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俳句×短編小説「またたき」

 チタはヨヨの手の中にある二つの小石を見ていた。一つは三途の川の上流のように清々しい青で、一つは業火のごとく赤い。どちらも僅かに光っている。
「仕事っても難しいこたぁない。これを探すだけさ」
 ヨヨは鼻の下を擦って言った。
「一体どこにあるの?」
「どこにでもある」
「どこにでも……?」
 しかし二人のまわりには黒い岩がゴロゴロとしているだけで、視線を広げてもどこまでも黒い平野が地平線まで伸びていた。東側には一直線に、世の果てである断崖から、業火が燃え上がるのが見える。そう。ここは最果ての手前。西のどこかにあるはずのチタの故郷の村や、地獄の中心地は、光のまたたき一つ見えなかった。
「その岩をどかすんだ。その下にある」
「この岩を?」
 岩なら確かに無限にある。ヨヨは頷く。
「根気よく探すんだ。青を十個見つければ、おつかいさまが一ゼニで買い取ってくれる」
「赤は?」
「赤は金にならん。だからこうする」
 チタは目を丸くした。ヨヨが、手に持っていた赤い石を口の中に放り込み、ごくりと飲み込んだのだ。そして、ヨヨは満足した笑みを浮かべて自分の腹の上を撫でた。
「おいしいの?」
「いんや。でも赤い石を飲み込むと大きくなれるんだ。一万個飲み込むと大鬼になれるらしい」
 ヨヨは嬉しそうに笑った。
「大鬼になればもっと良い仕事にありつける。こんな最果ての、みみっちい石拾いなんておさらばよ」
 確かに、ヨヨの身体はチタよりも頭一つ分大きかった。昔はチタのほうが大きかったのに。
「今まで何個飲んだ?」
「覚えてない。十年で、千個くらいかな」
 十年で千個。じゃあ、一万個まで百年。
「百年かぁ」
 つまり少なくとも百年は此処で働くしかないのだ。チタは真っ黒な平野を見渡した。天は赤黒く光っている。黒い平野に、ぽつりぽつりと石を拾う小鬼の姿が見える。みなチタのように故郷の村を出て、この最果てに辿り着いた者たち。
「名残惜しいけど、一緒に探すと取り合いになるからな。俺は今からあっち行く」
「うん、ありがと、ヨヨ」
 一人になったチタは小さく溜息を吐いた。
 腰には、関所の婆から渡された石入れの篭が二つ。
 後は、母が持たせてくれた麦握り。
 それが、今のチタが持っているすべてだった。
 チタはまず足下の黒い岩をごろごろと転がしてみたが、小石は見つからなかった。それから歩きながら岩を転がしていったが、やはり同じような黒い地面が現れるだけで、赤い小石も、青い小石も、見つからない。
 半日ほど、一言も喋らずに、チタは岩を転がし続けた。場所を移動してみたり、少し地面を掘ってみたり、東の業火の方に歩き続けてみたりと、色々したが、石は一つも見当たらなかった。
「いやはや」
 途方にくれたチタは地面に座り村を出る時に母が持たせてくれた地獄麦の握り飯を食べた。チタの両親はどちらも中鬼だったが、きょうだいには色んな大きさの鬼がいた。母は身体が最も小さなチタのことを、常に気に掛けていた。
 地獄の鬼にとって一番大事なのは力で、それは身体の大きさに比例する。その次に大切なのは胆力だ。胆力というのは動じない力のことで、つまりは人間をいじめ、いびることに躊躇いのない強者ということだった。
 チタにはどちらもなかった。どちらもない鬼には、選択肢は二つしかなかった。村から出るか、母のように子を生むか。そして、チタは村を出た。子を産むのは怖かった。そして、中央には小鬼でも仕事があるかもしれないと、そう言って村を出たヨヨのことを覚えていたから。
 でも、中央にも仕事は無かった。そしてヨヨの足跡を辿って、ここに辿り着いたのだ。

 結局、初日は何も見つからなかった。チタは黒い地面に横たわり目を閉じた。地面は固くじんわりと温かい。故郷の夜はもっと寒かった。母の顔が僅かに瞼の裏に過った。それから、ほどなくして眠りに落ちた。
 不思議な音で目を覚ました。空の高いところに、真っ白な鳥が飛んでいる。それはチタの身体より大きく、大きな翼を持ちながら、獅子のような身体と顔をしていた。
 あれが『おつかいさま』なのだろう。青い石をゼニと変えてくれる使者だ。しかしチタは青どころか、赤い石の一つも見つけていない。おつかいさまは、チタの頭の上を三回ほど廻ると、そのまま飛び去ってしまった。きっと青い石を持っていないのがバレたのだろう。当然のことだけど、少しだけ失望した。飛んでいくおつかいさまの姿を追っていると、別の小鬼らしき影のところへ下りているのが見えた。
 チタは昨日よりも一生懸命、小石を探し始めた。きっと、あのおつかいさまは天国からいらしているのだ。チタは天国の使者など見たことがない。あの綺麗なおつかいさまを、間近で見てみたい。しかしどんなに懸命に探しても小石は見つからなかった。岩をひっくり返しても地獄バッタが飛び出してくるだけだった。チタは毎日疲れ果て固い地面の上で泥沼のように眠った。そして大きな翼がはばたく音で目を覚まし、再びおつかいさまが飛び去っていくところを、眺めた。

