7月は30日までだと思っていた話
6月末に約2年勤めていた職場を、そこそこ円満に退職した。
待望のアラームをかけない生活が始まった。アラームの音に怯え、朝の支度に追われなくてよくなった。なんて最高なんだ。
時間に追われることも無くなれば、日付に追われることもなくなった。働いていた時は、何日にこの予定があって何日にはこれをやってと常に日付に追われていた。
無職になって、そういう風に追われることからは解放された。何て素晴らしいんだ。
ただ、無職になったことで、なんやかんや生きていく上で必要な手続きがいくつか発生した。それらは日付や期間が決まっているものが多かったので、カレンダーは常に意識していた。
7月30日。金曜日。この日までに行かなきゃいけない場所があった。月末だなあと思ったことを覚えている。
土日をまったり過ごして迎えた8月2日。月曜日。この日始めて気がついた。
7月31日の存在を、まるっきり忘れていたことに。
あれ?そうだよな、7月って31日まであるよな?何でだろう、ちゃんと覚えてたはずなのに。スマホのロック画面で日付表示されるのに。なんで思い込んでたんだろう。
7月31日。何してたっけ。土曜日のことなのに、なんだか記憶もあやふやだ。靄がかかったような感覚だった。あまりよく思い出せない。
あれ。7月31日って。その日って。あれ、ああ、そうだ。
その日は、お父さんが亡くなった日だ。
亡くなって、一年が経ったんだ。
思うに、心の防衛反応なのだと思う。
どちらかというとあっさりした父娘関係だったと思う。けれど、父は私のことを好いていてくれたと思うし、私も父のことが好きだった。
けれど告別式では泣けなかった。全く泣かない娘を見て、薄情だと思った親族もいるかもしれない。
だって仕方ないじゃないか。父の顔を見ても、別人のようにしか感じられなかったのだから。
病気と診断されてから、一年も経たずに亡くなった。どんどん父の容態が悪くなっても、県外に住んでいる私はお見舞いにも行けなかった。この情勢のせいで、入院してしまうと面会許可が下りなかったのだ。
最後に父に会った時はまさか半年後に亡くなるなんて思わないくらい、普通だった。私の記憶の中に、まだ元気だった頃の父の姿が、色濃く残りすぎていた。棺の中の人が同じ父だと受け止めることができなかった。
全てにおいて現実感がなく、夢でも見てる気持ちだった。
日が経つにつれて、やっと現実だと感じられるようになった頃、ふと思い出しては泣いてしまうようになった。
その泣きたくなる感情は本当にふとした瞬間に訪れるので、何度もこんなことならちゃんと告別式で泣いておくべきだったと思った。同時に、ちゃんとお別れできていないんだと後悔もした。
こんな感じだったから、私の心の防衛機関さんは強めに動いてしまったのだろう。7月31日の存在自体を私の中から消してしまったらしい。
なんて冷静なように書いているけれど、父親の命日を忘れていたなんて、さすがに娘としてやばいんじゃないのかと思った。
でも、私のメンタルは紙より脆い。これについては自信がある。
だから、もしもまともに正面から父の死を受け止めていたら、修復不可能なくらいビリビリに破れてしまっただろう。
来年の7月31日は、存在するかな。もう一年経ったら私は、父がいない事実を受け止められるかな。
と、このエッセイはここで終わるはずだった。
このエッセイを書くに当たって、すごく文章がまとまらなくて、もういいか諦めようか、いやでもやっぱり書ききりたい、なんて迷っていたからものすごく時間がかかった。それで途中で嫌になって寝てしまった。
そうしたら、父が夢に出てきてくれた。
一年前からずっと、夢でいいから会いに来てくれたらいいのにと思っていた。けれど叶わなかった。私にはそういう不思議体験は起こらないんだと諦めていた。
やっと会えた。夢の中で気付いて泣いたし、目覚めて現実世界でも泣いた。
実はここのところ、燃え尽き症候群というか、何に対してもやる気が起きない状態になっていた。自分何やってるんだろうと毎日を過ごしていた。
このエッセイを書ききりたかった理由の一つに、そんな現状を打破するきっかけが欲しかったというのがある。
応援しに来てくれたような、背中を押しに来てくれたような、だらだらしているのを怒りにきてくれたような。そんな風に感じたけれど、本当はどれが正解だったのだろう。
例えこのエッセイを書くにあたって、父のことを思い出していたから、夢に出てきたのであってもいい。それでもいい。夢でいいからずっと会いたかったのだ。
夢で会えたことで、なんだかすっきりした。すっきりしたという言い方は少し違うかもしれないけれど、憑き物が落ちたというかなんというか。ストン、と自分の中で気持ちが落ち着いた。
このままじゃ駄目だ。そうだね。燻ってなんかいられないね。ちゃんと生きなきゃね。
一年後のことなんて誰にも分からないけれど、来年の私は、ちゃんと7月31日を迎えられる気がした。
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