「ブレードランナー2049」ポストヒューマンとクオリア

※「ハニカムブログ 」2017年11月12日記事より転載

「ブレードランナー 2049」を観ました。

映像や音楽の素晴らしさは言わずもがな。

大画面に身を浸しているその時間が、すでにヴァーチャルリアリティの世界そのものだった。

映画の中でテーマになっているのは、1982年に公開された最初の「ブレードランナー」と同じく、「人間とは何か」「何をもって人間というのか」ということ。


「トランスヒューマン」とは、新しい科学技術を用い、人間の身体と認知能力を進化させ、人間の状況を前例のない形で向上させようという思想である。
「ポストヒューマン」とは、トランスヒューマニズムによる概念。「仮設上の未来の種であり、その基本能力は現在の人類に比べて非常に優れていて現代の感覚ではもはや"人間"と呼べないもの。(谷崎テトラ氏「テトラゼミ」資料より)


ここ半年くらい参加している谷崎テトラさんの「テトラゼミ」。

ちょうど先週終わった回のテーマが「ポストヒューマン/トランスヒューマニズム」だったのだけど、その話がなかなか「ブレードランナー」に代表される世界観ともリンクしている。

ブレードランナー①-thumb-540xauto-264686


講義の中で問われたのも、「では、人間とは何か。そして人間はどこに向かうのか?」ということ。

わたし達は、知らず知らずのうちに身体機能拡張をしながら生きている。

本来であれば、食べて、寝て、生殖して、命を繋いでいき、来たるべき時がきたら死んでいくだけの存在であるはずだった、人間。

初歩的なレベルなら、洋服で体温調節をしながらあらゆる季節を快適に過ごすこことができるようになったことや、メガネで視力を矯正することも、すでに人間本来の機能を拡張させていると言えるし、科学や医療の発達は不老不死に私たちを近づけている。

ここ10年の間にスマートフォンは私たちが手放せないものとなり、もはやそこに第二の脳といってもいいほど。

人間の歴史は「人間の領域」をそうやってどんどん拡張した歴史でもあり、すでに誰もがちょっとした「サイボーグ化」していると言えるのではないか。

(以下、ひょっとしたら多少のネタバレするかもしれないので、未見の方はご注意)

ブレードランナー②-thumb-540xauto-264688

私が思う「人間らしさ」のキーは、映画の中にも存分に現れている。

それは、「感情」と「体感」「記憶」。(映画ではもう一つあるけど)

AI(人工知能)と人間の感情的な関わりについてはたくさんのSF映画でも取り扱われている。

最近だと「HER」や「エクスマキナ」などが本当に良かったし、そうした映画で鍛えられているせいか、もはやライアン・ゴズリング演じる「K」と、AIである「ジョイ」の関係などは自然に入り込めてしまうという恐ろしさ(笑)

相手がAIであろうと恋する気持ち、それによって自分の中でホルモン分泌がなされ、心が高揚したり安定する「リアルな体感」があるのであれば、それはかなり肉感的な、もはや人間と言えるもののように思う。

過去の記憶がなくとも、新しく感情のやり取りを積み重ねれば、それは自分を形作る記憶になっていく。

AIであるジョイは、ホログラムとなって動くことができるけれど、肉体は持たない。

肉体を持って「K」と関わりたいという渇望は存在しており、ある手段を使って肉体的な繋がりをも得ようとする。

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「お前たち人間には信じられないようなものを私は見てきた。オリオン座の近くで燃える宇宙戦艦。タンホイザーゲートの近くで暗闇に瞬くCビーム、そんな思い出も時間とともにやがて消える。雨の中の涙のように。死ぬ時がきた。」


1982年に公開された「ブレードランナー」の最後で、ルトガー・ハウアー演じるレプリカントのロイ・バッティが言う有名なセリフ。

美しいものをたくさん見て、身体で感じた記憶。

死を間近に控えてそうしたものに想いを馳せるロイ・バッティは、十分に人間だったように感じる。


そうした思いを抱えながら「死ぬ」ことができるのもまた、人間らしい。

もし、このまま科学が進化して不老不死に限りなく近いことができるようになったとして。

「死なない」というのが、そんなに人間にとって幸せなことだとは思えない。

ブレードランナー⑤-thumb-540xauto-264694

映画中で大事にされているものが小さな木彫りの馬。

そして、その「木」に触れてレプリカントの一人が「本物の木だわ」と呟くシーンがある。

木は、2049年の近未来では非常に貴重なものとなっているのだ。

登場人物たちは、その小さな木彫りの馬を大事そうに握りしめる。

「エクスマキナ」のラストで、研究所を抜け出したAIロボットのエヴァは、木々の緑を愛で、光や風が自分を包む感覚に愉悦の表情を浮かべる。

まだ、幸い現実世界はそこまで進化はしていないけれど、「クオリア(感覚質)」を味わい、喜びを感じるものは、人工物なのだろうか?

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SF映画の世界ではなく、現実の生活で誰もが少しずつポストヒューマン化していく。

AR(Augmented Reality=拡張現実)やヴァーチャルリアリティが当たり前のように日常化し、人の体験はもっと自由になっていく。

様々な仕事が機械に取って代わられ、本当の「人間」が必要な職業というのはこの先限られてくる。

でも、ARやVRで何ができるか?

それを考え、より多様性のある発想をするため大事なのは「感覚=センス」。

そのためには日常生活のテクスチャーを今までよりも、もっとより深く知り、人生の「生身の楽しさ」を味わうことに長けていなければいけなくなる。

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だから、これからの世界でもっとも大事にしていかなければいけないのは「クオリア」「皮膚と五感で触れること」。

人間の喜びは、あらゆる五感で世界に触れることから始まる。

五感から得る喜びを味わい、五感の記憶の密度を濃くしていくことが、人生全体のクオリアをあげてく。

人間世界のゆく末は、「触れること」にかかっている。

そんなわけで、セラピストという「触業」に携わる者は、責任重大です(笑)

■ 小松ゆり子 official web site
http://yurikokomatsu.com


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パーソナルセラピスト / Touch for World 代表 / corpo e alma主宰 / 日本タッチ協会理事「感じることは癒しになる」五感体感至上主義者。「心と身体、魂のつながり」をとり戻すために。あの手この手を試みるソマティックな日々。

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