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『いもうと物語(氷室冴子/新潮文庫)』、読了。

 昭和40年代の北海道。鉱山の時代が終わらんとし、東京”とかいうところ”ではオリンピックがやっているせいで、うちに3つしかないTVのチャンネルが全部同じ内容になったり、”とうきび”の畑に入って怒られたり、家には初めて石油ストーブがやってきたりする。そんな日常を過ごす、小学校四年生のチヅルは、歌子お姉ちゃんを持つ、わが家の”いもうと”だった。

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 汽車と電車が両方あって、ローンじゃなく”月賦”と呼び、母親が仕事に出ると珍しがられ、小学校すら会長は男子、と決まっていた、”あの”時代。

 >この世のなかに、おかあさんのことを<ママ>という、テレビでしか聞いたことのない呼び方をする子が現実にいたとは、信じられないのだった。

 年齢は小学生で、時代はネットがなくて、”世界”の広さが限られていた。そんな頃の、そんな事象だけで出来た、枠の中の物語でした。

 >「炭鉱(ヤマ)に入らんで、字かいて、ハンコ押してるやつだ
 >あの宵宮の日、おじいちゃんがノウイッケツで倒れたのは、まだほんの一月まえのことなのに

 それでも、時代の変化や、大人の事情が、わからないなりに、チヅルの世界の周りにもあって、あることに気づけないほど鈍い子じゃないから、なんだろう、なんだろう、と、そう思いながら、彼女なりの決着を付けたり、抱えきれずに、”ヒステリーのように”(※当時らしい表現)叫んだり泣いてしまったりもするのでした。

 道民でもなければ、昭和40年代生まれでもない俺ですら、
”なつかしさ”を覚えてしまったほどですから、そのどちらか、まして、両方にあてはまる人ならば、心の中の、長い冬の道に、”あの雪”たちが降り注いでくるかもしれません。
 これは、そんな北の国の小説でした。

 終わり。

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