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GTP in San Diegoの備忘録 1日目(後半)崩れる固定観念

ミウラエリ
<自己紹介>
東京出身。2020年3月から、鳥取在住。
教員(今のところ、英語)。29歳女性。

2/21。1日目。
3日間のハイテックハイ(以下HTH)でのツアーを時系列に沿ってみていく。
前回はこちら。


4コマ目:授業見学(12年生 美術&10年生 英語)

テーマはfestivalの美術のクラス

昼食後向かったクラスは、12年生のJelena先生によるArtのクラスだ。
Festivalを題材にし、作品を作ることになるもので、今回はツアー参加者の日本人がさっぽろ雪まつりのことを共有した。
実はさっぽろ雪まつりが、高校生が「冬の北海道でも外に出かけてほしい」という思いからスタートしたものであることから、先生から「皆さんがサンディエゴでお祭りを作るなら?」と話を広げていく。Essential Questionにつながるような問いを教員から流れるように提示していた。

ルーブリックとの向き合い方を知る英語(国語)の授業

もう一つは、10年生の英語の授業。

詩を題材にした授業で、英語とスペイン語のクラスで横断している。Essential Questionは、「人々はどのように詩や歌詞を不正義に立ち向かったり、変革を生み出すのに利用しているか」というもの。
担当のLisa先生によると、歌を使うところまでは大盛り上がりで、今は詩を作るパートになり若干盛り下がっているらしく、「でも歌詞と詩は本来同じものということに気づいて欲しいんです!」と熱弁。こちらにも詳しく授業を説明してくださった。
生徒たちは、Googleドキュメントで作った自作の詩を廊下のプリンターでプリントアウト。先生が回収し、匿名の状態でクラスメイトの詩を渡される。そこで配られるのが評価のためのルーブリックシート。ルーブリックは、その日の午前の授業中に(!)教員が提示したネット上のものを叩き台にクラスでディスカッションしたものを渡していた。つまり生徒がルーブリック作りに関与しているのだ。

ルーブリックと詩のプリントを配り、フィードバック。その時間の終わりには返却

教室で見るスライドには、kind/ specific/ helpfulになるような言い回しが具体的に提示され、生徒たちはWarm Feedback(具体的なほめ)とCool Feedback(改善点)をそのシートに評価者として記名して、書いていく。生徒の中には英語が母語ではない生徒もいるので、配慮がなされているようだ。

具体的なフィードバックの書き始め方を3つの観点で

私が座ったテーブルの生徒は、すぐに作品を見せてくれ、印刷したものを私にくれた。作品への愛が伝わってくる。
その生徒がフィードバックした詩は英語としてはちゃめちゃな部分もあり、英語が母語でない生徒もこの教室にいることに気づかされる。そのような生徒への配慮はEquity(公正性)を重視するHTHではとても重要だ。

ちなみにHTHには図書室はない。各教員が購入することが多く、Lisa先生のクラスは英語(国語)ということもあり、多くの本が置かれていた。

1日の振り返りタイム

疑問をJohn先生にぶつける

そんな風にして1日目はあっという間に過ぎていき、再びJohn先生とのQ&A。
HTHの展望を聞かれると教育予算を上げることを真っ先に挙げていた。アメリカは他の国に比べて、教育予算が少ないそうだ。今度は、そこを改善しなければならないという。
(HTHの教員も給与はそこまで良くない。というのもSan Diego自体はそれなりに物価が高い街だからだ。)
3日目にやる予定のProject Tuningは授業が始まる4,5ヶ月前に生徒や同僚と実際に行うらしい。生徒も巻き込んで授業を考えている姿が印象に残る。
と、定時になった時にJohn先生は退勤。小学校に通う娘さんのもとへ向かっていった。

「あのProduct」がある部屋でリフレクション

こちらのProductは今は会議室に

1日の終わりに、それぞれのメンバーでリフレクションをした。こうやってまとめると、1日目だけでも圧倒的情報量で、ヘトヘトになっていた。
(そんな中、主催者であるSinyaさんはHTH大学院の授業に行っていたので、もっとクレイジーだったかもしれない)
特にまず驚いたのは、文化の違いだ。日本だと高校生はまだまだ子ども扱いだが、ここではだいぶ任され始めているように思った。一方で、10年生のクラスでは、クラスの秩序に対する注意も多かったが、12年生はそのような様子はあまりない。が、傍目から見ると違うことをしている生徒、急に帰ってしまう生徒など気になることはあった。
後で分かったことだが、HTHには一応ルールがあり、スマホなどを授業中に使うことは禁止されている。授業の出欠もとるので、出入りが自由なわけではない。しかし、それをどこまで注意するかは教員毎に任されているらしい。教室の秩序についても、各教員の裁量に任せられている。ある意味、技量が求められる環境だ。
それぞれの教室も、教員毎に割り振られているので、ラボのような教室、木工所のような教室、図書室のような教室、さまざまだ。

「みんな一緒」という平等性が染み付いてしまった私は、どこかで個性を出すことの意味を忘れてしまっていた。しかし、個性があってこそのEquity(公正性)かもしれない。
様々な事情を抱えた生徒がいるHTHでは、このEquityを意識するからこそ、PBLという手法をとり、それぞれの生徒が役割を見つけることを期待している。

また、私は普段の自分を省みた。
生徒にどれだけ任せることができるのか。
生徒だけが案内するツアーの時点で感じはめていた。授業においても、ルーブリックを生徒たちで作り、自分の作品を評価していた。授業作り、つまりプロジェクトを作る際も、Project Tuningを通して、生徒の声を聞き入れている。どこまで生徒の声を聞けていただろうか、と。

教員の個性・自律、そして生徒達の自主性が重んじられることが伝わる1日目だった。

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