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【書評】「友達」って何だろう?真剣に「本当の友だち」のつくり方と信じることを考える

「お前、いつか友達いなくなるよ」と、友達がたくさんいて飲み会大好きなサークルの先輩にいわれたことがある。

これだけ見たら、いやどんなくそ野郎だよと思うけど(まあ正直その人のことは好きじゃないんだけど)、実際に言われたときには怒るどころかむしろ「ああ、そうだろうなあ」と変に納得してしまった。

友だちが多くても少なくてもあなただけの個性なのに

私は友達はゼロということはないけど、ほかの人に比べると少ないと思う。

というか、中学校までは人とかかわることが大嫌いだった。別に、負け惜しみじゃなくてガチで。
今でこそ友達は大好きだと心から思っているが、大学を卒業してからも本当に仲良くできると思う人は正直ほとんどいないだろうなと思っている。

自分がやりたいようにやって人が離れていったら、それはそれで仕方ないかなとも納得がいくんだよね。
結局みんな自分のことが大好きで、ほかの人なんかに構ってる余裕なんてない。

私は「友達」が数百人いるよりも、大事な友達が1人でもいることのほうがいい。というと、なぜか批判されることがある。

「オレは友達じゃないのか?」となぜか怒ってきたり、「友達が多いほうがいいに決まっている」と聞いてもないのに意見を強要するとか。

友だち多い少ない論争はよく行われるけど、たけのこの里きのこの山論争のように不毛だと思っている。

私はどちらかというとたけのこの里派だけど、どっちも大好きである。この意見を否定(たけのこの里派はバカとか)されたら話は別だけど、別に他人はきのこの山が好きとか、たけのこの里が嫌いと言ってても何とも思わない。

友だち多い少ない論争も同じだ。興味あるのか知らないけど、なぜ絶対に自分と異なる人の個性を批判するのかって思う。

友達が多くしたいのに実際には少なくて妬んでいるなら、出会いを作って友達を増やせばいいだけだ。多すぎると困っているなら連絡をしばらく取るのをやめれば、悲しいけどいつの間にか何人も離れていく。

自分が好きなようにすればいいのに。

なぜ人は自分と異なる人を攻撃して自ら険悪になるんだろう。そしてなぜ人は自分の個性を出そうともせず引っ込み思案になるんだろう。

ひっこむ人、攻撃する人が多い。率直な人になれるか?

こんな悲観的な文章を書いたのは、『大人も知らない「本当の友だち」のつくり方』という本を読んだのがきっかけである。

この本によると相手に自分らしさを表現できる関係、つまり自分も相手も理解してお互い信頼しあえる人間関係を作ることが大事という。

自分らしさを表現するための自己表現の方法には、「ひっこみ型」「攻撃型」「率直型」という3種類あると指摘する。

ひっこみ型は自分を大事にしない、相手に自分の意見や想いが伝わらない。「かけがえのない存在として尊重される」という自分の権利を大切にしない行動である。

一方の攻撃型は相手の権利を尊重せず自分の意見を押し通して、相手との対立を招きかねず嫌われる恐れがある。

ここで目指すのは率直型で、自分の気持ちや考えをはっきり伝えるが相手の言い分もしっかり聞いて相手の権利も尊重する考えである。そしてお互いが納得できる解決策を探してどうしたらいいかを一緒に考えるのが重要である。

一見すると自分と相手の違いがはっきりしてしまい、隠れていた対立がわかってしまう可能性もある。だけど、相手を思いやる配慮を持った本当の「率直型」の発言は正直な姿を見せあえるという意味でももっと仲良くなりやすいという。

たぶん私含めた多くの人がひっこみ型(か攻撃型)である。日本人の性格的に、みんなの調和を乱す行動には"圧力"がかかりがちだし、あるいはかける人も多いから、相手を受け入れつつ本音を語る率直型は不安に思う人が多いが、工夫をすることが重要だ。

この本では「きりかえ、返事のメッセージ、勝負なし法による対立解消、援助的な聞き方」などなど、様々な方法による自己表現を漫画や解説を通してうまく伝えることを目的としている。

友達付き合いに悩んでいる人はどうすればいいか特に漫画やイラストからわかりやすくすんなり入ってくる。

今思えば最初にあげた先輩は自分の意見をよく出す率直型というより攻撃型なので、やはり友達が多くとも率直型になるというのは難しいんだろう。

この本は特に漫画がわかりやすくてすごく良書である。中高生向けだけどむしろ人間関係がある程度学生時代に作られた大人こそ読むべきかもしれない。

友達作りで難しいのは人見知りとか性格的なことだと思っていたけど、相手との関係がある程度つくられてから維持するのが一番大変なんだろうな。

人づきあいがうまくいかないとか、よく自分の意見を伝えてもいいか不安になる・伝え方がわからないとか、つい相手のことを考えず言いすぎてけんか別れしてしまうとか、友達関係の悩みがあるなら読んで損はないと思う。

しかし、この本を読んだ時は少しもやもやが残ってしまったのも事実だ。話し合うことで友達は自分をわかってくれる――というけど、そんなきれいごとは本当に正しいのだろうかと思ってしまったのだ。

特に最近、講義やサークル、飲み会などもなくなり正直に面と向かって会う機会がなくなって、顔の表情や細かい手ぶりがあまり見れなくなりパソコン越しという間接的になってしまうことも相まって、本当の友達って何だろう、とつくづく考える。

心から信じることができる仲間だろうか?

実は、この下書きを書いていたのは結構前のことで、書く気失せてきてお蔵入りしてたんだけど、最近読んだ堀江貴文さんの『ゼロ』に、刑務所に収監された堀江さんを信じてくれた仲間への感謝をこう書かれていた。

結果的には背信行為をした役員もいたが、僕は役員・社員を心から信じ切っていた。「他者を信じること」とは、「裏切られるリスク」を引き受けることでもある。他人の気持ちなんてわかるわけがないから、相手が自分を信頼してくれているかバカにしているかどうかなんてわからない。わからないからこそ、僕は仲間を信じる。仲間を信じるからこそ、僕は全力で働くことができる。そして働くことで最高の仲間たちと一緒に大きな「夢」をかなえたい。みんなとつながり、みんなと笑顔を分かち合いたい。刑務所の中でも働くことを願っていたのはワーカホリックだからじゃない、仲間たちと分かち合う時間の中に、再び身を置きたかったからだ。(pp227-231、長文なのでとうふ納豆が要約)

あのホリエモンにもこういう思いがあったのかと正直驚いたが、堀江さんは大切な仲間を失ってから、いや、投獄されてすべてを失ったと思っていたけど実は大事な仲間は失っていなかったと気づいたのではなかろうか。

この一説を読んで自分のことを顧みると、心から信じようと思える人がいるかどうか。そういう人こそ大事なんじゃないかと気づいた。おそらく率直型になれば自分や相手のことをより理解することができて、相手を信じたいと思えるようになるってことなんじゃないかな。

態度だとか技術的な伝え方とか相性だけが重要なのではなく、相手を信じたいと思う心が一番根底にあるのが本当の友だち・仲間なんだと思う。

儒家思想の家族を愛せよとかキリスト教の隣人愛にも通じるところがありそう。

とにかく、これをきっかけに自分なりに相手のことは信じようと思ったし、どんな態度をとったりひどいことを言っても礼は必ず持ち続けようと決めた。そう考えると「親しき中にも礼儀あり」ってやっぱりいい言葉だよね。

しかしこう書いてみると、やっぱり率直に伝えるって難しいな…精進します。

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