私の歴史⑦
記事を読んでいただきありがとうございます
入学後、1年生のほとんどを部活漬けで過ごしたのですが、私は相当ストレスが溜まっていました
怪我ばかりで、中学から記録がのびなかったこと、それに比べて他の部員は順調に記録が伸びていくことに、劣等感と焦りを感じるようになっていました
雪が降ってからの練習が一番つらく、何度も部活を辞めたくなりました
それでも、推薦組で入っておいて部活を辞めてしまったら馬鹿にされると思ったので、部活は続けるしかありませんでした
毎年、正月休みが4日ほどあるのですが、そこで事件が起きました
自主トレーニングを各自するようにという事で、正月休みに入りました
人生で初めて、ストレスで可食をする行為に走りました
正月休みに入る前の体重が58~60Kgだったのですが、それがなんと、68Kgまで増えていったのです
毎年正月になると、母の実家に泊まりに行っていました
実家では、おばあちゃんがあれも食べろ、これも食べろと色々なお菓子を出してきてくれました
私は体重のことなど気にせずに、朝から晩まで食べ続けました
3食と合わせて、常に食べていました
2日くらい、おばあちゃんの家に泊まり、自宅に帰った後も同じような生活を2日続けました
なんか足首が痛いなと感じるほど、体重が増えていきました
かなり罪悪感はあったのですが、もう止めることが出来ないのです
もうバクバク食べました
結果、たった4日で、8~10Kgも太ってしまったのです
体調管理に厳しい部活だったので、正月休みが終わると、部員は必ず体重を測って、顧問の先生に報告しなくてはなりませんでした
部活のミーティングがあったのですが、そこで体重が増えている人は、みんなの前で指摘され怒られることになります
もうありえない、という感じで私は怒られました
公開処刑です
半分冗談、半分本気で、顧問の先生に、「おデブちゃん」とか「ブタ」とか、なんでそうなったか自分で考えろ的なことを言われました
皆の前で指摘され、公開処刑を受けて、私は相当なショックを受けて、部活に対する意欲がなくなっていきました
なにクソと、根性を出して見返すくらいの気力があれば良いのですが、私にはそんな根性や気力はありませんでした
体重が重い状態で練習をすると、関節などに負担が来るので、膝や足首も痛くなりました
筋肉量が増えていれば問題ないのですが、私の場合は完全に脂肪が増えているだけだったので、練習もかなりきつく感じるようになりました
自己イメージは最悪になり、俺はもうダメなんだと、俺はカスだ雑魚だと、自分で思うようになりました
1つ上の先輩からも、「で~ぶで~ぶ」と馬鹿にされたりもしました
何とか痩せなければという想いはあったのですが、自己イメージが最悪だったので、自分で自分を責める生活が続いていきました
部活が終わって、おなかがペコペコの状態で何も食べなかったり、ゼリーだけにしたりして、何とか体重を減らす努力をしていました
しかし、朝になるとチョコレートやビスケット、特に甘いお菓子をむさぼるように食べてしまうのでした
お菓子ひと箱、「600キロカロリー」とかあるものをペロッと食べた後に、ご飯大盛りの朝ご飯をバクバク食べ、身体が重たい状態で朝練習をしていました
お菓子ひと箱を食べているところを、親に見つかると何か言われるかもしれないと思ったので、隠れて見つからないように食べていました
夜も、どうしても我慢できないときは、お菓子を食べてしまいました
正月のほかに、月に1度の体重の管理もありました
衣類の2Kg分を引いて体重を測るのですが、測るときは部員の友達と保健室に行っていました
私は自分の体重が重いのが分かっているので、友達の一瞬のスキをついて、衣類の分を8Kgとかにして、体重が減っているように見せかけていました
体重が変わらない、または増えていることが顧問の先生に知られると、ミーティングで公開処刑を受けることになるので、何とか隠し通していました
体重が重いと怪我をしやすいのですが、怪我をしても怒られるので、痛みを我慢して怪我も隠し通しました
そんな状態なので、全く成長せず、中学の記録すら出せなくなりました
高2の春の大会なんか、自分が小学校のときくらいの記録しか出せませんでした
高2の秋の大会では、走る競技じゃない選手に100m走で負けて、坊主にもしました
小学校、中学校とそれなりの成績を出していたので、高校でも伸びるだろうと自分では思っていたのですが、全くの逆、気分はどん底でした
本当に辛かったのですが、続けていれば何か良い事があると信じていたので、どんなにつらくても辞めないという変な信念がありました
この状況がどうにか好転しないかと、2年の春から、競技人口の少ない種目に転向をしました
すると、本メニューが走り込みではなく、体力的に楽な、違う練習になりました
何とか良い成績を出そうと、私は必死に練習をしたのですが、そもそも体重が重く、走力もないので、良い成績は出るはずもありませんでした
そこからまた自己イメージが下がっていき、今度は顧問の先生の目を盗んでは練習から逃げるようになっていきました
グラウンドの隅っこで、独りでコソコソ練習をしていました
強豪校なので、他の部員は他校のトップ選手とコミュニケーションを取ったりしていたのですが、私は全くの無名で落ちこぼれだったので、気配を消して話しかけられないようにしていました
馬鹿にされると思っていたからです
最後の方はもう、顧問の先生すら私には諦めていたようで、何も言わないようになり、怒ることもしなくなりました
練習も独り、大会も独り、完全に孤独になった気がしました
それでも、私は部活を続けました
幸い、競技人口が県で数名ほどの競技だったので、記録を出せば県で4位までの人が地方の大会に進めるので、私は強制的に地方の大会に出場することが出来ました(笑)
地方大会では、競技を開始するラインが、私では到底クリアすることのできない記録だったので、もちろん記録なしに終わりました
長くなりましたが、私の高校生活はほとんどが部活、それにも関わらず、怪我続きで記録も出ない、ストレスによって激太りする、練習から逃げる、完全に落ちこぼれ生活に終わりました
大人になって、「部活何やってたの?」という質問を受けるたびに、胸の辺りが苦しくなり、言葉がつかえてしまいます
ジャンル問わず、能力の高い人を目の前にすると、劣等感の記憶がよみがえってくるようになってしまいました
次は、社会人編に入っていきたいと思います
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