さらっぴん日記【1月第3週】
歳を重ねても日々なにか新しいことに出会い、発見し、刺激を受けたりします。
毎日が間違いなく”さらっぴん”(新しいの関西弁)なのです。
……ということで、その日に遭遇した自分にとっての新鮮な事柄を、画文形式でまとめていきます。
1月15日(日):珈琲を20杯入れて得られた気分とは
シャイというより、臆病なのでしょう。
顔馴染みでない人とは関わりたくない自分がいます。
そんなに怯える年齢でもないので、少しは知らない他者とのつながりを愉しもうと改めました。
なので、店(本屋をやっています)のイベントで厨房に入り、珈琲担当になりました。
パウンドケーキにマンデリンを添えて食べていただくと、「美味しい」というお客様の反応に恐縮しまくりです。
1月16日(月):50年以上前の映画『吾輩は猫である』予告編の記憶
1975年製作の映画、市川崑監督作品『吾輩は猫である』を観ました。
中学生のころ、土曜朝にTV放映していた「映画ダイジェスト」でこの映画の予告編を何度も観た記憶があります。
その中ではヴィヴァルディ作曲「四季」より冬がBGMになっていたと鮮明に記憶していましたが、本編では扱われていませんでした。
明治時代のインテリゲンチャな会話に聴き入って、映画に登場する猫が我が家の”平六”に似ていたので観入った次第です。
1月17日(火):まず自分を疑うのが善かろう
「あれ渡したよね」と家人に聞いたら「いえ、知りません」と返されます。
「そんなことないよ」と一旦は抵抗してみせますが、往々にして自分のデスクにそれがポツンとあるわけです。
このように記憶違いをしていることが頻発するので、なぜありもしないことに自信をもって主張してしまうのか……自分への謎が深まりました。
(昨日の日記の予告編BGMも記憶違いなのでしょうね。きっと)
1月18日(水):同じ本を二冊買ってしまうメカニズム
16年前に出版された『手塚治虫 原画の秘密(とんぼの本)』が手元に2冊ありました。
重複していたことに今日の今まで全く気づかずにいたのです。
同じ本を二冊買うというのは「こういったテーマの書物は変わることなく好み」と知れることと、「買った後あまり読んでいなかった(記憶になかった)」と急激な興味の薄れ具合を認識します。
あらためてちゃんと読むと、原画を切り抜いて描き直したり、別バージョンに転用していたりで、やはり二冊も買うだけの価値ある本でした。
1月19日(木):人様の居る場所ではきちんとしておくことが清々しい
役所の窓口で書類を提出し、しばらく待ちました。
今までなら内心「早よしてや」と手持ち無沙汰でイラついたかもしれません。
でも今日は「この待ち時間を愉しもう」と考えて、いかにきちんと待てる人物になるかトライしてみました。
背筋を伸ばし、お借りしたペンを揃えながら、口角を少し上げて、など。
おかげで待ち時間が充実した気持ちになり、それほど長く感じませんでした。
今後もいまに集中することのおもしろさを、いささか面倒な時間の中で味わおうと思います。
1月20日(金):チャットでの会話で人物を感じ合う
年末の新潟から大阪へのフライトが欠航したので、その払い戻しをチャットを使って行いました。
イラストと吹き出しでのやり取りなので、どうしても言葉数が減り冷たく感じがちです。
ですから、画面の向こうには人が直に入力しているのだと思い描いて、なるべく丁寧なメッセージを心がけました。
「とんでもないことでございます」とテキスト文ながら恐縮いただくなど、モニターを通しても向こう側にいる人の息遣いを得た次第です。
1月21日(土):はじめての楽器なのにプロフェッショナルが炸裂
パーカッショニストのスティーヴ エトウ氏が、おむすびを食べに来店されました。(おむすび屋さんもやっています)
食事を終えてから、今年の活動プランなど聴かせていただきました。
そして帰り際、店先に置いているハンドパン(音階のある金属製の打楽器)を叩かれたのです。
はじめて触れる楽器なのに、透き通った音と正確なリズムが辺り一面に拡がりました。
「プロはやっぱ違うなぁ」という心緒が、ただただこみ上げてきたわけです。
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