永川浩二_登場す_

永川浩二、登場す。 第4話

(第3話はこちらから)

元・山内警察署刑事、工藤祐作の運転する紺色のフォルクスワーゲンのゴルフは、山内市の市街地を抜け、市のベットタウンとしての閑静な住宅街を形成する苫米地町に入った。季節は初夏から本格的な瀬戸内の「夏」に移り変わるまさに途中で、町の人々の袖の長さももう大半は短くなっていた。
「県警から今回の話は聞いたよ。江夏くんの件、信じられないな」
運転席の工藤は、後部座席に黙って座っている浩二と慶に語りかけた。
「はい…。正直すごく混乱してます。どうして智仁が、って」
慶はうつむいたままそう答えた。浩二はうつむいたまま、瞑目している。
「俺にとって、浩二と佐々岡くん、江夏くんは3人でいつも何かをしていたイメージが強いから、今回のことは本当にショックだ。だからこの件を人づてに聞いたとき、真っ先に君たち二人の顔が浮かんでね」
紺色のゴルフは住宅街から少しだけ離れた場所にある工藤の探偵事務所に到着した。築年数の重ねた、古い雑居ビルの3階に「工藤探偵事務所」という文字が硝子に印字されている。
ゴルフから降りてその印字されたガラス窓を見上げる。浩二は、ああ、ここにくるのは2回目だな、と遠い過去の記憶と記憶を混濁させながら思った。

工藤は山内警察署の刑事課を5年前に退職し、現在は私立探偵を営んでいる。今はインターネットがあるので、昔よりも「元警官」というキャリアを活かした宣伝活動がやりやすくなったらしく、ほぼ独力で立ち上げたこの事務所も、秘書役を一人雇えるくらいには安定して経営ができているらしい。
「いま、工藤さんは書類をさがしているみたいだから、コーヒーでも飲みながら待っててね」
応接室で待たされている二人に、ゴルフとほぼ同じ深さの紺色のTシャツを来た若い男性がアイスコーヒーを差し出した。浩二は会釈してコーヒーを受け取りながら、襟足を短く刈り上げたショートのマッシュヘアに縁の薄いボストン眼鏡をかけ、柔和な笑みを浮かべるその若者を一瞥した。
「おにいさんが、入来さん?」
「はい、去年の秋からここでスタッフとして事務作業のバイトをしている入来といいます。どうも」
入来公康の話は、行きがけの車の中で工藤から聞かされていた。嬉しい悲鳴として工藤の仕事が増え、手が欲しくなったところに事務スタッフとして募集してきた、近くに住む大学生が入来だ。県内にあるペタジーニ学院大学の法学部で刑法を専攻しており、この職場に興味があったらしい。
「すまねえ、ふたりとも、遅くなった」
奥の部屋から工藤が、キングジムの分厚いファイルを2冊手に抱えて出てきた。
「入来、お前はわるいが外してくれ、すまんな」
「はい、工藤さん承知しました。それではお二人とも、ごゆっくり」
入来は浩二と慶に笑顔で一礼し、コーヒーを持ってきたお盆を抱えて部屋を出ていった。
「工藤さん、その書類は?」
「今まさに起きている【鉄仮面殺人事件】の捜査資料のコピーだ。昔のコネを使ってちょっと強引に入手した」
「え?」
浩二と慶は、互いに顔を見合わせて虚を突かれたような表情を浮かべた。
「今から俺は、君たち二人に持っている情報をすべて話そうと思う。それは、俺個人がきみたち二人と、そして江夏くんにたいへん思い入れがあるから、今起きていることを一緒に解決していきたいと感じているからだ。準備はいいか、話し始めるぞ」
工藤はそう切り出すと、持ってきた赤と青の2つのキングジムファイルのうち、赤いファイルに手を付けた。

