なぜ自由律俳句なの?

なんで、自由律俳句なんでしょうかね。

これまで現代詩や有季定型の俳句は作ってきました。

自由律俳句を始めたきっかけは、正直、覚えていません。

ヒマだったんですかね。尾崎放哉、種田山頭火ぐらいは知っていましたけど。

だから、何をもって「自由律俳句」なんだ、と聞かれても困るんです。

しいていうなら、自分の呼吸のリズムにあった「俳句」―というぐらいです。

説得力ありませんね。


でも、五七五を考えるより楽しい。

誤解を招く表現かもしれませんが、

自由律のダラダラ感、イレギュラー感、なしくずし感が好きです。


書きたいことは決めています。「でたらめ」です。

人生や時事にはあまり興味ありません。

「せきをしてもひとり」のような句はすごいな、と思いますけど、

自分が書きたい句ではない。


テーマを探すより、まず言葉を探します。

気になった単語を思いついたら、自分にとってはほぼ成功です。

「いたしかたなく、なんていいな」ということで、

・いたしかたなくタンカー通る(不完全永久プレパラートその1)

ができました。

「エンゲル係数」は響きがいいので、

・エンゲル係数のエンゲル氏のホタル(同その4)

としてみました。


まあ、自分の手法といったらその程度のものです。

「でたらめ」というより「てきとう」ですな。

だけど、楽しいんですよ、これが。けっこう頭を使うんですよ。

まあ、こんな感じでダラダラ続けようかと思いますので、

よろしければお付き合いください。

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