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27歳のポケモン

ポケモンがやりたい。



ヒトカゲ、フシギダネ、ゼニガメから一体旅の連れを選ぶ時の悩ましさ、
レベルアップを重ねて攻撃力の高いわざを覚えられたときの達成感、
バトルを終えた後に急に迎える進化シーンに、覚える高揚感。

昨年新作が出たせいか、サトシが長旅に終止符を打ったせいか、
Instagramのタイムラインに久しく見かけなかったポケモンが目に留まる。

瞬間―――――「(あれ、ポケモンってこんなんだっけ。)」

ここ10年以上、アニメはもちろんゲームも触れていなかったため、記憶も鮮明ではないが、私の知っているポケモンとは違う絵のタッチに正直一瞬抵抗感すら感じる。

なんともいえぬコレジャナイ感。

ピカチュウは変わらずだったことに安堵しつつ、違和感を感じたせいか私は懐かしさに浸りたくなり、youtubeで初期のころのアニメの切り取りでも転がっていないか検索をかけてみた。



あった!!

懐かしい。私の知っているサトシは白目が多い。解像度が低い。
キャップによくわからんどっかの市町村にありそうなマークが入っている。
これぞサトシ。画像の粗さがなんともいえない。

だが、テンションが上がりながらサムネをタップしたあと再び訪れるコレジャナイ感。

サトシは英語をしゃべり始めた。
ゼニガメはガメガメ言わずに「Squirtle! Squirtle!」と言っている。
いや、Squirtleはゼニガメの英語表記なので結局ガメガメ言っているんだけど。

結局youtubeは、ポケモン初代アニメの海外の切り取りばかりが載っていて日本のオリジナルのものを見ることはできなかった。
さすがに最近のyoutubeは著作権についてかなり厳しんだろう。
諦めきれない私は、ダメ元でAmazon primeで検索をかけてみた。

読みは当たる。さすがAmazon。

"ポケモン"と検索をかけた瞬間ズラッと過去の映画から初代アニメまでポケモンの歴代作品が並んだ。ちゃんとサムネの横に青くprimeの文字もある。

子どものころ、兄のおさがりで使わせてもらったゲームボーイを起動するときと同じテンションで初代アニメの第一話から鑑賞。


最高。

ポケモンマスターを目指すサトシがピカチュウと出会い、
絆を深め仲間を増やしながらバトルを重ねていくストーリーは、子供のころと変わらず大人の私にたまらない高揚感をくれた。
それだけじゃない。

「うわ、私だったらライチューに進化させたい」
「ギャラドスほしいなぁ」
「イーブイは何に進化させるか迷うし、何体か捕まえたい」

などなど。
大人になった私はポケモンの布陣について、気が付いたら子どものころよりもガチで考えていた。

アニメや映画を見ると主人公に自己投影することは往々にしてあるが、ポケモンの場合、自己投影した視聴者はたちまちポケモンマスターになる。
二次元にしかいないポケモンを「自分のもの」だと思ってしまう。
ここがのめり込むポイントなんだろう。

それだけじゃない。
カスミが"美人3姉妹の出涸らし"と呼称されていたり、サトシが主人公のわりにチートを働こうとする場面があったり。
令和のアニメにはないブラックジョークや、SNSですぐに誰かが叩き始めそうなセリフがあることにも時代を感じる。

最近はどうか知らないが、昔のゲームでたびたび対戦を仕掛けてくる"ミニスカート"も呼称としてはLGBTQ的に現代では良くなさそう…。

大人になってからみるポケモンは実に奥が深い。

小さい頃は何気なく見ていたけど、ピカチュウの「ピカピ」はサトシのことだ。大谷育江さんの表現力に驚きながら、私は次に実家に帰ったらポケモンゲームを持ち帰ることにきめた。

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