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人喰らいの牙を折れ #パルプアドベントカレンダー2021

 人里に降りてくる熊にも種類がある。山に餌が少なくなり仕方なく降りてくる熊には同情する。人間の食べ物の味と、それを漁ることの容易さを覚えてしまった熊は厄介極まりないが、懲らしめて山に帰してやることはできる。しかし、残念ながら生かしておくことのできない熊が存在する。人の肉の味を覚えてしまった熊、通称『人喰らい』だ。この地に銃が持ち込まれるよりはるか昔の時代より、人喰らいは他でもない人自身により斃された後、その一切をこの世に残さぬよう切り刻まれ、海に流され清められてきた。しかし、現代では食糧を得るための狩りはおろか、人間を守るために行われてきた人喰らい狩りすらも大っぴらには行うことが出来なくなっていた。

「山の動物を守れー!」
「生き物に銃を向けないでー! 銃を捨ててー!」
「山の命がかわいそう!」
 いつもの光景だ。都会からやってきた動物愛護団体を自称する連中が、感情的な言葉を綴った横断幕を掲げて猟師の詰所前に居座り、野兎や鹿が裏山まで逃げ出すほどの大声を張り上げながら抗議活動に勤しんでいる。こいつらに対して、この地の猟師が山の命について考えなかった日は先祖代々どの時代においても存在しない、そもそも俺たちは都会の連中と違って銃など使わない――初めのうちはそういった言葉を返していたりもしたが、奴らの吐く言葉が変わることは無かった。なので今では奴らに対しては常にだんまりを決め込むという取り決めがされている。しかし、狩らなければ飢えて死ぬ。狩らなければ殺される。ついでに言えば、詰所前で喚いている連中は仮に俺たちが猟師を辞めた場合の食い扶持など保証してはくれない。故に隠れ潜んで狩りを続けるのだ。

 狩りを始めるに際し、俺は装備をあらためた。着込んでいる毛皮は雪原のそれと見分けがつかないほど白い。ただし背面のみだ。毛皮の帽子も似たような有様だ。長靴もかつては白かったが、今や見る影もない。先々代までは藁で編んだ長靴を白い毛皮で包んだものを用いていたらしい。次に肩に背負った袋を開き、食糧とする獲物を持ち帰るための縄と人喰らいを切り裂くための鉈が入っていることを確認する。この鉈を獲物に振りかざすことはしない。そもそも、この地の猟師は動物に武器を振るわない。『山の命は力なき者の血肉で巡る』……代々伝わるこの言葉により、山の中で自分のものではない力を振るうことは山の秩序を乱す禁忌とされている。自分が『力なき者』であることを隠し山の命を欺く行いだからだ。最後に俺は内側が汚れた手袋を浅くはめると、人目のある方角へ背を向けて雪原と同化し、葉の落ちた木々の間を通り抜けていった。

 集落を少し離れたところで辺りを見回してみたが、草食獣が森の奥へと逃げていったような足跡があるばかりだった。都会の連中が来る前は鹿を捕らえる事ができるような場所だったが、今では随分と寂しげな場所になってしまった。そうして僅かな間だけ感傷に浸っていた俺の耳に、聞き覚えのある雑音が流れ込んでくる。重たい筒を同時に何本も吹き鳴らしているかのような轟音――自動車の音だ。南の方角から聞こえてくるソレは、集落で騒ぐ都会の連中がさらに増えることを意味していた。数で押せばいつか折れると思い込んでいるのだ、迷惑極まりない話だ。俺は嫌悪感に顔をしかめながら、音の鳴る方向へ振り向いた……その瞬間、途端に自動車の音が消え失せ、人間の悲鳴が木霊してきた。

