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「とつとつダンス 2023年度マレーシア・シンガポール」(オーディオコメンタリー) 文字起こし


解説

概要:
2023年、ダンサー砂連尾理とtorindoがシンガポールとマレーシアで行った認知症高齢者と介護者とのダンスワークショップ<とつとつダンス>の記録動画のオーディオコメンタリーを文字起こししたものです。

映像に映る情景をナレーションで伝えながら、映像内で展開される事象について、ブラインドコミュニケーター石井健介さん、ダンサーの砂連尾理さん、torindo豊平豪が会話形式でコメントしています。

認知症高齢者や介護者と行ってきた<とつとつダンス>を視覚に障害がある方々とシェアすることは可能なのか。その試みの一環です。

出演:
石井健介(いしい・けんすけ)、砂連尾理(じゃれお・おさむ)、豊平豪(とよひら・たけし)

youtube動画は以下のリンクから
[オーディオコメンタリー] とつとつダンス2023年度マレーシア・シンガポール
※以下の小見出し横のタイムコードは動画に対応しています。よろしければ動画もご覧いただければ幸いです


はじめに(0:00)

豊平:
こんにちは〈とつとつダンス〉のプロデューサーの豊平豪です。〈とつとつダンス〉はダンサー振付家の砂連尾理さんと私が代表を務めるトリンドが2009年から続けている、認知症高齢者障害者と介護者とのダンスワークショップです。
本作には日本語字幕とオーディオコメンタリーがあります。オーディオコメンタリーでは、映像に映る情景をナレーションで伝えながら、映像内で展開される事柄についてブラインドコミュニケーターの石井健介さん、ダンサーの砂連尾理さんと共に会話形式でコメントしていきます。
今年度の〈とつとつダンス〉では活動の範囲を広げていく中で、「〈とつとつダンス〉をどのように伝えていくか、どのような言葉で語れるのか」が大きなテーマの一つになりました。これを背景に、このオーディオコメンタリーは、どのようにすれば〈とつとつダンス〉を音声コンテンツとして楽しむことができるのかを探る試みにもなっています。

石井:
こんにちは、ブラインドコミュニケーターの石井健介です。僕は2016年、36歳のときに視力を失い、それ以来、ほぼほぼ視力を使わない中で生活をしています。このオーディオコメンタリー収録前に〈とつとつダンス〉のワークショップを体験しました。それを踏まえて、今日は分からないこと、視覚では見えないものをお二人に聞いていこうと思います。

砂連尾:
こんにちは、振付家ダンサーの砂連尾理です。この〈とつとつダンス〉は2009年からずっと初めの頃から関わっています。今回ですね、こういう形で石井さんと、見えていないという人と改めてこの映像の中で感じたことを、何か身体的な感覚を伝えていけたらなというふうに思っています。

一同:
よろしくお願いします。


1 テーマ「ゆっくり動く」(4:58)

石井:
これは今、画面には何が映っているんですか?

豊平:
これはマレーシアのファイブ・アーツ・センターでやった一般向けワークショップの様子です。壁の片一方からゆっくり、ゆっくり歩いています。

石井:
ゆっくり動くっていうのは、本当にゆっくり。皆さんスローな感じで動いているってことですよね。

豊平:
そうですね、スローに動いています。

砂連尾:
これ本当にね、僕が先頭に立って歩いているんですけども、どうだろうな。5m歩くのに、それこそ5分から10分ぐらい。だから、かなり止まらずに、止まらずにゆっくりかかとからつま先までをゆっくり移動しているっていうか、映画のコマ送りみたいなそんな感じ。

豊平:
砂連尾さんを追い越しちゃいけないっていうルールだけがあるって感じですね。

石井:
そのルールがあるんですね。

豊平:
今度は5分間掛けて握手をしてみるワークの様子です。

石井:
5分かけて握手するってずいぶん時間かかりますよね。

砂連尾:
そうなんですよ。これ向かい合ってね、じっと、やるので本当にじわじわっていう感じですね。ピリピリする感じもありますね。

石井:
なるほど。

―― ――
豊平:
これは接触するワーク、触れるワークの様子です。ペアになってお互いが手の甲とか平とかしわとかをさすったり撫でたりっていうワークショップですね。

石井:
これゆっくり優しくみんな触っているんですか?

砂連尾:
そうですね。これはいわゆる握手というよりは、指先と指先とか、本当に部分部分を手で、手を触覚に見立てて触れていくっていうか、そんなことをやりながら、普段とは違う触れ合い方をちょっとやってもらっていますね。時にマッサージしたりとか?

石井:
手のひらだけなんですかね?触れるの?

