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ひだまりの丘 11

デリバリーが届くのが早いなと思いつつ、ドアを開けるとそこには蒼ちゃんがいた。
「なんか、紫のSOSが聞こえた気がして」
この人はエスパーか。
気づけば、わーっと涙が頬を伝っていた。
私は泣きたかったらしい。

蒼ちゃんは、理由も聞かず玄関先で私が泣き止むまでぎゅっと抱きしめてくれていた。
どうして、この人は自分でもわからなかった気持ちを察するのが上手いんだろう。
バンドをしている様子をみていると誰にでも優しいことは知っていたが、その時だけは私だけの蒼ちゃんだった。
遠慮する私をなだめ、荒れた部屋を片付けるのを手伝ってくれた。
久しぶりに床が見えて、清潔な衣服がベランダにはためいた。
「綺麗になって、すっきりしたね。」
と言われると、汚れた下着まで洗ってもらったことに今さらながら、羞恥心がわく。
「ごめんね。こんなことさせて」
今まで、お付き合いという形をとらないままの男女としての関係はあったものの、こんなに家族のような世話を焼かれたことはなかった。
蒼ちゃんだけでなく、過去の恋人の誰からもこんな扱いを受けたことはない。どちらかというと、私が世話を焼くということはあったのだが。
30歳目前にひどい失恋を味わってからは、誰かに依存して失うのが怖くて、最近はあえて恋人を作らなかった。お互いに自由であるほうが、傷つかなくて済むという思いから、蒼ちゃんとも初めから距離を取って関わっていた。
「紫に見せたい景色があるんだ。ちょっと外の空気吸いに行こうよ」
その言葉に、出不精だったほんの少し前の自分を忘れて頷いていた。
蒼ちゃんは、するりと私の心に入ってくる。
でもそれはとても、心地いい。

コートだけひっかけて、蒼ちゃんのバイクの後ろに乗せてもらった。
ヘルメットを被り、蒼ちゃんの腰に手を軽く回すと蒼ちゃんは
「落っこちるといけないから」
としっかり私の手が腰を抱くよう、手の位置をなおした。
その優しさに嬉しくなり、私はぎゅっと蒼ちゃんにつかまった。
蒼ちゃんの体温は、もうすぐ春とはいえ肌寒い夕方の冷たい風から守ってくれた。
「日が落ちないうちに間に合わせたいな」
蒼ちゃんは、バイクで知らない道をどんどん駆けていく。
そのうちに上り坂になり、私は一層蒼ちゃんの体にしがみついた。

「紫、着いたよ」
バイクのスピードについていくのに必死だった私がようやく顔をあげると、そこには小高い丘が広がっていた。
陽の落ちる間近であるにも関わらず、そこにはオレンジ色の暖かい陽だまりがあった。
バイクを降り、蒼ちゃんが私の手を引き陽だまりに連れて行ってくれた。
「ほら、ここ。あったかいよ」
肩を軽く寄せ、陽だまりの中に二人ですっぽりと入った。
本当にあたたかかった。
太陽は落ちかけ、じきに夜がやってくるというのに、その場所だけはいつまでも暖かく感じた。
時が止まっているようだった。
「ここは、俺だけの秘密の場所なんだ。教えたの、紫だけだよ」
蒼ちゃんがそう言ってにっこりと私に笑いかけた。
私はいい大人で、蒼ちゃんは年下で。
溺れそうになるたび、いつも自分に言い聞かせていたけれど。
まるで秘密基地をこっそり教えてくれた少年のような蒼ちゃんの言動に、普段は素直に受け取れないメッセージも疲れた心にはすんなり入ってきた。
「なんか、口寂しいな」
それは、いつも二人の間でお酒を飲もうよのサインだったが、今日は蒼ちゃんの口づけが降ってきた。
いつまでも、この時間が続けばいいのにと思いながら、私は目を閉じた。
陽は、いつもよりゆっくりとあたたかさを残して落ちていった。

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