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人生の生きる意味は、愛することに集約される。

人生の生きる意味は、愛することに集約される。

これが、今の私なりの答えである。人を愛すること、物を愛すること、自然を愛すること。何を愛するかは各々の選択に委ねられているが、「愛する」という行為そのものが、生きる喜びの根幹にあることは、疑いようがない。愛は、単なる瞬間的な感情ではなく、心の奥深くに根付き、私たちの存在を豊かにする糧となる力である。

これ以外に「生」を最大限に享受し、謳歌することができるだろうか。私には、そのように感じられるのだ。私が「生」を前向きに捉えるとき、必ずそこには誰かが隣にいるか、誰かの存在を感じている。愛は他者とのつながりの中で輝き、私たちに生きることの意味を教えてくれる。

だが、「愛する」という行為自体には、忍耐力が求められる。花を枯らさないためには、毎日の水やりが欠かせないように、愛もまた、日々の小さな努力の積み重ねを必要とする。時にはその努力が面倒に思えることもあるだろう。しかし、もしその面倒を避けて通ろうとすれば、やがて愛は枯れ、喜びも失われてしまう。

人生を謳歌するためには、どれほど面倒なことをやれるかが重要ではないかと。いや、むしろその面倒なことを愛せるかどうかが、人生を豊かに生きる鍵ではないかと私は感じている。夜中に6、7時間も歩き続けるという、まるで修行のような時間を過ごすことがある。それはただ楽しいから行うのではない。その面倒さをも求めているからこそ、それをやり遂げるのだ。

これが、人生を豊かに生きるための秘訣なのではないだろうか。現代社会は、できるだけ面倒を排除し、最短距離を求める。しかし、私はそれがかえって不幸を招いているのではないかと感じる。最短距離を追い求めすぎると、「愛する」ということ自体が、極めて困難なものに思えてくる。すべてが思い通りにはいかないからこそ、愛は価値を持ち、人生は輝きを増すのである。

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