工藤は赤いキングジムファイルの中から数枚の書類を選び出し、二人の前に広げた。
「これは、今回の【鉄仮面殺人事件】の被害者たちの情報だ。見てみろ」
浩二は資料を手に取り、読み上げた。
「えっと、まず第1の事件だな。被害者は赤田大輔、39歳、死因、拳銃による即死、死亡推定時刻が6月25日17〜19時か。職業、江尻出版社員…と」
「彼が殺されて、事件が幕を開けたんだよね」
慶が横から相槌を打つ。
「で、次の被害者が伊藤秀樹42歳、小林鉄鋼社員、死因が…頭部を鈍器で殴打された…だけ?」
「だが、結果的に発見が遅れて亡くなっている」
工藤が説明する。
「うーん、それにしても妙だな…死亡推定時刻は1日経った6月26日21〜23時か」
「浩二、次の被害者も、死亡推定時刻を見てみろ」
「えっと、次の被害者っていうと…上原智48歳、ペタジーニ学院大学の准教授か。死因は、背中から拳銃で撃たれて即死…死亡推定時刻は…6月25日の17〜19時!?」
浩二は思わず声を上げた。
「なっ、妙だろう。遺体の発見が【あ→い→う】になっているから、これは現代のABC殺人事件みたいに言われているが、実際は【あ→う→い】だったんだ。しかも、伊藤秀樹氏は即死でないため、発見が早ければ生還した可能性もあったらしい。つまり、この事件はただの猟奇殺人ではない」
工藤は驚嘆の表情を浮かべる浩二と慶にそう語った。
「犯人は、意図的に上原准教授の遺体発見を遅らせて【あ→い→う】というABCを完成させた。そして、【え】を持つ智仁が次に殺された…。でもどうして?伝統的ミステリ小説の中ならまだしも、現代日本でそんな殺害順に固執する意図がわからなくない?」
「そのとおりだ。意味がわからない。だが、私にはこの語順には既視感があった。そこで、この資料を県警のツテを使って手に入れた」
工藤はそう言うと、今後は青いキングジムファイルを開いて何枚かを取り出し、二人の前に広げる。
「これは…」
浩二は、予想外だにしなかったその見出しを、思わず声に出す。
「『1998年6月15日-25日 広島山内連続通り魔事件捜査資料』…?」
「浩二、この事件は20年前と地続きになっている可能性が高い。そして、その可能性に県警はまだ気づいていない。俺は、お前たち三人に関わるこの事件を、県警とは別筋で調べようと思う」
工藤はそう話すと、スマホを取り出し、いくつかのページを写真に取ると、SMSで浩二のアカウントに送信した。
「え、工藤さん何してるの?」
「この資料の内容を俺は独断でお前たちに共有する。もしなにか気づいたことがあれば、すぐに教えてくれ。ただし、無理はしなくていい。これは、俺の勝手な考えだ」
工藤は40代にさしかかろうとする年齢を感じさせない力強い瞳をぎらりと浩二と慶に向け、そう語った。

***

福地高校寄宿舎205号室。自室で浩二はベッドに寝転んで、例の"20年前に起きた事件"の資料をスマホの写真から見ていた。
(20年前、ここ山内市で起きた連続通り魔事件。相木浩弥、井口泰幸、牛島克実、遠藤昌、小野一宇と、平仮名の順に次々と殺害されている…全く今回と同じだな…そしてその中一人だけ犯人から逃げ延びたという男、加藤尚成。更にその後殺害された広島県警刑事、木田弘寿。そして犯人逮捕ができぬまま惨劇は終わった。1998年に発生した事件のため、2010年の法改正により、時効は迎えていない)
と、そこへ部屋の扉が開いて、ルームメイトの松坂英司が帰ってきた。
「ただいまー、永川くん」
「お、英司おかえり。どっか行ってたの?」
「映画を観に大野市まで。休校もいつまで続くかわからないし、ただおとなしくしているのも気が滅入るから、少しだけ気晴らしにね」
智仁の殺害事件を受け、学校側は異例の無期限休校を指示していた。私立福地高校は、全国でも今や珍しい敷地内に寄宿舎を持つ全寮制高校だ。抜きん出た進学校でもスポーツ校でもない代わりに、学校が責任を持って高校3年間の寝食の面倒を見ることが保護者に向けてのウリになっていただけに、今回校舎内で生徒が殺害されたことで、学校のブランドは失墜した。在校生の保護者対応も含め、学校側はとても授業を再開できる状態ではないのだろう。
「そういえば、今日立浪さんが永川くんのこと訪ねてきてたよ。帰ってきたら部屋に来るように言ってたから、顔を出してもらえると」
「ええー、まじかよ、面倒だから断ってよかったのに」
同級生、立浪優子の少しむくれた顔をイメージして、浩二はうんざりした気分になった。感覚的で奔放なところのある浩二に対して、世話焼きで学級委員タイプの優子は、1年生で同じクラスの頃からやたらと絡みがあり、浩二は煩わしさを感じていた。
「いやいや、なんか大事なことっぽかったよ、行ってきなって」
英司はにやにやした表情を浮かべて、浩二を小突いた。
「はいはい、行ってくるよ」
そういうと浩二は、スマホの操作を止め、寄宿舎の女子棟にある優子の部屋へ向かっていった。

(第5話につづく)

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