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「土の城」小田原城を実際に歩いてみた

小田原城といえば、ほとんどの人が次のような天守閣を思い浮かべるだろう。

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小田原城址公園の風景である。

城址公園が、市民の憩いの場として素敵な場所なのは確かだ。しかし、そこに戦国小田原北条氏の痕跡はあまり残っていない。(※「小峰曲輪北堀」という遺構があるにはある)

関東の雄・北条氏の本拠地としての小田原城のすごみは、城下町全体を取り囲む防衛ラインである、総構(そうがまえ)をたどらなければわからない。

小田原駅から北へ徒歩10分強、住宅街の中に「城下張出」という遺構がある。実際に道を歩くとわかるが、まず坂を上り、ピークを越えてまもなくここにたどり着く。小田原城下を取り囲む、標高の高い尾根筋を防衛ラインとしていたわけだ。まさに天然の土塁を有効活用していたのである。

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西に向かうと、造成された宅地の中に点々と残る重要な遺構を見ることができる。まず、山の神堀切。

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尾根筋に切れ込みを入れて分断した形が「堀切」だ。敵兵が尾根筋をたどって展開できないよう、動きを制限する仕組みである。

次は、「稲荷森」と呼ばれる区域。

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深い堀をのぞき込むと、外側に土塁の痕跡が見て取れる。戦国時代の形を最もよく残している場所だという。


小峰御鐘の台大堀切西堀は、1590年の小田原征伐を前に、豊臣軍への備えとして造成されたそうだ。戦国末期、決戦に備える北条氏の緊張感に思いをはせる。

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総構の西端に突出した部分である水の尾口からの絶景。西からの敵を警戒する地点として最適だとわかる。

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小峰御鐘の台大堀切東堀。直角に折れ曲がった部分は「横矢掛り」という。敵兵の動きを制限しながら、複数方向から矢を射かける仕組みだ。

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続いて、三の丸外郭の新堀土塁。遺構はどれも住宅街の真ん中で、開発の観点からは城跡が邪魔だったはずだが、よく保存してくれたものだと思う。

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こういった土の城の遺構は見た目も地味で、看板が立っていなければ城跡だということもわからない。しかし、戦国大名たちが実際に築き、戦っていたのは土塁や空堀でできた「土の城」なのである。

ここで紹介したのは広大な総構の一部で、他にも遺構は残っている。戦国ファンとして見ごたえのあるものだということは保証したい。

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