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戦国追体験~城郭を歩こう!

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山城を中心に、戦国の気風を感じられる城跡を訪問します。
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#城

ポツンと一軒家 城郭編

 各地の城を回っていると、あることに気づきます。城址公園となっている箇所以外にも、「○○…

臼井城~上杉謙信を撃退した名城

 臼井城は、千葉県佐倉市にある城跡です。現在は城址公園があるものの、知名度はまだ高くあり…

本佐倉城~千葉氏の本拠となった土の要塞

 本佐倉城は、千葉県佐倉市と酒々井町にまたがる城跡です。近くにある佐倉城とは別物です。 …

彦根城「佐和口多聞櫓」の特別公開

 滋賀県彦根市にある彦根城は、国宝5天守の一つに加え、5件の重要文化財を擁する名城です。 …

二条城~江戸幕府の誕生と終焉を見届けた城

 京都の人気観光地の一つである二条城は、歴史上も重要な役割を果たした城です。 武家政権の…

松戸市・流山市の隠れた名城~根木内城・小金城・前ケ崎城

 千葉県松戸市・流山市といえば東京近郊のベッドタウンです。そんなところに城跡があるとは、…

高取城~山中に眠る天険の要害

 奈良県で唯一「日本100名城」に選定されている高取城は、高市郡高取町にあります。標高583メートル、比高(麓からの高さ)約350メートルという堂々たる規模の山城です。 高取城の歩み 城が築かれたのは南北朝時代の頃ですが、総石垣の近世城郭となったのは豊臣秀吉の時代です。天正13(1585)年、秀吉の弟・秀長に仕えた本多利久が高取城の改修を命じられました。  17世紀後半には植村氏が旗本から大名に取り立てられ、幕末まで高取城主となりました。植村氏の当主は代々「家」の字がつい

淀城~京都を守った要の城

 動力を使った乗り物が発達する前、水上交通は人や物を運ぶための大動脈となりました。河川同…

大洲城~肱川に臨む風光明媚な城

 愛媛県大洲市にある大洲城は、伊予大洲藩6万石の藩庁でした。江戸時代には藤堂高虎・脇坂安…

湯築城~見事な水堀を持つ中世城郭

 愛媛県松山市にある名城といえば、言うまでもなく松山城が挙がるでしょう。  知名度では劣…

伊予松山城~貴重な建築が多数現存する城

 愛媛県松山市にある伊予松山城は、現存天守のある12の城のひとつです。天守以外にも残存建築…

武蔵松山城~迷路のごとき空堀の芸術

 武蔵松山城は、埼玉県の東松山市にある山城です。杉山城・菅谷館・小倉城とともに、国指定史…

岡山城「月見櫓特別公開」訪問記

 私のnoteを読んでくださっている方は、城の「特別公開」に関する記事が非常に多いことに気づ…

備中高松城~戦国の分岐点となった水攻め

 2023年最後の記事は、今年11月に訪問した備中高松城の紹介といたします。 備中高松城の戦い 天正10(1582)年、羽柴秀吉は毛利方の備中高松城を包囲します。低湿地に築かれた城は容易に落ちませんでしたが、秀吉は堤防を築いて水攻めにしました。城主の清水宗治は降伏し、城兵の命と引き換えに切腹します。  折しも、秀吉は京都で織田信長が討たれたという凶報を得ていました。秀吉は信長の死を秘匿して毛利方と和睦すると、すぐさま「中国大返し」を敢行し、明智光秀を滅ぼします。  歴史