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自分に与える言葉の影響を疑う

先日、ある読書会に参加しました。

言葉のもつ意味が、自分にどう影響するのかを見直そう!!ということを
経験できた新鮮な時間でした。


読書とは、書を読むと書くので、本を読むこと。と
思い込んでいたのですが

読まなくても良い読書で、苦手の思い込みから解放する。
質感を楽しみ、書体を楽しみ、本を愛でる。
本を感じながら、見る読書。

料理本やインテリア本、洋書など、写真を楽しむものは、見て楽しむということを自然にしていた私。
20代の私は、このみて楽しむ本との付き合い方を満喫していました。
いつしか、本は読むものということに凝り固まってしまい
本を積み上げては読めない自分に罪悪感を持つはめになっていきます。

読み物の本を、読まなくても良いという考え方は
新しい「価値観」でした。

早速読書会を終えて、早速読みたいけれどなかなか読めてない本で
読まない読書を試してみました。

すると
面白いことに、文字以外の情報を読み取る楽しさを満喫!

本を開く前から色々なメッセージがやってきます。
メッセージをきちんと言葉にしてみると、新しい発見があります。
本についているカバーの紙質やタイトルの書体や余白から何を感じるのか。
そんなことを言葉にするのはとても面白い作業です。




次に、ぱらぱらと本の中を眺めていく。
ただ眺めるだけ。
俯瞰して、その映像を見ている。というそんな感覚。

ぱらぱらとページを捲るだけで情報が入ってくるのだろうか?
と疑問だったのですが、体の機能はすごいですね!

ちゃんと言葉を読み取ることができるんです。
単語だったり、図解だったり。
そしてその読み取ることのできた単語が、なんだか愛おしく感じます。

一字一句読まなくても良い読書。
これなら、1ヶ月に出会える本が格段に増えそうです。


そしてもうひとつ学んだことがあります。それは
本は人である
という言葉を教わりました。

主催者の方と本の関係がとても良い関係なのがこの言葉から伝わります。
本をどのように扱うかは、対人関係に似ている。
この発想は新しく、本棚にある本を改めて「人」だと思い返すと
一気に家の中の人口密度が高くなり、くすっと笑えます。


今の時代は、著者を検索するとyoutubeだったりSNSなどで、本人を身近に感じることができます。私も気に入った本があると、つい調べて著者の方の生き方や背景を知りたくなります。

そう思うと、本は人であるという言葉はとてもしっくりきますよね。
また、本は著者の思考や思いが詰まったものだと
改めて考えを整理できました。




今回は、読書会での「読書」という言葉について、先入観を疑うというものでしたが、私たちが日常使っている言葉に乗せている意味や印象・思い込みを、今一度棚卸しをして違和感を探してみると、言葉の影響力が変わってくるかもしれません。


今日も最後まで読んでくださりありがとうございます。

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