「嫌あああーーーっ! 誰か! 誰かああーーっ!」
 悲鳴が明瞭に聞き取れる位置まで山を駆け抜けた頃には、自動車の音が止まった場所で何が起こっているのかが視認できた。茶色の毛皮に自動車よりも大きな体躯、手元口元足元には、血、血、血……熊は熊でも、人喰らいだ。
「ああああーーーっ! うわあああーーっ!」
 自動車から離れて尻餅をつき悲鳴を上げている女は、俺たちが集落の中を歩く時よりも軽装に見えた。軽率で厄介な余所者ではあるが、見殺しにする理由はない。今のところは――
「来るな! 来るなあああ!」
 女は懐から何かを取り出し、人喰らいに向けようとしていた。あれは銃だ。拳銃だ。あれだけ俺たちに使うなと喚いていたソレを、女は山の命に対して向けるつもりなのだ。それは許されない。『山の命は力なき者の血肉で巡る』のだ。力を偽る者は咎人だ。当然、咎人を助けてやることはできない。そもそも、あんなに小さな拳銃から放たれる弾丸程度で人喰らいの熊を殺すことなどできるわけがない。あの女を助けるためには、人喰らいと女の間に俺が割り入る他なかった。

「ホオオオオオッッッ! ホオオオオッッッッ!」
 先祖代々伝わる『狩りの始まりを報せる咆哮』を上げながら、俺は人喰らいの元へと両足と片手で地面を突きながら着地した。人喰らいを見据える視界の端に、女が目を見開いているさまが映り込んだ。
「サン……タ……?」
 言葉の意味は分からなかったが、女は今、人喰らいよりも俺の服装に目が向いているようだった。都会の連中には刺激の強い格好であることは確かだろう。毛皮の外套も帽子も、前面は拭いきれなかった返り血で赤く染まっているし、長靴に至っては更にどす黒い色合いと化している。手袋を脱ぎ捨てれば、傷にまみれた俺の拳が露わになってしまう。しかし他人の動揺に構っている暇などない。目の前の人喰らいは既にその爪を俺に振り下ろさんとしているのだ! 俺は背負っていた袋を後ろに放り投げ、人喰らいの爪の軌跡の外側へ身を翻すと、拳を握りしめて深く腰を落とし、半身の状態で人喰らいと再び対峙した。

「グオオオオッッッ!」
 人喰らいは叫び声と共に左爪の斬撃を繰り出してきたが、俺は臆することなく人喰らいへと接近し爪の射程の僅かに内側へ侵入、裏拳で奴の肉球を打ち斬撃を更に外側へと逸らした。徒手格闘にて熊を仕留める際、胴体や手足への攻撃は有効打たり得ない。人と熊では体格があまりにも乖離しているため、手数によって体力を削り持久戦で勝利するという道は絶望的だからだ。故に熊と戦う際に狙う部位はただ一つ……。
「破アアアアアッ!」
 頭部だ。頭部の破壊こそが最善手なのだ。爪を空振りして前のめりになり頭部の位置が下がった人喰らい目掛け、俺は縦方向に拳骨を振り下ろした。熊の頭部に向けての攻撃は縦方向が鉄則だ。横薙ぎの攻撃は噛み付きによって阻まれるうえ、そのまま地面に組み伏せられて全身で押し潰されながら貪り食われる最悪の結果に繋がりかねない。正拳突きのような方向性の攻撃も同様の理由から行うべきではない。
「ググ……グガア!」
 脳を揺らされた人喰らいは一瞬だけ怯んだが、自身の懐に潜り込んでいる俺に目掛けてすぐさま右前足で殴りつけてきた。俺は人喰らいの左肩を掴み、腕力と脚力を連動させて人喰らいの左肩を支点に跳躍しこれを回避した。人喰らいの攻撃は一発たりとも食らうつもりはない。攻撃を受けてしまうということは即ち速やかな死を意味するからだ。そして勢いのまま人喰らいの背中へ飛び乗った俺は奴の首元に陣取り、両脚を首にきつく絡めると両手を合わせて握りしめ天に掲げた。視線は奴の後頭部の脳が入っている部分に集中している。今日まで幾度となく繰り返してきた、熊狩りの必殺型だ。
「破アアアアアアアーーーッッ!!」
「グガアアアッッ!?」
 全身全霊を込めて拳を振り下ろす。人の腕力では一撃で熊の頭蓋を砕けないので、何度も拳を叩きつける。そのための必殺型だ。窒息状態で知恵を働かせた行動ができないようにするべく、脚での首絞めも緩めない。そして再び拳を振り下ろし、脳を震わせ、頭蓋を響かせる……その繰り返しだ。視界の端には、相変わらず尻餅をついたまま震えている女がいた。都会の人間からすれば、無謀なことをしているようにでも見えるのだろうか。俺からすれば、この体勢に入った時点で既に勝負は決したも同然だが。
「破アッ!」
 最後の一撃が入った。拳で硬い殻を砕いたような感覚を覚えたかと思えば、そのすぐ後に悍ましい色の雨を全身で浴びる事となった。その後、俺が首筋に跨っていた人喰らいは力を失い地面に突っ伏した。狩りが終わったのだ。

