暮らしと文化 歴史との分断

 今月あるお願いされている仕事があり、そのための下見に行ってきた。
下見と言っても、一般にイメージされているものとは違う。まちやむらを歩く(今回は地域が広いので車だが)という下見だ。
 暮らしを対象にする仕事をずっとしている。福祉ももちろんそのうちの1つ。福祉というとなんだか、わけられているように感じる方もいまだに多いようだが、あくまでも暮らしである。
 都会は都会のまちの見方、地方は地方のまちの見方がある。建物の建て方から、開発の仕方などをみると、だいたいの時期やその地の状況がわかる。わからない方からすれば不思議におもわれるらしいが、地形や外からでも見える暮らしぶりをみさせてもらうと、だいたいの概略はわかる。それに、インターネットでしらべられる資料とその地に暮らす人たちのお話をきくとより深くわかるものだ。
 昨日は地方だったので、家の建て方や様子を観察することが多くなる。災害の起こりやすい地域、たとえば、風が強い(おろしが吹く)、洪水が起きやすい、逆に水がすくない、そんなことは、農にまつわる様子をみればわかるし、家の建てている方向、集落の作り方でもわかる。
 現存しない産業も家の作り方をみるとわかる。昨日も、養蚕をやっていただろう家が密集している地域が出てきて、しらべてみるとその地域は明治期から大正期にかけて、かなり盛んだった地域だった。
 ところが、どうしてもやっかいなことがある。まさに昨日の地域がそうだったのだが、神社である。特に、天皇家にまつわる伝説がある地域の地域踏査は難しい。なぜ、難しいかというと明治時代に書き換えられている可能性が高いからだ。明治のはじめにと明治の終わりに行われた仏教への圧害と民間宗教への迫害と一村に一神社という明治政府の政策は、結果として、小さな地域の暮らしの取り組みを崩壊させてしまった。神社めぐりをされる方はご存じのかたも多いだろう。なぜに、神社の中に神社があるのか?有名な南方熊楠も神社合祀への反対をしたという有名な話がある。
 神社、神宮、寺など、明治期以前は民衆土着化し、暮らしと密接に結びついていたので、そこからその地に暮らす人たちの暮らしぶりがわかることも多い。地方に行くと集落の端にお墓があり小さな祠がまつられている風景をみることも多いだろう。その暮らしの一部を剥ぎ取ったのが明治政府の天皇神格化政策だったわけなのだが。
 そう地域を歩くときにはそんな歴史もみつつ、歩いて行くのだ。

 

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