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ひだまりの丘 8

広澤さんの一人娘の和子さんは夫に支えられ、思いのほか早く来院した。


冷たくなった広澤さんの隣で突っ伏して、わぁわぁ泣いていた。
夫は「なぜ、急にこんなことになったんですか?つい最近まで元気だったのに」
拳がわなわなと震えていた。
二人は、広澤さんの看護に熱心な家族だった。面会もここ数年毎週見舞いに来ており、食べるのが困難な広澤さんへ好物のせんべいを持ってきては、何とか食べさせようとしていた。当然、硬いものを食べてしまえば誤嚥し、肺炎が悪化するリスクはあったが、二人は好きなものを食べれれば元気になると思っていたようだった。そのことについては、何度か説明をしていたが、差し入れはせんべいのままで変わらなかった。
また、肺炎の病状が軽くなり慢性期の病院へ転院することが決まったため、その旨を伝えると「見きれないから追い出すのか」という発言も聞かれていた。
そうではなく、そういった流れであることを伝えたが、納得してもらえないままに今回広澤さんが亡くなってしまったのだ。

主治医は、改めて人に広澤さんは誤嚥しやすい状態であったこと、こうなるリスクも高かったことを説明した。
しかし、夫に「でも、だから入院してたんじゃないですか。そのために病院のスタッフがいるんじゃないか!」
と言われると、私は返す言葉を失ってしまった。
確かに、新人看護師が勝手に配膳してしまったのは悪かった。私も監督不足と言われても仕方ない。
しかし、橘師長の「簡単に謝ることはこちらの過失を認めること」
という言葉も脳裏をよぎる。
申し訳ありませんの一言を口に出すのが、ためらわれる。
「後日、事実関係を確認して師長からもお話をさせてください」と私は言うことしかできなかった。
納棺をしてお見送りを行うと、二人は怒ったような事実を受け止めきれないような表情で帰っていった。これから、葬儀などの準備で二人は忙しくなる。
私は主治医と二人で深々とお辞儀をして見送った。
家族の姿が見えなくなると、主治医は「お疲れ様。だけど、あの家族は納得しないだろうね。これからも話し合いが必要だろう。」と話した。
私は頷いた。
看護記録はしっかり残しておいてねという主治医の背中を見送った。
外は真っ暗になっており、冷たい風が吹いていた。
悲しかった。

つらかった。

やるせない。
付き合いの深い患者を失った喪失感もある。
けれど、家族はもっと悲しい。一言では表せない感情を抱えているだろう。
夜勤の看護師が患者の就寝の準備をしている中、着替えて自身の看護師寮へ帰った。
朝から何も口にしていなかったが、とても夕飯を食べる気にはなれなかった。

翌朝、橘師長はイライラとしているようだった。
石井さんや私を呼び出し「どうしてこういうことになったの」と何度も問い詰められた。
気丈な石井さんもとうとう泣き出し、本当は私も泣き出したい気分だったが後輩の前でめそめそすることはできなかった。
田無さんは体調不良を訴え、出勤してこなかった。
責任は私にあります、と橘師長に言って石井さんへの言及を避け、かばって石井さんを業務に戻した。
その後もう一度、昨日の出来事を橘師長に細かく報告をした。
誤嚥と窒息のリスクが前々からあり、要注意で対応していたということは、橘師長にも報告済のことであった。
昨日の出来事が、人手不足で事情を知らない田無さんが配膳してしまったというと、人手不足のせいなの?あなたの監督不足でしょうと怒鳴られる。
人手不足だから十分に新人看護師を教育できず、すべてに目が回らなかった。何度も、人員確保をお願いしていた。
おまけにあなたは昨日のんびりと旅行に行って、病棟に顔を出しもしなかった。
喉まで出かかるほど言いたかったが、言いたかったことの3分の1も言えないまま、面談が終わってしまった。
橘師長の言いたいこととしては、広澤さんのご家族との面談は同席するが、私が当日責任者として勤務していたのだから、あくまで橘師長の了解を得てから実質的に動くようにということだった。
ある意味、私自身は付き放されたような感覚もあった。

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