砂連尾:
えっとね。一応、甲も触れたり、もちろんします。続いて同じようなことを足でもやるんですね。

石井:
足!

砂連尾:
握手するって手でやりますけど、これを足でやるとどういう風になるかっていうので、普段とはちょっと違うレイヤーで触れ合いをしておりますね。

石井:
足の裏と足の裏をくっつけているんですか?

砂連尾:
足の裏と甲だったり、足の裏同士だったり、指先だったり。これも押したり、ぎゅっと押されたりとか。

石井:
なるほど。いろいろ感覚違いそうですね。

砂連尾:
多分全然違いますよね。普段やらないですよね。

石井:
やらないです。


2 テーマ「接触する、目を合わせる」(6:55)

豊平:
今度は「目を合わせる」というワークの様子ですね。

石井:
目を合わせる。僕にとっては結構難しそうですね。やっぱり視線がどこにあるのかがわからないので。

砂連尾:
そうですよね。僕、この目を合わせるって高齢者とよくやるんですね。もちろん目が悪い方もいらっしゃると思うんですけど、あまり喋らない方もちょっと目を合わせると、とりあえずお互いに見つめ合う。

石井:
これずっと目と目が視線が合った状態を保ち続けるものですか?みんな外したりもするんですか?

砂連尾:
目を合わせられる人が合わせてくれて、ずっと合わせることがあるんですけど、やっぱり時たま、ちらっちらっと目を合わせてくれる人もいれば。時たま外す人もいれば。
だから、手とか足とは違う形で、目をいろんな距離で。今、ちょうどおばあさんの膝の上に僕が頭を乗せて、目を合わせたりとかします。そうすると同時に膝にも触れてはいるんですけど。そういうふうなふれあい方っていうのが、直接のコンタクトじゃない。

豊平:
目を合わせた状態で動いていくっていうことですよね。砂連尾さんは外さないで。だから膝の上に乗ったり、床に寝転がったりっていうような状況になりますね。

石井:
これでも触れないで視線だけ合わせて動いたりとか、その状態からまたさっき言っていたみたいにゆっくりお互いが触れ合っていくとか。それはもう本人たちに委ねてそういう感じなんですね。

砂連尾:
これはもうあまり何かこういうふうに動きましょうっていうよりは、その場で何か立つ、立つってことはあまりないんですけどね。でも座りながら何気なく会話し合ってるっていう感じに近いかな。

石井:
やっている時は言葉を発しない。

砂連尾:
言葉は発しないですね。

石井:
じゃあ、もうお互いの動きとか、それこそ呼吸とかも見ながら、触れてもいいとか、いいよみたいな。サインを出し合って受け取りあってやっている感じなんですかね?

砂連尾:
手と足に比べるとなんだけど。なんか「沈黙で会話している」

石井:
「沈黙で会話している」

砂連尾:
だからときに微笑みあって目合わせていたり、ときに一生懸命、いろんなものを見合っているとか、そんな感じに僕の体感としては近いけど、どう見ていて、豊平くんなんかは。

豊平:
そうですね。どういうきっかけでできたんでしたっけ?それを今思い出そうとしていて。

石井:
このワークが。

豊平:
砂連尾さん、いつから始めたかな?

砂連尾:
これ、僕、多分それこそ2009年の〈とつとつ〉のパフォーマンスを最初やったときに、認知症のみゆきさんがほとんど喋れなかったので、会話がうまくできない人とお互いの存在を認識し合う一つのコンタクトとして。「目を合わせる」のは初期の頃からやっていたような気がするな。

豊平:
たしか耳が聞こえない方もいらっしゃって、その方とどうワークをするかって言った時に、言葉を使えない状況で目を合わせるも始めたような印象があります。

石井:
これだからね。僕は今、目が合っているかどうか自分では確認できないので、目が見えない視覚障害者とワークやったらどうなるんだろうなっていう、好奇心が。

砂連尾:
本当、それこそ僕も今朝のワーク一緒にやりながら、目を合わせ、目が合うっていうことが前提となっていない関係でも、あるいは今回のこういう人たちと〈とつとつ〉の中で。目をつぶりながらお互い目を合わせてみましょうとか、そんなことは可能性として考えられるかなと思いますね。

石井:
身体感覚として、砂連尾さんの中で視線が合っているときと、外している時と相手との向き合い方とか体の動きとか反応とかって変わったりするんですか?あとは認知症の方の動きとか反応とかって変わったりします?