 最初の小石を見つけたのは、そんな朝を三日ほど繰り返してからだった。ひと際重く大きい岩を何とかひっくり返すとそこには赤青の小石が一つずつ落ちていた。赤い小石はチタの親指の爪より大きく煌々と光っていた。急いで拾い上げると、全身にゾワッと不快な震えが走り、チタは小さく悲鳴を上げてそれを放り投げた。
「な、なにこれ?」
 チタは再び赤い石をじっと見つめた。光は炎のように揺らいでいる。再び指先で触れてみると、チリチリと指先を焼くようだった。チタはそれを急いで石入れ篭に入れた。まだ指先はジンジンしている。こんなもの、とても口にいれる気にはなれなかった。
 それから青い小石を見た。それはチタの小指の爪ほどの大きさで、赤い石と同じように光っていた。触れると、また小さな震えが走る。しかし赤い石ほどの不快感はなく、微かにくすぐったいような、不思議な感覚だった。
 チタは青い石を手に乗せて、しげしげと見つめた。なんとなくわかる。これはきっと「良きもの」である。おつかいさまは青い石を集めている、つまりこれは天国へと召し上げられるのだ。チタは青い小石を、もう一つの石篭にと入れた。何だか、少しだけ誇らしい気分になった。
 それから、チタは少しずつ石を見つけるのが上手くなってきた。石は一度見つかると、その周辺にあることが多く、また翌日同じ場所に再び湧いているような、そんな性質があった。チタは闇雲に探しまわるのではなくお気に入りの岩を幾つかみつけ、そこを重点的に回るようにした。

 チタが九個目の青い石を見つけた時には、赤い石は既にその三倍以上の数で、赤の石篭はパンパンだった。やはり、飲み込む気持ちにはなれなかったけれど、これ以上は入らない。勝手に捨てていいのかもわからない。そんな時に、よっこらしょとひっくり返した岩の下に、青い石が瞬いていた。
「やったぁ、十個目だ」
 しかし手に乗せてみると、それは赤に色を変えた。驚いて見ていると、しばらくして再び青に。そしてまた、赤に。石はゆっくりと、またたいている。
「これは、なんだ?」
 これが青の石なら十個目になる。だけど。
「……綺麗、だなぁ」
 チタはその不思議なまたたきを見つめた。これが赤でも青でもどっちでもいいや。おつかいさまがいつか下りてきてくれたら、聞いてみよう。
 その石はどちらの篭に入れる気にも慣れず、チタはそれを大事に抱きしめて眠りに付いた。

「チタ、起きなさい」
 目を開いて、チタは驚いた。目の前に、チタのことなどひと呑みにできるほど、大きな白い獣が立っていた。獅子の身体に、大きな翼。瞳は薄い紫だった。
「おつかいさま!」
 チタは慌てて地獄の地面にひれ伏した。
「顔を上げなさい」
 やわらかい声で天国の使いは言った。チタは顔を上げて獅子の顔を見た。こんな美しく神々しい存在を間近で見たことはなくしかもそれがチタの名前を呼んだのだ。
「チタ、青い魂の欠片を十集めましたね」
 チタは腰から青の石篭を取り出し、それをおつかいさまの前に置いた。一、二、三……九個目まで並べる。
「あのう、おつかいさま」
 チタは、最後の一つ。赤と青にゆっくりとまたたく石を、おそるおそる差し出した。
「十個目はこれです。これは青ですか、赤ですか」
 おつかいさまは顔をほんの僅かにくしゃりと歪め、それからすっとまっすぐな表情に戻した。
「その欠片は混じっています。受け取れません」
 そして使いは青い石を数え、いいでしょう、と言った。
「初めてにしては頑張りました。今回は九個で許します」
 チタの前に鈍く光る銅の硬貨が転がった。チタはそれを両手で拾い上げた。喜びが込み上げる。これははじめてチタが稼いだ一ゼニだった。
「ありがとうございます! ありがとうございます!」
「では、引き続き、魂拾いに精を出すこと」
「おつかいさま、あのう、聞いてもいいですか?」
 飛び立とうとしていた使者は、ゆっくりと翼を収めた。
「その、この、赤い石はどうしたらいいですか? もう、石籠がぱんぱんになっちゃって」
「……チタは、それを、飲まないのですか。他の小鬼のように」
「はい。チリチリ痛いし、嫌な感じがするので」
 おつかいさまはその目を大きく見開いた。その表情が恐ろしくチタは息を飲んだ。しかし、おつかいさまは、すぐに無表情にもどり、さらに喉をごろごろと鳴らし、優しい声で言った。
「貴方には、わかるのですね」
 チタは頷いた。何がわかるのかは、わからなかったが。
「赤い魂の欠片は東の業火に捨てなさい」
「わかりました。……あのう、おつかいさま、それじゃあ、その、青い石はどうなるのですか?」
「青い魂の欠片は本人に戻します。遠くまで飛ばされた、良心の欠片は裁判に加味されるのです」
 やはり言葉の意味はよくわからないけれど、チタは頷いた。
「じゃあ、あの、これは?」
 赤と青にまたたく小石を見て、おつかいさまは言った。
「その石はあなたにあげます。好きになさい」
「これを……おれに?」
 おつかいさまはゆっくりと頷いた。しかし、それ以上の言葉はなく、ゆっくりと羽を広げて、驚くほどの軽さで飛び立った。おつかいさまは行ってしまった。チタは手のひらの中で赤と青にまたたく、その美しい石を握りしめる。
「……きれいだなぁ」
 小鬼はこれまで感じたことがない幸福感に打ち震えながら、荒野の真ん中で立ち尽くしていた。

(了)



inspired by

遠火事の夜のたましひのおきどころ/箱森裕美




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