認知症ケアへのアプローチを再定義する(セシリア・チャン)
「ユーモアがあり、そして何より希望があった。治療法ではなく、逆境に置かれた時にも、意味を、親しみを、そして人間の強さを見出すことができた。」
- ボブ・ウッズ教授、ウェールズ認知症サービス開発センターディレクター
認知症の世界に直接的に関わることで、私はこの病気の本当の難しさを個人的に体験することとなりました。医療従事者として、初めは認知症にその喪失に焦点を当てた生物医学的な見解を持っていました。しかしこのアプローチでは認知症を持つ友人たちのQOL(生活の質)を高めることはできず、介護者たちの支えにもならないと気づきました。
私たちが望むことは、老化や視覚や聴覚の低下に関わらず、高いQOLを保つことです。しかし、このアプローチへも疑念を持つようになりました。認知症の人に基本的なサポートを供給する道筋を具体的に示すことができないからです。残念ながらメディアや一部の認知症キャンペーンですら、悪意はないものの、認知症に対する悲劇的なメッセージの重ね塗りを続けています。
今こそ新しいアプローチが必要なのかもしれません。これまでと同じアプローチでは、違う結果は期待できません。認知症の捉え方を見直し、この病気にまつわる偏見や恐怖を軽減させるため、協力する時がきたのです。
日本を訪れた際、認知症の人たちと心をかよわすツールとして「とつとつダンス」を紹介する一風変わったアーティスト集団を見つけました。私は非常に魅了され、好奇心を掻き立てられました。彼らに連絡を取ると、私にとってはいまだに未知な世界である、クリエイティブ・アーツの世界へ招いてくれました。彼らの誰一人として医学や保健医療の経歴を持つ人はいません。
とつとつダンスは、ダンサーひとりひとりがユニークな動きを持って表現することを奨励し、「個性」にスポットライトを照らしています。とあるワークショップでは、認知症の人とそのパートナーが共有する経験を動きで表現する課題がありました。彼らは、母親が大好物を調理している動きや、大好きなお菓子をシェアしているような動きを踊りました。こうしたダンスは非言語コミュニケーションであり、言語を使わずに心を通わすことを可能とするのです。
二週間の滞在は、私に認知症を恐れる文化から、思いやりと容認の文化への変革の可能性を示してくれました。滞在期間中に出会った経歴も職業も様々なチームは、思いやりと容認の文化を実践していたのです。
マレーシアでの認知症に対するネガティブな印象や偏見と、それが認知症の人たち、およびその家族に与える影響について話すと、日本のチームはすぐに、自分たちにも似たような暗い時期があったと教えてくれました。
日本がその暗い時期から抜け出るまで決して一朝一夕ではなかったと聞き、私も希望を持ちました。認知症に対して恐怖心を抱いていた時もあった彼らが、有意義な対処法を見つけるまでの話を公にシェアすることで、私たちも同じように、認知症を死刑宣告であるとみなす文化から踏み出す勇気をもらえるのではないでしょうか。
認知症の時代に生きていることは否めません。寿命が伸びた現代において、以前より認知症を経験する確率は確かに増したでしょう。
認知症に対する恐怖に臆せず真正面から掘り下げることで、認知症への理解を深め、認知症になっても豊かな人生を送ることができる、あるいは認知症と診断された人をより愛することができると信じています。
私たちがコミュニティとして、どんなサービスや支援が認知症当事者に役立つのかを理解しようと努力することは、認知症に対する恐怖を解きほぐし、孤立やストレス、鬱病といった悲惨な社会現状を改善することにつながるはずです。
自分が望む変化に、自ら進んでいきましょう。
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