 俺は放り投げてあった袋から鉈を取り出し、既に事切れている人喰らいのところまで戻り、いつも通りの解体作業へと取り掛かった。人喰らいはその場で切り裂き袋に詰める。そのまま浜辺まで持っていき、海へ流し清めてから集落に帰るというのが猟師の習わしだ。自動車のそばに頭のない人間の遺体が横たわっているが、おそらくあの女と共に自動車に乗っていた奴だろう。恐らくこの人喰らいの腹を掻っ捌く頃に何かしら出てきてしまうだろうが、習わしではそういった人喰らいの中にあった人間の亡骸も共に海へ流す事となっている。呪われた死を遂げてしまった人間もまた、清める必要があるからだ。
「…………」
 先程まで震えていた女は気を失っていた。この山がどういった場所なのかもよく知らずに動物愛護を叫びに来るような連中のひとりだ。俺たちが行う狩りを間近で目撃して正気を保てるはずがない。しかしこんなところで伸びていては間違いなく凍死するので、やむなく俺は女を自動車の中に放り込み、解体作業の続きに取り掛かった……

解体を終えた亡骸を詰めた袋を背負い、俺は清めの浜辺へと来た。岩場に囲まれたこの浜辺は都会の連中が寄り付かないので、清めの儀式を行うにはうってつけの場所だ。かつては浜辺の近くに神殿が建てられており、そこで今とは比べ物にならないほど大掛かりな儀式を執り行っていたようだが、現代の清めの儀式は随分と簡略化されてしまっている。袋の中身を流し、砂浜と海水の合間に手をつき、心の中で弔いの呪文を唱えるというのが今の方式だ。自らの手を冬の浜辺に押し当てるのは、天と地を繋ぐ神殿が失われたからだ。弔いの呪文を発声できなくなったのは、都会の連中に勘づかれることを防ぐためだ。清めの儀式を行っていると、着実に世界から追い詰められているのを感じてしまい、いつも気分が悪い。動物愛護の連中がひっきりなしに来ている時と同じ気分だ。だがそういった感覚が俺の、いや、集落の皆の反骨精神に火を付けるのだった。連綿と続くこの生活様式を決して奪わせはしない、と。


動物愛護団体所属の某氏は例の村から帰ってきた後、あの村での活動を考えている仲間に対して毎度同じ言葉を口にするようになっていた。
「……未だに前時代的な狩猟生活を送るあの村で動物愛護を推し進めるために、私は生活拠点をあの村に移して本格的に活動するつもりでいました。でも今はもう、二度とあの村へ近づく気にはなれません……あの村の住民は、素手で熊を殺すようなとんでもない蛮人なんですよ! ……嘘じゃありません! 信じてください! 動物愛護の精神が消えたわけじゃないんです! あの村はダメなんです! 血濡れのサンタクロースが、熊を殴り殺すんです! ……私は正気です! 行っちゃダメ! お願い、信じて……」


あとがき

お久しぶりですとうどです。
自分の最終更新日を見て戦慄してます。ことししごとしかしていない……
当初は除雪車に人を轢かせようかと思っていました(最悪)。ですが唐突にステゴロが書きたくなったので人食い熊 VS 色味だけサンタのなんかという構図に変更しました。
そして今年のパルプアドカレももう折り返し地点に来てしまいました……!
後半戦で撃ち込まれる弾丸の数々も喜んでかっ食らいましょう!

明日のパルプアドカレは居石信吾=サンの『メリー・クリスマス・ネオヨコハマ』です!

※本作は「パルプアドベントカレンダー2021」参加作品です。本作に登場する個人・団体・民族はすべて架空のものです。


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