砂連尾:
変わっているとも言えるんだけども、どういう状況でも別にそれはいいと言うかな。それによる自分の中でこれが良いからこれを目指しているとかっていうよりは合っている状況の中で何をするか、外れて何をするか。そんなことが一番結構やっていることかな。

石井:
その瞬間を感じ続けるというか、表現し続けるとか。

砂連尾:
合っても外れても両方。

石井:
変化とかってありますか?認知症の方の視線が合っている時すごい生き生きしてきたなとか、その人の内側から生まれてくるエネルギーみたいなのって

砂連尾:
本当に変化っていうの一刻一刻変わってくるので、本当に変化をどっち側に行っても楽しむっていうことだけを一番意識しているような気がしますね。怒る人ももちろんいるし。「何で目合わせてんねん」とかね。それも含めて穏やかに進むだけじゃない。そういうことが何かワークをやっている中で一番、どんな状況になったとしてもそれを受け入れていくっていうことが一番楽しいところから僕としては。


3 テーマ「距離を測る」(14:52)


豊平:
これはまた別の会場ですね。椅子に座る高齢の女性と若い女性がペアになっています。高齢の女性が若い女性の腕に手のひらを当てたり、触れるか触れないかの距離ですね。若い女性の右手が、さらに高齢女性の手のひらの上に伸ばしているって感じです。

石井:
お互い触れ合っている。

砂連尾:
これはね、触れ合わないです。

石井:
そうか距離を取る。これは触れてはいけない。

砂連尾:
そうですね。一応触れないではっきりした手がかりがない中で、ある程度の距離を持ちながら、どういう距離感で相手と一緒に動けるか、あるいはこれ以上離れちゃうと動きづらいか?そんなことを探っていますね、このワークでは。

石井:
適切な距離を保つというか、お互い心地いい距離を保ちながらも、一緒に存在しているというかね。

砂連尾:
そうね。心地いいっていうのがまた、どこ思って心地いい結構あると思うんですけど。自分がまず心地いいと思ったことと相手が心地いいと思っている距離。それをお互い感じ合うっていうことがまず一つ。自分の前提を疑っていくっていうのかな。
時にその居心地のわるい離れ方とか、居心地のいい接近の仕方とか。距離も一定の距離を持っているっていうだけじゃなくて、やっぱりときにすごい接近したり、すごい離れたりすることで感じる中で自分の居心地の良さ。これ多分、石井さんなんかも直接は見えてないと思うんですけども。

石井:
でも今話聞いていて、普通だと、すごく近づきすぎる距離。いわゆる自分のプライベートなエリアに入ってきた時に居心地の悪さを感じたりしますけど。逆に離れすぎても心細いというか、今まで近くにいた人が。その距離感って自分の心の状態とか、そのときの状態によって結構揺れ動いて行きそうなだなと思いますね

砂連尾:
そうですよね。だからある意味、身体を通して、きっと心の模様も感じたりすると思うんですけど。同時に僕はきっと居心地の悪さを一旦通過してみて、相手を見てみるっていうことも。やっぱりまずは距離を測るっていうことを入り口に。

石井:
居心地の悪さを通過する。

豊平:
すみませんね。さっき画面が変わってシンガポールのアーティスト向けのワークショップをしていたんですけど。あの時は皆さん目を閉じて距離を測るっていうのを。

石井:
目を閉じてやっていたんですね。

豊平:
後半、そうでしたね。あれはどういう?先ほどおっしゃったみたいな、違和感を通過する試みの一つなんですかね?

砂連尾:
そうですね。見えていることをあまり前提としすぎないっていうのかな、見えていることを一旦なくしていった時に、距離をとるとか、あるいは見えているっていうこと。そのことも含めて、もう一回感じ直してみるっていうことかな。

石井:
確かに。僕もね、見えている世界で生活をしてきた方が長くて、見えなくなってからもうすぐで8年なんですけど。目を閉じて相手との距離を測るって、目を閉じたことによる。まず自分自身の世界に対する居心地の悪さが生まれる気がするんですよね。見えない中で、もしかしたら近づきすぎて相手とぶつかっちゃうんじゃないかっていう不安とかもありつつ、相手との距離感をはかるって?結構、いろんなものにセンサーをそれこそ使って、視覚以外の感覚フル活動させて動いてるんじゃないかなって想像したんですが、それ見ていてどうでしたか?

