見出し画像

サプライズを迎えに行きたい

「サプライズを迎えに行きたいよね。」

友達との会話でサラッと出てきた言葉が、自分の中でしっくりきて気に入っちゃうことって、ある。

私は、サプライズやら予想外やらを、自分から迎えに行きたいらしいよ。待ってるんじゃなくて。


あ、全然関係ないんだけど、私今ね、見知らぬ人じゃない人が同じ空間にいる状況でこれ書いているんだけど、こんなん初めてだから面白い。笑

今まで書くときって、究極に1人!!!みたいな時だけだったから。

これは多分また別で書くんだけど、いらない興味とかいらない気遣いってあると思う。
そこまで分かってて配慮できる人とか、そもそもそれがなくて自分のことが一番大事な人とかが、一緒にいて心地良いのってある。究極な1人に近い状態で居られるからね。
これはここ最近の発見。


人間関係の中で一番大事なことは「ちょうどいい距離感」だと、数年前のある時期の私がよく言っていた。うん、それな。

「自分以外は他人」っていう言葉や感覚が自分の中に住み着いたのも、その時期だったかな。


っていうとさ、めっちゃなんかあった時期みたいに聞こえない?笑

ごめん、まじで特に何もなくて、ただ含みを持たせた言い方をしてみたかっただけ。笑



話戻そ。

サプライズを迎えに行くっていうのは、予想外なことが起こりそうな予感がする方を自ら選んで進んでくってこと。

まぁ、私が好きそうな範囲内での予想外なこと、なんだけどね。サプライズって楽しいのが良いじゃん?

だからこそ、知らない世界に飛び込んでいくし、大好きな人にはついていくし、遠くへ行く決断に躊躇はないし、やったことないことには手出してみるし、お誘いには二つ返事でOKしてみるし、環境や拠点もコロコロ変えるんだと思う。

そういう時の感覚って色々あるけど、一つ挙げるとしたら、自分の中のストッパーを外す感覚。もうちょい言うと、思考をやめて、「なんとかなる」という根拠のない自信だけで、一歩進んでみる感覚。


別に自分で迎えに行かなくても、きっと普通に生きてればサプライズは起こる。それなりに。

でも私は、結構常に色んなことをシミュレーションするし、あらゆる「起こりそうなこと」を予想して、対処法を考えて、ってのをやるのが癖になってるから、慣れてくると面白くなくなってくるんだよね。笑

小さなサプライズでは、驚きや感動を感じなくなってくる。笑

「あ、そうなる!?」みたいなのを求めてるのかもな~~~。

何も起こらないよりは、例え微妙な結果になったとしても、何かしらビッグイベントがあった方が良くね?みたいな。

「どっちの方がサプライズが起きやすそうか」で選ぶこと、結構あるなぁ。


でも平和主義ではあるので、波風を立てたくない気持ちもめちゃくちゃある。
とにかく平穏が良いという願望は、ものすごく強い方だと思う。


だから、刺激を求めて何でもかんでも荒らしたいわけでは、決してないのよ。


でもまぁ、
「待ってろよ私のサプライズ!!!」
というスタンスでは生きていきたいですね、これからも。












この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?