるしかなかったのである。
日曜日、にぎわいに満ちたファミレス、明るい陽射しを浴びる窓際の席だった。痛みやら何やらで味などわからないポテトを口に運びながら、私は父に対し、何か複雑なよそよそしさを感じていた。今はっきりと言語化するなら、情けなかった。リクライニングで遊んだ私を叱るでもなく、折れた前歯を心配するでもなく、父はただ私にポテトを与えた。そうするしかなかった父のやさしさも、無関心な冷たさも、同時に味わった。
折れた歯はそれからすぐに生えかわった。
後年、この話を父にしたことがある。父はまったく覚えていなかった。
父は車好きで、昔からしょっちゅう車種を買い換えていた。私の歯を折ったのはトヨタのマークツーであった。車種の名前も話に出したのだが、それでも「思い出せない」と言っていた。
私は父を尊敬していない。ただ、幼い私の口や鼻から噴出した血は確実に車のシートを汚したはずで、車を汚されるのを嫌う父は胸中憤慨したと思うのだが、こういうことを覚えていないあたり、男は大きな生き物だと感じる。
(了)
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