砂連尾:
シンガポールのワークの時は基本、みなさん、まだ視覚がいわゆる健常という方だったので。見えないことによって、自分の体をまずしっかり感じていくということはあったかなと思いますね。で、自分の体を感じて今言われたようにそこで持っているセンサーを改めて見えている時とか違う形で開いて相手との距離や相手との関係性の感覚、それをもう一度感じ直していたってことが結構あったかなと思いますね。

豊平:
みなさんね、終わった後に結構笑顔になるというか、喋っているとか、触っている時よりも、何かを乗り越えたっていう感じの笑いが起こりますね。

石井:
そうなんだ。ちょっと安堵感も入り混じりつつ、達成感というか。でもその感覚、わかる気もちょっとするな。ある感覚を閉ざした状態で、今まで当たり前に出来ていたことをやるとか。それこそ目の前に居る存在を感じるとかでもっと何か本質的な、根源的なもののような気がするので、そこを感じられたら。確かに笑顔になりそうだなと思います。


4 テーマ「聞く・感じる」(22:27)

豊平:
シンガポールでのワークショップの様子ですね。この方は認知症の女性ですかね。

石井:
今これを砂連尾さんと触れ合っている状態なんですか?

砂連尾:
そうですね。椅子の横に並んで座っているんですね。で、結構介護度が高い方でほとんど会話でのコミュニケーションが出来ない中で。ずっと彼女の発する声、音。そういったものを何か聞きながら、どんなふうな関わりができるかっていうことを今やってみましょうって。僕からはじめてそこにいたスタッフの方や近親の方と一緒にそういうワークをやってもらって

石井:
だから聞く感じるなんですね。これは何の音が今流れてきているんですかね?

豊平:
これは演奏者のヤジズさん、ミュージシャンのヤジズさんが楽器を演奏しているところなんですけれども。

石井:
どんな楽器なんですか?

豊平:
フレームドラムって言って、直径が60から70cmで厚さが10cmぐらいの薄い片手で持てるドラムですね。その中に小さい細かい粒が入っていて、それが海の波の音の効果を出す機械みたいな、機械じゃないです装置みたいな感じですね。

石井:
これをじゃあドラムだけあって、叩いたりもするってことですかね?

豊平:
そうですね。今、叩いていますね。(…)女性に聞かせている感じですね。


5 越境する(30:15)

石井:
これは外の音が聞こえてきてるんですけど。外に出て2人で今歩き出している感じなんですか。夏っぽい音がするんですけど。

豊平:
そうですね。こちらはマレーシアのテイラーズ大学というところで行った認知症の方と家族に向けたワークショップの様子なんですけれども。この男性は認知症もあって突発的に笑うっていうところがあって。一度外に出ようとして、一回止められてるんですね。スタッフとか家族の方に。で、それでもまだ前に出ていこうとするって言う砂連尾さんが最終的に(スタジオの重いドビラを)開けて開放して外に出ていくっていう様子だったんです。映像も今終わりましたね。もう少し話を続けてみましょうか?

石井:
この男性はもう外に出たがっているなっていうのが砂連尾さんが気付いて、その前にどなたかが止めているっていうのも、今音声ガイドで入っていたんですけど。

砂連尾:
この男性、かなりいわゆる要介護度は高い方で、普段聞くとなかなか外に出ることを許されなかったらしいんですよね。彼は聞いたら、普段もっと怒っている。

石井:
怒っている。

砂連尾:
怒っているらしい。その日もスタジオ内でワークをしていたので出ていこうとする。その彼に対してスタッフや家族の方も「ダメダメ、今レッスン中なんだから」っていう感じだったんで。
僕も最初はスタジオ内で彼となんとかうまく一緒に動けたりセッションできたらいいなと思っていたんですけど。これはどうやら外に出たそうだ。いわゆるこのワークの、ここにだけでちゃんとこのワークに従ってやろうっていうよりは何かもっともっと自由に動きたがっているなと思った時に、スタッフが閉めているドアを、もういいです。開けましょうっていうので、開けて彼と手をつないでスタジアのスタジオの外に出たテラスを一緒にどれくらいだろう?100mぐらい、歩いていきましたね。で、その間、彼は握っていた手が本当にどんどん柔らかくなって。そういうのを思い出しました。

石井:
じゃあ彼の表情は「ハハハハハ」って笑っているんですけど、もう表情もにこやかな感じで笑っているんですかね?

