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「心」ってどう訳す?(国語x英語『言葉と表現』の授業)

新学期から新しく国語科と英語科の教員で作る授業が始まった。
その名も『言葉と表現』である。対象は高校2年生で、選択科目となっている。

日本語の言葉を外国語との差異から見る

一番最初の単元として取り組んだのは、英語と日本語の言葉の違いを単語の差異から見つめること。まずはミクロなレベルでの差異を通して、表現の幅に触れてもらうことが狙いだ。

今回選んだ言葉は、「心」である。

「心」という言葉にしたのは、この授業を作っていくにあたって大いに参考にしている『ことばの教育を問いなおす』のアイデアからだった。

筆者のひとり、苅谷夏子さんは、朝日新聞に掲載された宗教学者・山折哲雄さんのエッセイを読む。

あるとき、日本研究のため来日したイギリス人がやってきて、こんなことをいった。日本人は何かにつけて「こころ」をもちだして、いろんな文脈で使っているが、これがなかなか英語にならない。ドイツ語やフランス語にするのも難しい、と。英語でいうと ハート/スピリット/マインド/ソウル など、さまざまな表記がそれにあたりそうであるが、どれひとつぴったりとくるものがない。ぜんぶひっくるめても、しっくりくるようにはとても思えない……。

朝日新聞 be on Saturday 2019年1月15日号

そこで、「心」という言葉の複雑さ、翻訳のしがたさを実感する。

小学生でも辞書を引こうとすら思わないであろう「こころ」ということばが、実は単純な翻訳を許さないことばであったこと。これは面白いことです。このエッセイを読んでから、私は「こころ」という語に出会うたびに、ちょっと立ち止まり、英語に訳すことを試みてみますが、その試み自体が私の理解を助けたり、発想を広げたりするのを実感します。それは、「こころ」という言葉を言って、あるいは聞いたり読んだりして、なんの疑問も持たずに安心、安定していた時とは、まったく違うあり方です。

鳥飼玖美子、苅谷夏子、苅谷剛彦『ことばの教育を問いなおすー国語・英語の現在と未来』(2019年)

あえて、英語のレンズを通すことで、身近に使っていた単語の意味を探る。言葉に対して向き合う意識を身につけて、何気なく吐いていた言葉の意味を立ち止まって考え直す。そんなきっかけを生み出したかった。

英語から日本語を見るシチュエーション

「日本語の単語を英語で説明する」ようなシチュエーションは、和文英訳の状況だけではない。翻訳家や通訳の方だけがしていることでもない。
私個人としては身近で、英語の教員であれば、「先生、〇〇って何て言いますか?」と生き字引扱いされる。
それだけではない。もしあなたが日本語を学んでいる人に会って、「〇〇ってなんて意味?」と聞かれることもあるだろう。
そうなるとふと、「あれ、これってこのまま訳していいのかな?」とか、「そのニュアンスだと、直訳したこれは違うな」となったりする。
そんな時に自分でも思ってみなかった言葉の意味に出会える。異言語のレンズを通すことで、身近に感じていた1つの言葉に異化効果が宿るのだ。

他にも英語と日本語で意味が異なる言葉はあり、動作動詞の「見る」と「see」「watch」「look」などは最たる例だろう。ということで、お題の言葉はもっと分かりやすい動詞でもいいのではないかとも考えていた。
しかし、高校生ともなれば、「心」が感情だけでなく、文化的な「心」に関わる使われ方をすることに、さまざまな論説文を読んだりすることで気づいているだろう。言葉には文化も深く関わる。抽象的な「心」という概念に、一方で親しみのある言葉に、取り組んでもらうことが良いだろうと、「心」という言葉を課題とした。

授業の流れ

では、実際の授業の流れを見ていく。
全体としては、3週間で、2コマ連続の授業の2.5週分の5コマ。

1コマ目

1コマ目は言語学の観点から、言葉がどのように思考を規定しているか論じられてきた歴史や理論を簡単に見ていく。
「サピア=ウォーフの仮説」や、色の知覚に関する研究など、ガイ・ドイッチャーの『言語が違えば、世界も違って見えるわけ』にも書かれるような言語と認識に関わる問題に触れていく。
(今回は、言語学(の中でも音声学)を専門にしていた先生が担当してくださった。)

2コマ目

そして、実際に「心」をどう英語にするのか考えながら、自分なりの定義に迫る。
ステップとしては、

  1. 和英辞典で英単語を見る

  2. (余力があれば)その英単語の意味を英英辞典で見る

  3. 「心」の自分なりの定義を考えてみる

と段階を踏んだ。国語辞典の日本語の意味は先にプリントに記入しておき、和英辞典や英英辞典を生徒に活用してもらった。そして、マインドマップを広げるように、英語の単語も探ってもらった。(学校では、紙の辞書だけでなく、ジャパンナレッジ Schoolを活用した。)

マインドマップのようなワークシート


Chat GPTなどが隆盛する中で、あえて言葉のプロ達が必死に練った辞書の定義を見るのは面白い。「辞書なんていつ使う?」と馬鹿にされることもあるが、言葉を言葉で説明しきることの難しさ、その中でも洗練させていった意味を辞典を読み込んでいくと感じられる。

今回活用した、ジャパンナレッジに掲載されているデジタル大辞泉には、このようにある。

人間の理性・知識・感情・意志などの働きのもとになるもの。また、働きそのものをひっくるめていう。精神。心情。

引用元:“こころ【心】”, デジタル大辞泉(小学館), ジャパンナレッジSchool, https://school.japanknowledge.com, (参照日:2023/4/21)

実は、日本語の「心」には感情的な部分だけでなく、意志や理性などの働きも含めている。ゆえに、さまざまな語に訳せるのだ。また、デジタル大辞泉には、読者から公募した「心」の意味も掲載されている。

マインドマップを広げながら、自分の疑問点を洗い出す生徒や、英語の意味を書き出す生徒。きちんと英英辞書の意味を調べる生徒。やりながら、自分の定義を書き出す生徒。取り組み方もそれぞれだった。

次週以降(3〜5コマ目)

次週の2コマでは、課題となる「心」という言葉が含まれた日本語の詩と向き合って、「心」という単語の部分を英訳するなら?と考えていく。
最後の1コマで、最初のレクチャーにまつわる単元テストや論述を実施する。

「心」の意味って?

先ほど紹介したデジタル大辞泉の語釈は、また10の小項目に分かれている。「心」について考えれば、きりがない。
そして、どのような文脈で使われるかによって、意味が変わる。その幅が英語の単語とは異なる。ただ、マインドマップを使っても、「意味がさまざまにある」となるだけで終わってしまう危惧があった。
だからこそ、今回の授業の最後は実際の文の中でどう訳すかというゴールを設定した。言葉の意味は、文脈があって初めて決まるものだからだ。

果たして、「心」は何と訳されるのだろうか。

追伸:と書き残したものの、今回の授業は他の業務があり、私はほとんど見れていない。一体どんな様子だったのかは、また話せる範囲で。

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