とってもぷろぽ

つらいこともひらがなにしてかわいくできるような文章を書いています。

とってもぷろぽ

つらいこともひらがなにしてかわいくできるような文章を書いています。

最近の記事

自分のSNSアカウントは、本当に「自分」なのだろうか?

「見られることが作り出す空虚さ」 最近、ふと疑問が浮かんだ。確かに、私は自分のSNSアカウントで言葉を発し、思いを伝えている。アカウントには私の名前が刻まれ、写真も掲載されている。しかし、その画面の向こう側にいるのは本当に「私」なのだろうか。時折、どこか中身のない空虚さを感じることがある。まるで、自分ではない誰かがそこにいるかのようだ。 最初は、この感覚はないかもしれない。自分らしい自分でSNSを使っているのかもしれない。だが、徐々にフォロワーが増えていくと、「人に見られ

    • 「ぐるぐるの哲学:思考の迷宮からの脱出法

      「ぐるぐるの解放:身体と精神の円環」 答えのない問答に捕らわれ、頭がぐるぐると回り始めると、私たちの思考は次第に堂々巡りに陥る。思考が絡まり合い、抜け出せない迷宮に足を踏み入れるような感覚。それは誰しもが一度は経験する精神の負荷だ。しかし、そんな時こそ、身体を同じようにぐるぐると回してみるのだ。頭の中のぐるぐるに、身体のぐるぐるを重ねてみると、奇妙なことに肉体的な回転が精神的な混乱を解き放つ助けになる。 身体がぐるぐると回転し、目が回り、重力を感じながら足元が揺らぐ時、頭

      • カサブタと忘れられた傘

        人生とは、苦しいものだ。そう思うことはおそらく誰にとっても自然な感覚であり、避けることのできない現実だろう。8割は苦しみで満ちていて、残りの2割で何とかその苦しみを和らげながら私たちは日々を生き抜いていく。それが「普通」なのかもしれない。生きていく中で死という逃げ道すら倫理に縛られ、許されないという不条理さを感じることがある。しかし、だからこそ生きることに意味があるのではないだろうか。 「死にたい」と思いながらも、それでも生き続けること。その矛盾こそが、人生における最も美し

        • 寂しさという豊かさ

          寂しさという感情は、多くの場合、喜びの記憶から生まれる。人は楽しい時間を過ごすと、その時間が永遠に続くことを望むものだ。しかし、どんなに素晴らしい瞬間でも、終わりは必ず訪れる。そうして終わりが訪れたときに、人は突然の孤独感や空虚感に襲われる。それは、喜びが消え去ることに対する心の抵抗であり、その一瞬をもう少しだけ留めておきたいという願いから生じるものだ。 思い出は、その瞬間を生きていたときの鮮やかさを残しながら、やがて過去へと変わる。楽しかった時間が終わると、心はその失われ

        自分のSNSアカウントは、本当に「自分」なのだろうか?

          ランニング

          ランニングの対話 ある日ある瞬間、ふと決意する。私はもっと健康的でなければいけない。もっと強くなければいけない、と。高い志を持ち、近所の公園にあるランニングコースを走ることにした。それは、単なる運動ではなく、何かを始めるということ。その行為が、私の存在を少しでも価値あるものに変えるものだと信じたうえでの単なる運動だ。 走り始めた瞬間は、目標がはっきりとしているものだ。体力をつけたい、健康でありたい、そして心を強くしたい。目的があるからこそ、足は軽やかに進む。最初の数分間は

          人生の生きる意味は、愛することに集約される。

          人生の生きる意味は、愛することに集約される。 これが、今の私なりの答えである。人を愛すること、物を愛すること、自然を愛すること。何を愛するかは各々の選択に委ねられているが、「愛する」という行為そのものが、生きる喜びの根幹にあることは、疑いようがない。愛は、単なる瞬間的な感情ではなく、心の奥深くに根付き、私たちの存在を豊かにする糧となる力である。 これ以外に「生」を最大限に享受し、謳歌することができるだろうか。私には、そのように感じられるのだ。私が「生」を前向きに捉えるとき

          人生の生きる意味は、愛することに集約される。