砂連尾:
だから本当はこのままどんどんどんどん、もうそのままずっと外までどんどん歩いて行っちゃうかなとか思っていたんですけども。一旦そこからもう一回、スタジオに一緒に彼と帰ってきたんですけど。僕からすると、その彼と一緒に歩いている後ろを振り返ると、みんなが一緒に歩いてきていて。

石井:
スタジオの中から。

豊平:
別に歩きたくてってよりは何かが起こっているから、みんな追いかけるしかなかったっていうか。「なんだ?なんだ?」って追いかけていって感じでしたけど。

石井:
外出て行っちゃったぞみたいな感じですね。

砂連尾:
でも意外と、それによってその彼に導かれた他の参加者たちもちょっとスタジオ内でやっているときとは違う開放感、そんなふうにむしろあの瞬間、僕が彼に何かをやったというより、彼が僕らを連れて行ってくれたのかな。それによってスタジオの時にやっていたのは違う体の状態だったり、心の状態に。
そういう意味では〈とつとつダンス〉って、どの瞬間にリーダーが変わるかってのが、別に僕だけがナビゲートしている訳じゃないってところが、このマレーシアのテーラー大学でも起こったなっていう瞬間で、すごく気持ちよかった瞬間でした。

石井:
冒頭で砂連尾さんが「とつとつ イズ ノールール」って言ってたですけど、本当にルールがないんですね。ここからの枠をはみ出しても大丈夫っていうのを受け入れているというか、そこも楽しんでいるというか。

砂連尾:
そうですね。だからむしろこの〈とつとつダンス〉っていうのは、本当にそのルールがない中で、みんながその瞬間何をどう楽しんで、楽しんだ人がまたみんなが乗っかっていったり、自分がまたその波を作っていったりっていう。そんな波の作り合いというか、空気の作りあい。でそれをそれぞれが受け入れては楽しむっていうようなことが出来ていくといいなっていうのはありますね。

石井:
豊平さんにもちょっと伺ってみたいんですけど、砂連尾さん例えば〈とつとつダンス〉に参加している。認知症の方の変化とかあると思うんですけど。ご家族とか、いわゆる普段から介護をしている介護士さんとかも、このワークとかに参加していて変化とかってあるんですかね?

豊平:
明確な変化っていうのは難しいですけど、まず参加してくださった認知症の方の表情、新しい表情が見られたっていうのは皆さんおっしゃるところですね。職員が変わったっていうのもあるかもしれない。

砂連尾:
僕ら13年通い続けたっていうか、オンラインも含めてですけど。いつの間にか職員がすごくワークを自分たちで盛り上げてやっていくっていうか、僕がやっていることにダメ出しをするようになる。もっと過激にやってくださいというようになっていったりするような変化っていうのはあったかな。

豊平:
そうですね。通常のいわゆるダンスワークショップとかダンスレクチャーみたいな感じで砂連尾さんが先生として教えるっていうよりは、それは逆に職員だけじゃなくて、認知症の方も自分から主導して動き始める瞬間がさっき仰ったみたいにあるので、そうなってくるともう、とても楽しい時間に、瞬間になるんですよね。

石井:
まさにでもね、最後のテーマの越境するって、境目を超えていく感じが今までの〈とつとつタンス〉の中でも起こって起こり続けてきたってことですよね、きっとね。

砂連尾:
そうだったらいいなと思うし、僕自身も別に常に〈とつとつダンス〉の先生ではないというか、僕自身がその中で一緒にエンジョイして、時にいわゆる生徒のポジションになるというか、そういうふうにそれを自分自身も楽しんで、今もそういうことをやり続けているって感じかな。

豊平:
また〈とつとつダンス〉で出会った認知症の方というのは高齢なので、皆さんお亡くなりになったりっていうことがあって、出会いと別れが常にあるんです。その時にね、我々としては不在のダンスというか、存在がいない人とも踊れるんじゃないかっていうことにトライするべきなんじゃないかっていう時期もあったりとかして。
来年度、目標としては砂連尾さんがいなくても〈とつとつダンス〉として何か成立するようなやり方とか工夫はないかっていうのをトライしてみようかなと思っているところです。

石井:
ありがとうございます。


おわりに(39:59)

豊平:
今回はどのようにまあすれば〈とつとつダンス〉音声コンテンツとして楽しむことができるのかという試みの一つとして、このオーディオコメンタリーを作ってみました。いかがでしたか、石井さん一言。砂連尾さんも一言。

石井:
一緒に映像を見ながら、ただ、説明を聞くのではなく、聞いたことから生まれてくる質問とか疑問とか、好奇心の部分をその場で一緒に話せていけるのはとても楽しいですよね。

砂連尾:
僕もだいたいこうやって記録を映像で残して、見ていただくっていうことで何とか伝えればっていう感じで、こういうのを作ってきましたけれども。今回これが見れない人にあえてそれを説明しようとした時に、やっぱりその時の体感とか、その時の記憶まで含めて話せたっていうことが非常に良かったなっていうか、そんなことを感じました。

豊平:
〈とつとつダンス〉の音声コンテンツの可能性みたいなものを考えてみたいなと思ったりもしました。ここまでお聞きいただき、本当にありがとうございました。以上になります。

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